尾西織物(読み)びさいおりもの

世界大百科事典 第2版 「尾西織物」の意味・わかりやすい解説

びさいおりもの【尾西織物】

愛知県の尾西市一宮市津島市を中心とする尾張西部地方は古くから織物業が発達したが,この地域で生産される織物をいう。1764年(明和1)京都西陣から桟留縞(さんとめじま)製織技術が,中島郡おこし)村(尾西市起町)に伝えられ,20年余りのち,京都から菅大臣縞の技法が伝えられた。1829年(文政12)に加賀金沢の商人が,〈尾州桟留縞は諸国流行の品〉と述べるほどに好評を得て特産物化した。さらに文政の末年には絹綿交織(けんめんこうしよく)の結城縞が生産され,30年(天保1)以降から明治初年まで中心的な産物であった。

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世界大百科事典内の尾西織物の言及

【愛知[県]】より

…また養蚕の奨励によって丹羽郡,葉栗郡および豊橋地区で製糸業が成立し,豊橋は戦前,生糸の生産では全国一であった。一宮町(現,一宮市)で絹綿交織物(まぜおりもの)が,さらに津島町(現,津島市),尾西町(現,尾西市)に毛織物業(尾西織物)が興って繊維工業の基盤が築かれた。この繊維工業が中京工業地帯の中心となり,1965年まで工業製品出荷額の首位を占めてきた。…

【尾張国】より

…1614年開設の下小田井(西枇杷島町)の日市は名古屋城下への青物供給市場であり,近郊農村の商品蔬菜栽培を盛んにし尾張大根切干しは江戸・大坂にも出荷した。代表的な産業は畑作中心の尾西地方の綿作の普及と縞木綿(尾西織物)の生産である。繰綿は商人たちが買い集めて一宮や岩倉の市に出し,ここから北陸や信州に送られ地元でも糸(かせいと)にひかれ,さらに名古屋や知多方面へ運ばれた。…

※「尾西織物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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