山田温泉(読み)やまだおんせん

日本歴史地名大系 「山田温泉」の解説

山田温泉
やまだおんせん

[現在地名]高山村奥山田字牛窪

奥山田本村より一キロ余上流の松川峡谷右岸段丘上に位置する。温泉は更に二キロ上流の谷底から引いている。名称も泉源地から松川まつかわ、引湯地の牛窪うしくぼノ湯となり、山田温泉の名称は、明治二二年(一八八九)の山田村からの名称であろう。更級さらしな郡の上山田かみやまだ温泉に対し下山田しもやまだ温泉ともいわれる。

発見は「上高井郡誌」は応永(一三九四―一四二八)頃とし、「倭田邑史」には、元和五年(一六一九)高井野村堀之内ほりのうちに居館した福島正則が「領内のななくりの隈窪の湯くまくぼのゆ川窪の湯かわくぼのゆ等へも行き、入湯を下知」とある。「千曲之真砂」は「高井郡にあり、方俗は熊久保の湯と云也」としている。


山田温泉
やまだおんせん

[現在地名]山田村湯

うし岳北東麓、集落の西端、山田川沿いに湧出する。泉質は含塩化土類弱食塩泉泉温は摂氏五〇度。効能は「温故集録」に「腰痛・瘡ニ宜敷由」とあり、寛政六年(一七九四)原公隠の「温泉小言」に「異臭異味を帯す、自然天然うふのまゝなる湯のたゝ硫黄の臭気を帯て、あつからすぬるからす」とある。伝承では、一ぴきの猿が病み疲れた猿を背負って山道をたどって谷間へおり、山田川の水辺に立ってわめき叫ぶと仲間の猿の群れがやってきて、病気の猿に湧水をかけてやった。


山田温泉
やまだおんせん

[現在地名]虻田郡倶知安町字山田

ニセコアンヌプリの東麓にある温泉。泉質は含石膏硫化水素泉硫黄泉で、効用はリウマチ神経痛・火傷・皮膚病などとする。明治二七年(一八九四)三月二七日倶知安町入植者の一人山田邦吉が標高三〇〇メートルの地に発見。同年四月、弟和雄および南河幸八の三人連名で許可申請、同三〇年三月山田和雄名義で許可、山田温泉の名称をもって開業した(倶知安町史)。和雄死後、熊谷某・山田タエノらが経営、大正三年(一九一四)岡田乙吉がこれを買収。


山田温泉
やまだおんせん

[現在地名]河東郡鹿追町字瓜幕

鹿追町の北東部、然別しかりべつ湖の上流一・五キロのヤンベツ川右岸にある温泉。大雪山国立公園の南東部に位置し、民間経営の温泉宿が一軒ある。泉温は摂氏約三六度、泉質は単純泉。適応症はリウマチ・神経痛・腰痛・外傷・関節炎など。古くから温泉の所在は知られていたが、明治四〇年(一九〇七)多田権十がアイヌの案内により所在を確認。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山田温泉」の意味・わかりやすい解説

山田温泉(富山県)
やまだおんせん

富山県中央部、富山市山田湯(やまだゆ)にある温泉。山田川の渓流沿いにある。大宝(たいほう)年間(701~704)ごろの発見とも伝えられ、加賀藩主も入湯したという。泉質は塩化物泉。富山駅からバスの便がある。

[深井三郎]


山田温泉(北海道)
やまだおんせん

北海道南西部、後志(しりべし)総合振興局管内の倶知安町(くっちゃんちょう)にある比羅夫温泉の旧称。

[編集部]


山田温泉(長野県)
やまだおんせん

長野県北東部、上高井郡高山村にある温泉。南志賀温泉郷の一つ。松川渓谷右岸の段丘上にあり、1619年(元和5)、この地へ蟄居(ちっきょ)した福島正則(ふくしままさのり)が開いたという。泉質は硫黄泉。付近に山田スキー場がある。長野電鉄須坂(すざか)駅からバスの便がある。

[小林寛義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山田温泉」の意味・わかりやすい解説

山田温泉
やまだおんせん

長野県北東部,白根山西麓,標高 900mにある温泉。高山村に属する。三方を山に囲まれ,松川の谷にのぞむ。泉質は食塩泉。泉温 60℃。付近にはスキー場や牧場がある。志賀高原の南に接し,上流にある五色温泉,七味温泉とともに南志賀温泉郷と呼ばれる。上信越高原国立公園に属する。

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デジタル大辞泉プラス 「山田温泉」の解説

山田温泉

長野県上高井郡高山村、松川渓谷右岸にある温泉。江戸時代初期に福島正則が発見したと伝わる。

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