( 1 )「万葉集」には見えない。「古今集」では、「都」に対する仙境としてのイメージにもとづき、寂寥・孤独の地、憂き世からの逃避先ととらえられた。
( 2 )「拾遺集」以降、山家・山寺・山居など、山里にかかわる歌が一般化し、閑寂な美的世界、文人貴族の趣味的な隠遁生活の場という一面が見られるようになる。
( 3 )「千載集」以降は、仏道修行者が草庵を結んで生活する寂しい場所ととらえる歌が優勢になる。
( 4 )王朝人の草庵への憧憬には漢詩文が大きい影響をもつが、山里の観念の変化の背後には、仏教信仰の深化、浸透という時代の流れが認められる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…(5)御殿 安土城の天主や行幸御殿は,狩野派の手になる金碧障壁画で飾られていたが,大坂城本丸には,その規模をはるかに凌駕する二つの御殿があった。対面所を中心とする表御殿と,秀吉の私的住居である奥御殿がそれで,また山里(やまさと)と称する庭園があり,松林の奥に茶室がつくられていた。このような御殿のつくり方は,大名邸や大名の居城の御殿にうけつがれた。…
…太田川の源流域で,川沿いにわずかに沖積低地が形成される。戦国末期,佐伯郡山間部は山里と呼ばれたが,吉和郷もそのうちに含まれた。1554年(天文23)には吉和山里一揆が毛利氏の支配に抗し,陶晴賢に味方して戦っている。…
※「山里」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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