岐阜(読み)ギフ

デジタル大辞泉 「岐阜」の意味・読み・例文・類語

ぎふ【岐阜】

中部地方西部の県。もとの美濃みの飛騨ひだの2国にあたる。人口208.1万(2010)。
岐阜県南部の市。県庁所在地提灯ちょうちん・うちわ・和傘などを特産し、既製服製造が盛ん。長良ながら鵜飼いは有名。平成18年(2006)1月、柳津町を編入。人口41.3万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「岐阜」の意味・読み・例文・類語

ぎふ【岐阜】

  1. [ 1 ]
    1. [ 一 ] 岐阜県南西部、濃尾平野の北部にある地名。県庁所在地。戦国時代、斎藤道三が金華山に居城をかまえ、城下町を経営したのに始まる。江戸時代から美濃紙、生糸、美濃米の大集散地として繁栄。現在は繊維工業を中心とする商工業都市。長良川の鵜飼は有名。明治二二年(一八八九)市制。
    2. [ 二 ]ぎふけん(岐阜県)」の略。
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙
    1. ぎふぢょうちん(岐阜提灯)」の略。
    2. ぎふぢょうちん(岐阜提灯)
      1. [初出の実例]「湯屋の羽目岐阜と桑名の国堺」(出典:雑俳・柳多留‐一四〇(1835))

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改訂新版 世界大百科事典 「岐阜」の意味・わかりやすい解説

岐阜[県] (ぎふ)

基本情報
面積=1万0621.17km2(全国7位) 
人口(2010)=208万0773人(全国17位) 
人口密度(2010)=195.9人/km2(全国30位) 
市町村(2011.10)=21市19町2村 
県庁所在地=岐阜市(人口=41万3136人) 
県花レンゲソウ 
県木=イチイ 
県鳥=ライチョウ

中部地方の南西部に位置し,長野,富山,石川,福井,滋賀,三重,愛知の7県に囲まれた内陸県。南北約200km,東西約170km。

明治以前の美濃国と飛驒国にあたり,幕末には大垣藩大垣新田藩(1869年野村藩と改称),加納藩郡上(ぐじよう)藩,高須藩,高富藩,岩村藩,苗木藩のほか,尾張藩などの大名領や旗本領も多く,天領を支配する美濃郡代の笠松陣屋と飛驒郡代の高山陣屋が置かれていた。1868年(明治1)明治政府は尾張藩付家老(つけがろう)の竹腰(たけのこし)氏を大名に列して今尾藩を立て,笠松裁判所,ついで笠松県,飛驒県(のち高山県)を置いた。70年高須藩は名古屋藩(尾張藩)に併合され,翌年廃藩置県をへて,美濃国の各県は岐阜県に,高山県は筑摩県に統合されたが,76年筑摩県の廃止とともに現在の岐阜県が成立した。

海老山遺跡(加茂郡富加町)は細石器,尖頭器,ナイフ形石器などを出土する岐阜県に数少ない先土器時代の遺跡の一つである。武儀川に面して開く東海唯一の鍾乳洞遺跡,九合(くごう)洞窟(山県市)は縄文草創期から弥生時代までの遺物を含むが,とりわけ隆起線文,爪形文,撚糸文,押型文土器などを伴う草創期から早期の重要な遺跡である。椛ノ湖(はなのこ)遺跡(中津川市)も草創期の土器と先土器文化的石器を出土する。ひじ山遺跡(高山市)は楕円押型文土器を主とする早期の遺跡である。村山遺跡(高山市)では前期の竪穴住居址が調査されているが,東西日本両系統の土器型式が併存し,この地方の特色を示している。中期では中野遺跡(不破郡関ヶ原町),後・晩期では阿弥陀堂遺跡(下呂市)などがある。

 弥生文化の遺跡は,縄文文化のそれが山間部に多かったのに対して,扇状地から平野部を中心に分布するようになる。中期の庄兵衛田(しようべえでん)遺跡(恵那市)や四郷(しごう)遺跡(安八郡輪之内町)などはそのころの様子を示す。宇田遺跡(岐阜市)は弥生中期から平安時代までの集落遺跡であるが,ことに5~6世紀の水田関連遺構や多数の木製農耕具などが出土している。濃尾平野を見下ろす標高158mの山頂にある瑞竜寺山(ずいりゆうじやま)遺跡(岐阜市)からは〈長宜子孫〉銘内行花文鏡1面が出土し,弥生時代後期の祭祀遺跡ないし墓と考えられている。

 古墳時代では,4世紀代の前期古墳として県下最古の前方後円墳,円満寺山古墳(海津市)や,椿井(つばい)大塚山と同笵の三角縁神獣鏡を出土した径17mの円墳,竜門寺古墳(岐阜市)などがあり,5世紀代の前方後円墳では全長140mと県下最大の規模を誇る大塚古墳(大垣市),同じく第2位,全長115mの琴塚古墳(岐阜市),多数の石釧(いしくしろ)の副葬でも知られる長塚古墳(大垣市)などがある。また6~7世紀代の後期古墳としては124点もの須恵器を出土した全長11.5mの帆立貝式古墳の陽徳寺古墳や,横穴式石室で,土師器,須恵器のほか鉄製武器,馬具,農具をもつ二又1号墳などのほか,後期後半には群集墳も多い。丸山古窯址群(美濃市)は7世紀の古窯址群で,古墳に副葬されているのと同様の須恵器とともに,近在の白鳳期で法起寺式伽藍配置をもつ弥勒(みろく)寺(関市)所用の瓦類が出土し,この地域での群集墳の年代について問題を提起した。美濃須衛(みのすえ)古窯址群(岐阜市,各務原市)も古墳時代から平安時代までの古代窯業生産地として著名であるが,実態はなお明らかでない。美濃国分寺址(大垣市)は法起寺式伽藍配置をもつ。神坂峠(みさかとうげ)遺跡(長野県との県境)は恵那山と神坂山との間の標高1570mの鞍部にある古墳時代から中世に及ぶ祭祀遺跡として有名である。
飛驒国 →美濃国

岐阜県の風土を表すのに飛山濃水(ひさんのうすい)という言葉がある。山の国の飛驒と水の国の美濃ということで,自然環境の特色を簡明に表現している。県域は飛驒から美濃の周辺にかけての広い山地と濃尾平野の一部からなり,面積の約8割が山地で,平地は2割にも満たない。北東部,長野県との県境には標高3000m級の山岳が連なる飛驒山脈(北アルプス)と乗鞍岳,御嶽山などの火山があり,その南に阿寺山地,恵那山地がある。北西部,福井,石川との県境には白山を主峰とする両白山地があり,その南に伊吹山地養老山地鈴鹿山脈が続く。これらの県境山地の間にはやや標高の低い飛驒高地と美濃三河高原がある。濃尾平野は木曾川,長良川,揖斐(いび)川の三大河川が形成した平野で,山地を出たところに扇状地,その下流に自然堤防と後背湿地の混在する地帯,さらに低平な三角州地帯となる。

 この標高差の大きい変化に富む地形の影響もあって,気候の差異も著しい。飛驒地方北部から北西部の石川,福井県境山地では高度を増すほど夏季冷涼で,冬季は寒さがきびしく,積雪が多い。美濃地方南部では夏季は全般的に高温で,冬季は平野部は温暖であるが,南東部丘陵地帯は内陸性をおびて夜間の冷えこみが厳しい。梅雨期から台風期にかけては美濃北部山地の降水量が月平均400mm以上ときわめて多い。

 広大な山地や峡谷は近代交通の障壁となって,これらの地方の開発を遅らせたが,高山本線の開通(1934)や近年における幹線道路や山地奥への道路網の整備によって山地資源の開発が急速に進められた。とくに山岳地帯は他に類を見ない山岳景観,林相,高山植物などに恵まれ,中部山岳国立公園(1934),白山国立公園(1962)に指定されてからは,登山自動車道,ロープウェーなどが開設され,周辺の温泉地,スキー場などの開発が進んだ。また,木曾川上流の峡谷には昭和10年代から笠置,兼山,丸山などの水力発電所が相次いで建設され,その付近とともに木曾川中流の日本ライン,飛驒川上流の中山七里などの名勝地が1964年飛驒木曾川国定公園に指定された。

 濃尾平野における木曾川以西の美濃側は美濃平野とも呼ばれ,南西部はとくに長良川,揖斐川が集まって流れる低湿地で,古来絶えず洪水に悩まされてきた。近世になって慶長年間(1596-1615)木曾川東岸に御囲堤が築かれたこと,下流部の三角州地帯の新田開発が進むにつれて河道が固定され川幅が狭まったことなどで,美濃南西部の水害はさらに増大した。またこの地は複雑に細分された諸領にまたがっていたため大規模な治水工事は難しく,その自衛策として集落や水田を堤防で囲む輪中(わじゆう)が発達したところである。宝暦年間(1751-64)に幕府の命令で薩摩藩が多大の犠牲(宝暦治水事件)をはらって治水工事を行ったが,抜本的な解決にはならなかった。本格的な三川分流工事は明治になって1887年にようやく着工され,明治末に完成した。以来河川改修,堤防補強,排水機増設が続けられて,水害の心配は少なくなり,輪中の形態や数は変化したが,現在でもその卓越地域となっている。この治水の進展にともなって美濃平野では土地改良が進められ,全県の2割に満たない面積で県内の米や野菜など耕種生産の約5割を生産する農業地帯となった。県全体の耕地面積(1996)では76.0%が水田,13.1%が普通畑,8.7%が樹園地となっている。平野部の畑作では,ダイコンサトイモエダマメなどの栽培が多く,畜産では木曾川,長良川沿いの低地の乳牛飼育,多治見市,瑞浪(みずなみ)市などの都市周辺の養鶏,養豚に特徴がみられる。県特産の富有柿を主とする果樹栽培は山麓斜面へもひろがり,北部の山地では飛驒の豊かなヒノキ,杉などの林産のほかホウレンソウ,トマトなどの野菜に乳牛,肉牛飼育を組み合わせた高冷地農業が行われている。

県内の産業別就業人口は第1次産業5.1%,第2次産業44.0%,第3次産業50.4%(1990)で,全国的な傾向と類似している。重要な工業生産品は機械器具,窯業土石,金属,家具木工,繊維関係などで,全体として軽工業が従業員数,製造品出荷額ともに6割強を占める。近年重化学工業が増加しているが,内陸県のため軽工業がなお優位を占めている。これらの主要な軽工業の多くは,近世から各地にあった在来の工業が発展して,地域的に集積度の高い地場産業となったもので,それぞれの地方の主要産業となっている。

 繊維関係の工業は1889年開通の東海道本線沿線に発達し,そのうち規模の大きい紡績工場は大垣市付近に,毛織物を主とする各種織物工場は木曾川沿いの羽島市付近に,衣服の縫製工場は岐阜市を中心に集まっている。紡績工場は大垣市付近の豊富な地下水などの立地条件にひかれて大正になってから設立されたものであるが,木曾川沿いの織物地帯は近世の農村家内工業から発展した歴史をもつ。岐阜市を中心とした衣服の縫製業は,第2次大戦後急成長した既製服問屋街とともに発達した。この問屋街は,海外引揚者が国鉄岐阜駅前の一画で古着や軍放出物を売ったことに始まり,後に家庭着や仕事着を製造販売するようになった。今では1000軒をこえる各種既製服などの問屋が集まり,全国屈指の既製服製造卸売業地を形成している。県内の鉄道は明治末に中央本線,大正期から昭和初めにかけては高山本線,越美南線(現在,長良川鉄道線)および名古屋鉄道各線も開通して,沿線の産業の近代化に役立った。

 美濃焼と呼ばれる和洋陶器や各種タイルの陶磁器の生産は東濃地方の多治見市,土岐市,瑞浪市など中央本線沿いで行われている。この地方は良質の陶土を産出し,戦国時代末に南隣の尾張瀬戸から製法が伝えられて近世には織部,志野,黄瀬戸などの名器を生産した。明治以降は多種類の飲食器を地域分業で生産し,近年製造方法の改良などで大量生産をするようになって全国屈指の窯業地となり,内需ばかりではなく輸出にも大きく依存している。高山本線沿いでは家具などの木材木工業が高山市を中心に行われている。飛驒の豊富な木材を利用して伝統的な技術や新技術を開発し多種多様な製品を製造していたが,戦災復興期の国内需要の増加で急速に発展した。資材を天日乾燥する工場が多いが,近代施設をもつ輸出家具を製造する大規模工場もある。長良川鉄道線沿いでは刃物,金属洋食器などの金属工業が関市とその周辺で行われている。製品は製造工程ごとに下請けに回され,農村部まで下請工場が及んでいる。その他,地場産業として規模は小さいが,美濃市の和紙(美濃紙)の生産,恵那市の旧山岡町を中心に全国2位で約3割の産額(1996)を占める寒天製造業がある。

 機械器具の生産は近年増加しているが,なかでも輸送用機械器具は愛知県挙母(ころも)町(現,豊田市)で昭和10年代に始められた自動車工業が発展拡大して岐阜県内にも下請工場が増加した。とくに南部の各務原(かかみがはら)市,可児(かに)市,大垣市では主要産業となり,羽島市,岐阜市には部品工場も多い。各務原市には川崎重工業岐阜工場(旧,川崎航空機工業)があって,第2次大戦後に航空機製造の経験を生かしてバスの車体の生産に着手し,それに関連する大小の下請工場が集まり,また,航空機の生産も開始している。電気機械器具の生産は大企業の組立工場,部品工場が進出しているが,なおその数は少なく,東海4県(静岡,愛知,岐阜,三重)では最も遅れている。

県内は歴史的背景の違いから美濃地方と飛驒地方に大別され,美濃地方は自然条件および中心となる都市と周辺の町村との交通,産業,行政などによる結びつきから中濃地方,西濃地方,東濃地方に分けられている。

(1)中濃地方 県の南中央部,長良川および木曾川流域の美濃平野東部と周辺の山地からなる。岐阜市を中心に各務原,羽島,美濃,関,美濃加茂,山県,郡上の8市と周辺の町が含まれる。それぞれの市を中心に繊維,自動車関連,刃物など特色のある工業が発達し,農業では扇状地を利用した畑作が盛んで,北部山地を除いては人口は増加をたどっている。県人口の5割強を占め,県内で最も人口の多い地方である。岐阜市は戦国時代に織田信長の居城の地で,近世には商業地として栄えたが,1876年に県庁所在地となってから急速に発展した。東海道本線,高山本線,名鉄各線など岐阜市を中心とする交通網が整備されて,中濃地方全域を通勤圏,小売商業圏として,全国屈指の既製服製造卸売業が発達している。伝統的な長良川の鵜飼いは市内で観光用に5~10月の半年間行われる。またこの地方の南部では岐阜駅を経由して名古屋市との交通が便利なため通勤者が多く,宅地化が進んでいる。

(2)西濃地方 県の南西部,揖斐川流域の美濃平野西部と周辺の山地からなり,大垣市を中心に周辺の町が含まれる。山地部の人口は減少をたどり,平野南西部は低湿地で古来水害に悩んできた。明治以降の大規模な治水事業の進展にともない,大垣市とその周辺に紡績工場などが進出し,その南と北では水稲を主とした農業が発達して人口が漸増するようになり,現在では県人口の約2割を占めている。この地方は福井,滋賀,三重,愛知の4県と境を接し,古来東西文化の接点となってきた。とくに関ヶ原の狭隘地付近は京畿防衛の地および東西勢力の接触地として早くから開け,古代には不破関が置かれ,近世には関ヶ原の戦が行われたところで,今も東海道本線,同新幹線,名神高速道路の通じる東西交通の要地となっている。大垣市は近世に戸田氏10万石の城下町,美濃路の宿場として発展し,近代になってからも市を中心に樽見鉄道線,名鉄および近鉄各線など南北の交通網が整備されて,この地方の中心地となった。

(3)東濃地方 県の南東部,木曾川以南の丘陵地からなり,多治見,土岐,瑞浪,恵那,中津川,可児の6市と周辺の町村が含まれる。集落は土岐川と丘陵間の盆地に散在し,窯業とそれに関連する従業者が多く,県全体の製造業従業者の約2割を占める。各都市の中核地は,中山道時代の宿場,町屋から発達し,中央本線の駅がおかれてからは周辺の物資の集散地となったところである。それぞれの都市が名古屋と直接交通路で結ばれるため,古くからその結びつきは強く,1970年代には名古屋鉄道の複線電化,中央自動車道の開設などで時間距離が短縮したため,その結びつきは東部にまで及んでいる。

(4)飛驒地方 県の北部,高山市を中心に周辺の旧飛驒国一円の市と村からなる。木材木工業,高冷地農業,肉牛飼育などが行われるが,この地方の全域が山地で人口は希薄であり,県人口の1割にもみたない。この地方は古くから美濃と越中にも街道が通じ,閉鎖された山国ではなかったが,主要街道には遠く,近代に入ってからも昭和初めまで鉄道(高山本線)が開通せず開発が遅れた。このことは自然や文化遺産,山村の生活の様子を現在まで保存する好条件となり,交通が整備されてからは観光地として知られるようになった。中部山岳および白山国立公園周辺の自然,近世の城下町高山市街の京風の町屋筋や寺町筋,日下部家,吉島家の重厚な町屋建築,豪華な屋台を繰り出す春秋の高山祭などの文化遺産,明治まで大家族制のあった白川郷の合掌造の民家などがその代表的なものである。
執筆者:



岐阜[市] (ぎふ)

岐阜県南西部にある市で,県庁所在都市。2006年1月旧岐阜市が柳津(やないづ)町を編入して成立した。人口41万3136(2010)。

岐阜市の大部分を占める旧市で,県庁所在都市。1889年市制。人口39万9931(2005)。中心市街地は濃尾平野北部,長良川の扇状地の扇頂部に位置し,戦国時代斎藤道三が金華山(稲葉山)に城を築き,その城下町から発達した。1567年(永禄10)織田信長が斎藤氏を亡ぼして入城し,それまで井ノ口と称していた町を岐阜と改め,職人,商人を集めて城下町を繁栄させた。織田氏が亡びて城は中山道宿場の加納に移され,江戸時代の岐阜は尾張藩領の町人の町として再出発し,また谷口集落として長良川の舟運による物資の集散地の機能を果たした。1873年(明治6)県庁がおかれてから町は急速に拡大し,89年に東海道本線が全通してから昭和初期にかけて高山本線,名古屋鉄道各線が岐阜を起点にして敷設され,近年には国道,県道の整備が進んで県内の中心都市としての性格を強めた。商工業も盛んになり,なかでも顕著なのは東京,大阪と並んで全国的な販路をもつ既製服を主とした繊維製品の卸売問屋とその縫製工場および周囲の地域に広い商圏をもつ小売店の発達である。繊維製品の問屋は岐阜駅前の一区画に集中しているが,これは第2次大戦後に海外引揚者がこの地で始めてから急速に発展したもので発生は新しい。繊維問屋街の販売機能の拡大にともない,製品供給源である縫製工場も市内外に急速に増加し多種多様の製品を製造している。小売業の中心地は柳ヶ瀬(やながせ)で,デパート,各種の専門店のほかに飲食店,映画館,パチンコ店などのサービス業が密集する繁華街となっている。特産品には加納を中心に近世から行われる和傘,旧市内の岐阜ちょうちん,うちわがある。市内には金華山,岐阜公園などの名勝,史跡があり,長良川では夏に毎夜鵜飼いが行われ,内外からの観光客が多い。
執筆者:

関ヶ原の戦で石田方にくみした織田秀信の岐阜城が陥ちて以後,城は廃され,岐阜町は天領をはじめ美濃国支配のための国奉行大久保長安の,長安没後は同じく総奉行岡田善同(よしあつ)の役所所在地として重きをなした。1619年(元和5)岐阜町は美濃国内の5万石とともに尾張藩に給せられ,岡田善同は本拠地可児郡姫郷に移った。95年(元禄8)には岐阜奉行が新設されて,尾張藩の岐阜町統治が本格的にはじまった。関ヶ原戦後は,すぐ南に加納藩が成立し,加納町や中山道が重きをなすにつれて,岐阜町は少なからぬ影響をうけたが,織田信長時代以来の城下町であったという伝統がいきており,刀,絹などの生産や京,大坂と取引する商人が少なくないなどの特色があり,また長良川による材木や荷船の港として,あるいは将軍家などに尾張藩が献上する鮎ずしの製造元が岐阜町にあるなど,岐阜町のもつ商業的機能は重要なものがあり,藩の流通政策上に占めた位置も大きかった。
執筆者:

岐阜市南西端の旧町。旧羽島郡所属。人口1万3436(2005)。濃尾平野のほぼ中央に位置し,木曾川と長良川に挟まれ,中央を境川が流れる。町域全体が境川のはんらん原で,後背湿地と自然堤防が混在し,自然堤防上に集落が発達している。東部に名鉄竹鼻線が通じる。平安時代以降,多くの洪水の記録があり,とくに1586年(天正14)の大洪水では,木曾川の流路が変わって現在のものになり,それ以前の本流は境川となった。柳津は近世以来の美濃縞の産で知られる機業地で,比較的小規模な織物工場が立地する。旧佐波(さば)村地区は農家が多く,イチゴを特産する。1971年に建設された岐阜天文台がある。
執筆者:

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旺文社日本史事典 三訂版 「岐阜」の解説

岐阜
ぎふ

岐阜県南西部にある県庁所在地
室町・戦国時代,稲葉山には美濃国守護土岐氏の重臣斎藤氏の居城があった。1567年織田信長が入城して岐阜と改め,城下町として栄えた。関ケ原の戦い後廃城となり,以後商工都市として発達した。1889年市制を施行。

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世界大百科事典(旧版)内の岐阜の言及

【策彦周良】より

…詩文集に《謙斎詩稿》《南遊集》《謙斎雑稿》《城西聯句》などがあり,《策彦和尚初渡集(入明記初渡集)》《策彦和尚再渡集(入明記再渡集)》の両書は,1539年(天文8)遣明副使として,47年正使として入明し,日明外交使節で活躍したときの記録である。大内義隆や武田信玄の優遇を受け,また織田信長にあつく帰依され,岐阜の地名は信長の要請を受けて撰したことで知られている。【竹貫 元勝】。…

※「岐阜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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