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岡倉士朗【おかくらしろう】
演出家。英語学者岡倉由三郎〔1868-1936〕の三男として東京に生まれる。立教大学英文科卒業後,新築地劇団に入り,1937年《土》,翌年《綴方教室》などを演出。戦後は山本安英のぶどうの会創立に参加,木下順二作の《夕鶴》などを手がけた。また劇団民芸の演出部員としても活躍。
→関連項目福田善之
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岡倉士朗 おかくら-しろう
1909-1959 昭和時代の演出家。
明治42年9月24日生まれ。岡倉由三郎の3男。昭和4年新築地(しんつきじ)劇団に参加,「土」「綴方教室」を演出。15年治安維持法違反で検挙される。戦後,山本安英(やすえ)らとぶどうの会を結成,民衆芸術劇場(のち劇団民芸)の創設にも参加。木下順二作「夕鶴」などを演出した。昭和34年2月22日死去。49歳。東京出身。立大卒。著作に「演出者の仕事」。
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世界大百科事典内の岡倉士朗の言及
【民芸】より
…正式名称は〈劇団民芸〉。1950年,〈民衆芸術劇場〉(1947創立)を解消・発展するかたちで,宇野重吉(1914‐88),滝沢修(1906‐ ),森雅之(1911‐73),岡倉士朗(1907‐59),北林谷栄(1911‐ )らによって創立された。久保栄,三好十郎,木下順二らの創作劇や,A.ミラー《セールスマンの死》,《アンネの日記》,イプセン《民衆の敵》,A.N.アルブーゾフ《イルクーツク物語》などの翻訳劇で地歩を固め,昭和20年代,30年代を通じ,新劇界の中枢的劇団として多くの人々に親しまれた。…
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