デジタル大辞泉 「岩代」の意味・読み・例文・類語 いわしろ〔いはしろ〕【岩代】 旧国名の一。現在の福島県西部にあたる。明治元年(1868)陸奥むつから分国。名は、石背いわせを「いわしろ」と誤読したことによるという。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「岩代」の意味・読み・例文・類語 いわしろいはしろ【岩代・磐代】 [ 一 ] 福島県西部および中北部の旧国名。明治元年(一八六八)陸奥国の五分割によりできた国の一つ。会津、二本松、福島の三藩があった。[ 二 ] 和歌山県南西部、みなべ町の地名。結松(むすびのまつ)の伝説地。[初出の実例]「磐白(いはしろ)の浜松が枝を引き結びまさきくあらばまたかへり見む」(出典:万葉集(8C後)二・一四一) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「岩代」の解説 岩代いわしろ 和歌山県:日高郡南部町岩代南部町の西部海岸沿いの地をいう。「続風土記」は地名について「海上に岩多きによれるなるへし」と記す。斉明天皇四年一一月、天皇と中大兄皇子が紀温湯(きのゆ)(現西牟婁郡白浜町)へ行幸中、都で有間皇子が謀反をはかったとして捕らえられ、詮議のため紀温湯に護送された(日本書紀)。この途次、有間皇子が海岸の松の枝を結び行く末の無事を祈ったのが岩代の地で、「万葉集」巻二に<資料は省略されています>他一首皇子の歌が載る。皇子は中大兄皇子の尋問ののち、藤白(ふじしろ)坂(現海南市)で処刑されたが、以後、岩代は多くの歌に詠まれた。「万葉集」巻二には、前掲歌をうけた<資料は省略されています>などの歌が載る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩代」の意味・わかりやすい解説 岩代いわしろ 福島県北東部,二本松市南東部の旧町域。 1955年小浜町と新殿村,旭村の2村が合体して岩代町が成立。 2005年二本松市,安達町,東和町と合体して二本松市となった。阿武隈高地西斜面にあるため,耕地が少なく,畜産特に黒和牛の出荷が主産業。米作,養蚕,タバコ栽培も行なわれる。杉沢の大スギは国の天然記念物に指定。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報