精選版 日本国語大辞典 「岳飛」の意味・読み・例文・類語
がく‐ひ【岳飛】
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中国、南宋(なんそう)建国期の武将。字(あざな)は鵬挙(ほうきょ)。相州湯陰(とういん)(河南省)の人。貧しい農家に生まれる。北宋末、金(きん)軍の侵入に対して各地に義勇軍がおこったが、岳飛は1122年にこれに応募し、たび重なる金との戦いや国内の農民反乱の平定に軍功をあげて、34年に節度使(せつどし)に任ぜられ、異例の出世を遂げた。36年、襄陽(じょうよう)(湖北省)に在駐してのち、宣撫使(せんぶし)に昇格すると、本格的に管内の軍事、行政、財政の三権を掌握して、南宋政府に対抗できるほどの一大軍閥に成長した。岳飛、韓世忠(かんせいちゅう)ら軍閥諸勢力は金との抗戦を主張したが、41年、和平論を主導する宰相秦檜(しんかい)は、軍閥間の対立を利用して、その実権を奪い、文官による中央集権政治の回復を図った。とくに諸将軍中もっとも強硬であった岳飛は、謀反を口実に獄死させられた。しかし死後、その無実はそそがれた。岳飛は当時の武将には珍しく学問があり、また書家としても一流であった。後世、岳飛廟(びょう)に祀(まつ)られ救国の英雄として親しまれている。
[伊藤宏明]
『外山軍治著『岳飛と秦檜』(1939・冨山房)』
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1103~41
南宋初めの武将。相州湯陰(河南省湯陰県)の人。農民の子に生まれ,北宋末以来の宋・金の戦乱で武功を立て,湖北一帯を領する軍閥となったが,和議派の宰相秦檜(しんかい)の手で獄死した。後世民族の英雄として崇敬されている。
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…朱仙鎮の名は11世紀半ばにみられ,戦国時代の人朱亥の居仙人荘に由来する。1140年(紹興10)金と戦った岳飛が,旧都開封を指呼に望むここから軍を返したことで有名だが,実際は岳飛ははるか南の偃城(えんじよう)から撤退している。元代賈魯河(かろが)の水運の利用とともに商業集落として著しく発達し,清代中期には,漢口,仏山,景徳と並ぶ中国四大鎮の一つとなった。…
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