山頂には中世の嵐山城跡、北中腹に千光寺、東麓に法輪寺、渡月橋付近の
嵐山は、大井川やその対岸
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市西郊の景勝地。嵯峨野(さがの)を流れる大堰(おおい)川(桂(かつら)川)の南岸に位置する標高381メートルの山をいうが、一般には渡月橋(とげつきょう)より上流を大堰川、下流を桂川とよび、その南岸一帯の山地を嵐山、あるいは「らんざん」とよんでいる。古来山水の美を兼ねた景勝地として名高く、春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季を通じて風光に優れ、国指定の史跡・名勝として、観光客が絶えない。渡月橋は長さ154メートル、嵐山の優美な山容と大堰川の清流を展望できる。渡月橋から上流の大堰川右岸には、芭蕉(ばしょう)の「花の山二丁上れば大悲閣(だいひかく)」の句にうたわれた千光寺がある。千光寺はもと嵯峨の清凉寺(せいりょうじ)にあったものを、大堰川舟運開通に功のあった角倉了以(すみのくらりょうい)が現在地に移建して大悲閣を建立したもので、大悲閣には了以の木像が安置されている。渡月橋の南には、寺伝によれば行基(ぎょうき)創建という法輪寺(ほうりんじ)がある。4月13日を中日とした1ヶ月と10月から11月の間には「十三詣(じゅうさんまい)り」と称して、13歳になった子供が法輪寺の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に知恵と福徳を授かるために、盛装して参詣(さんけい)する。背後の山地には野猿が餌(え)づけで集まる岩田山自然遊園地がある。嵐山には、京都方面からはJR山陰本線のほかに京福電鉄、市バスが通じ、大阪方面からは阪急電鉄嵐山線が桂(かつら)から分岐している。また大堰川沿いに嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)が走る。
[織田武雄]
埼玉県中央部、比企郡(ひきぐん)にある町。1967年(昭和42)菅谷(すがや)村が町制施行して嵐山町と改称。町名の由来は、町域を流れる槻(つき)川の景勝地を武蔵嵐山(むさしらんざん)と称したことによる。東武東上線と国道254号が通じ、関越自動車道嵐山小川インターチェンジがある。南北に細長い町で、北部は比企北丘陵、中央部は東松山台地、南部は比企南丘陵と変化に富み、県立比企丘陵自然公園の中心に位置する。中世から開発された土地で、鎌倉街道が通り、都幾(とき)川河畔にある畠山重忠(はたけやましげただ)の菅谷館跡(すがややかたあと)をはじめとする比企城館跡群は国指定史跡。また、向徳寺(こうとくじ)の銅造阿弥陀如来(あみだにょらい)および両脇侍(わきじ)立像は国の重要文化財に指定されている。農業は米麦作を中心に、酪農が盛んで乳業工場がある。都心から60キロメートル圏にあり、交通の便のよいところからしだいにベッドタウン化が進み、人口も増加した。菅谷館跡付近には、国立女性教育会館(NWEC)や県立嵐山史跡の博物館がある。面積29.92平方キロメートル、人口1万7889(2020)。
[中山正民]
『『嵐山町誌』(1983・嵐山町)』
能の曲目。初番目・脇能物(わきのうもの)。五流現行曲。金春禅鳳(こんぱるぜんぽう)の作。吉野から移植した嵐山の桜を視察にきた勅使がワキ。木守(こもり)、勝手(かって)の吉野の両神が老人夫婦の花守の姿(前シテ、前ツレ)で現れ、太平の世を喜び、花をたたえて去る。両神は後段では後ツレ(子方で演じることも)として本体をみせ、桜の枝をかざして相舞(あいまい)を舞う。後シテの悪魔降伏(ごうぶく)の荒々しい蔵王権現(ざおうごんげん)が出現し、豪快な演技で国土を祝福し、衆生を守る威光を舞い上げる。同じ脇能でも世阿弥(ぜあみ)の『高砂(たかさご)』の凛然(りんぜん)、『老松(おいまつ)』の閑寂な主張とは異なり、ショー的な舞台面の華やかさにねらいがある。にぎやかな猿の婿入りの場面が、大ぜいの狂言方によって挿入される演出もある。
[増田正造]
京都市西京区にある山。摂丹山地の東端にあたり,保津川(保津峡)が京都盆地に出る地点の南岸に位置し,北岸の小倉山と相対する。古生層からなり,標高375m。山頂には中世の嵐山城跡,東麓には嵯峨の虚空蔵さんといわれる法輪寺,北麓には角倉了以の木像を安置する大悲閣がある。対岸とは渡月橋で結ばれており,一帯は1927年に史跡・名勝に指定された。平安時代から紅葉の名所として知られ,三船祭のような貴族の船遊びの場所でもあった。13世紀に後嵯峨上皇が亀山(小倉山南東の尾根)の仙洞に吉野の桜を移植してからは桜の名所としても有名になった。後嵯峨上皇の亀山殿の位置には,足利尊氏によって天竜寺が建立されているが,同寺開山の夢窓疎石作という庭園は,背後の亀山と嵐山を借景としている。近世には保津川が丹波からの木材などの水運に使用され,また庶民の行楽地となって河畔に宿もできた。
執筆者:金田 章裕
能の曲名。脇能物。神物。金春禅鳳作。前ジテは木守(こもり)明神の化身。後ジテは蔵王権現。勅命を受けた廷臣(ワキ)が,嵐山の桜の開花の様子を見に赴く。来かかった花守の老夫婦に言葉をかけると,ここの桜は吉野の桜を移植したものなので,吉野山の神々がときおり来臨するのだと説明し,自分たちも実は木守明神(前ジテ)・勝手(かつて)明神(前ヅレ)の夫婦の神だと打ち明けて去る。夜に入ると,木守・勝手が若い男女の神姿で現れ,花をめでて舞を舞う(〈ワタリ拍子・天女ノ舞〉)。やがて蔵王権現(後ジテ)も威容を現し(〈早笛〉),三神実は一体だというその姿を示し,国土の繁栄を祝福する(〈ノリ地〉)。前場・後場の間に演ずる《猿聟(さるむこ)》は,現在では特別の演出としてだけ用いるアイだが,独立の狂言として演じることもある。
執筆者:横道 万里雄
埼玉県中央部,比企郡の町。1967年菅谷村が町制,改称。人口1万8887(2010)。比企北丘陵の西部を占め,町域の南部を槻川,都幾川が東流する。槻川が結晶片岩の岩盤を刻んでつくる穿入蛇行谷は京都の嵐山に似た景勝地で,武蔵嵐山と呼ばれる。中心集落の菅谷は中世には鎌倉街道に沿う交通の要衝で,畠山重忠の居城菅谷館跡(史)がある。農業が主体の町で米作が盛ん。近年,東武東上線沿いに住宅地開発が進み,人口が増加している。向徳寺の銅造阿弥陀如来および両脇侍立像は重要文化財。関越自動車道の嵐山小川インターチェンジがあり,国道254号線バイパス沿いに国立婦人教育会館(現,国立女性教育会館)がある。町の南部は県立比企丘陵自然公園に属する。
執筆者:千葉 立也
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…後ジテは蔵王権現。勅命を受けた廷臣(ワキ)が,嵐山の桜の開花の様子を見に赴く。来かかった花守の老夫婦に言葉をかけると,ここの桜は吉野の桜を移植したものなので,吉野山の神々がときおり来臨するのだと説明し,自分たちも実は木守明神(前ジテ)・勝手(かつて)明神(前ヅレ)の夫婦の神だと打ち明けて去る。…
…美少年が小歌,曲舞(くせまい),羯鼓(かつこ)などの芸能を尽くす《花月》,武士の鬼退治をみせる《土蜘蛛》,天人の舞が中心の《羽衣》など,人間の心理や葛藤を描くよりも見た目のおもしろさや舞台上のはなやかな動きを中心とした能を指し,広い意味では脇能(神霊が祝福を与える内容)も含まれる。なかでも観世信光作《玉井(たまのい)》《竜虎(りようこ)》《愛宕空也(あたごくうや)》,金春禅鳳(こんぱるぜんぽう)作《嵐山》《一角仙人》,観世長俊作《江野島(えのしま)》《輪蔵(りんぞう)》などは,華麗な扮装の神仏,天仙,竜神などが次々と登場して舞台を動き回り,大がかりな仕掛けの作り物を活用し,アイ(間)も《玉井》の〈貝尽し〉,《嵐山》の〈猿聟〉,《江野島》の〈道者〉のように,にぎやかにくふうを凝らす(ただし,今日これらのアイは特別な場合しか上演しない)など,全体がスペクタクル・ページェント・ショーとして統一されている。日本では,スペクタクルやショーに類するものを古来〈風流〉と称したので,この種の能を風流能と名づけた。…
※「嵐山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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