改訂新版 世界大百科事典 「嵯峨院」の意味・わかりやすい解説
嵯峨院 (さがいん)
京都の西,嵯峨に設けられた嵯峨上皇の別荘。嵯峨山荘,嵯峨別館などとも呼ばれた。大覚寺の前身。嵯峨天皇は唐風文化の興隆につとめたが,みずからは風流を好み,晩年を嵯峨院で送った。嵯峨院の名は在位中の文献に見え,帝位にあるときに離宮として設営され,文人たちを召して詩賦を催したりしている。823年(弘仁14)に譲位した後,834年(承和1)嵯峨院内に新造御所を造営し,それまで後院(ごいん)としていた冷泉院からここに移り,8年後の842年にここで没した。その間,皇后の橘嘉智子も同居した。なお,嘉智子が建立した檀林寺も嵯峨にあった。嵯峨の地が平安時代,皇族,貴族の遊興の地となるその濫觴(らんしよう)は嵯峨院に求めることもできる。大覚寺は天皇の没後30年ほどして,皇女の正子内親王が離宮を寺院に改めたもの。大沢池北100mの名古曾の滝は,1984年の発掘で遣水の跡が検出され,大沢池,中島とともに苑池を形成していたことが確認された。
執筆者:朧谷 寿
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報