川崎 卓吉(読み)カワサキ タクキチ

20世紀日本人名事典 「川崎 卓吉」の解説

川崎 卓吉
カワサキ タクキチ

昭和期の政治家,内務官僚 文相;商工相;民政党幹事長;貴院議員(勅選)。



生年
明治4年1月18日(1871年)

没年
昭和11(1936)年3月27日

出生地
安芸国(広島県)

学歴〔年〕
東帝大学法科大学独法科〔明治36年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等

経歴
大学院に学んだのち明治40年内務省に入り、静岡県小笠郡長、警視庁警務部長、福島県知事、台湾総督府内務部長、同警務部長、同殖産局長、名古屋市長などを歴任。大正13年内務省警保局長、14年内務次官、15年勅選貴院議員。昭和2年憲政会(直後に民政党)に入党。4年浜口内閣の法制局長官、6年第2次若槻内閣書記官長。7年民政党総務、幹事長、11年岡田内閣文相、次いで広田内閣の商工相となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「川崎 卓吉」の解説

川崎 卓吉
カワサキ タクキチ


肩書
文相,商工相,民政党幹事長,貴院議員(勅選)

生年月日
明治4年1月18日

出生地
安芸国(広島県)

学歴
東帝大学法科大学独法科〔明治36年〕卒

経歴
大学院に学んだのち明治40年内務省に入り、静岡県小笠郡長、警視庁警務部長、福島県知事、台湾総督府内務部長、同警務部長、同殖産局長、名古屋市長などを歴任。大正13年内務省警保局長、14年内務次官、15年勅選貴院議員。昭和2年憲政会(直後に民政党)に入党。4年浜口内閣の法制局長官、6年第2次若槻内閣書記官長。7年民政党総務、幹事長、11年岡田内閣文相、次いで広田内閣の商工相となった。

受賞
勲一等

没年月日
昭和11年3月27日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川崎 卓吉」の意味・わかりやすい解説

川崎卓吉
かわさきたくきち

[生]明治4(1871).1.18. 広島
[没]1936.3.27. 東京
官僚,政治家。東京帝国大学卒業後内務省に入り,警視庁警務部長,福島県知事,台湾総督府内務部長,名古屋市長,警保局長,内務次官などを歴任ののち,1929年浜口内閣の法制局長官となった。その後第2次若槻内閣の書記官長,岡田内閣の文相,広田内閣の商工相を歴任したが,この間立憲民政党に属し,総務,幹事長など党務要職にもついた。伝記編纂会編『川崎卓吉』がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川崎 卓吉」の解説

川崎卓吉 かわさき-たくきち

1871-1936 明治-昭和時代前期の官僚,政治家。
明治4年1月18日生まれ。内務省にはいり,福島県知事,名古屋市長,内務次官などを歴任。大正15年貴族院議員。昭和10年民政党幹事長に就任後,岡田内閣の文相,広田内閣の商工相をつとめた。昭和11年3月27日死去。66歳。安芸(あき)(広島県)出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「川崎 卓吉」の解説

川崎 卓吉 (かわさき たくきち)

生年月日:1871年1月18日
昭和時代の内務官僚;政治家。内務次官
1936年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報