精選版 日本国語大辞典 「帝国議会」の意味・読み・例文・類語
ていこく‐ぎかい ‥ギクヮイ【帝国議会】
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大日本帝国憲法(明治憲法)における議会をいう。議会制度は、イギリスにおける中世の等族会議がしだいに発展して近代的議会制度を成立させ、のちに欧米諸国が市民革命期以降それぞれの憲法制度に採用することとなった。わが国においても明治維新後「五か条の誓文」中に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と定めて以来、下ノ議事所、下局、公議所、集議院、太政官(だいじょうかん)左院などを経て、1875年(明治8)には元老院を設置して立法の審議などを行わしめた。しかし、これらの機関はいずれも公選議員により組織されたものでなく、国民代表機関ではなかった。この前年、自由民権運動の高揚とともに板垣退助らは、民撰(みんせん)議院設立の建白書を公にし、官吏の専制を排して速やかに議会を開設すべきことを主張した。76年には元老院に対して憲法草案の作成を命ずる勅語が下され、これに基づいて元老院は国憲草案を作成したが採用されなかった。1881年政府は勅諭を発して、90年に憲法を制定し議会を開設することを約し、翌82年伊藤博文(ひろぶみ)らをヨーロッパに派遣し、欧米ことにドイツ憲法の調査を行わしめた。89年、大日本帝国憲法が発布され、翌90年11月29日憲法の施行と同時に、第1回帝国議会が開会された。なお、地方議会については、1877年制定の府県会規則および80年制定の区町村会法によって帝国議会より先に設置された。明治憲法は、当時のヨーロッパの立憲君主制諸国の憲法に比しても、とりわけ強い君権主義的傾向を有するものであり、したがって議会の地位は低く、その権限はきわめて制限されたものであったが、わが国最初の議会制としての意義は大きい。
[山野一美]
帝国議会は貴族院および衆議院の両院からなり(大日本帝国憲法33条)、貴族院は貴族院令の定めるところにより皇族、華族および勅任の議員をもって組織された(同法34条)。貴族院令は、1889年、憲法と同時に制定され、その後数次の改正が行われたが、1925年(大正14)の改正では、(1)皇族議員(成年に達したすべての皇族男子)、(2)公侯爵議員(公侯爵を有する満30歳以上の者)、(3)伯子男爵議員(伯子男爵を有する者より選挙された議員で任期7年、伯子男爵各66名)、(4)終身の勅選議員(国家に勲労ありまたは学識ある者から勅選される満30歳以上の男子で125名以内)、(5)帝国学士院会員議員(帝国学士院会員中より互選し、その結果により勅任される任期7年の議員4名)をもって構成された。すなわち、世襲制の貴族(皇族、華族)と勅任制の高官を中心とする特権階層よりなる貴族院は、公選議員によって構成される衆議院を抑制し、天皇制や藩閥政治の藩屏(はんぺい)としての役割を担うものであった。また衆議院は公選議員をもって組織されたが、選挙法は、当初、選挙権・被選挙権とも一定の納税額をもってその資格要件とする制限選挙で、25年に至って普通選挙制度が採用されたが、なお女子の参政権は認められなかった。両院の関係は、衆議院の予算先議権(同法65条)を除いては対等であり、衆議院の優越も認められなかった。
[山野一美]
帝国議会の権限は、立法に関する権限、財政に関する権限、一般国務に関する権限、議院内部の事項に関する権限に分けることができるが、天皇主権、天皇大権、皇室自律権などによりその審議権が制限された。このうち立法に関しては、協賛権と承諾権に分かれる。大日本帝国憲法第5条は「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以(もっ)テ立法権ヲ行フ」と定め、法律制定が議会自らの権限によるものでなく、天皇の行為に対して協賛(同意)権を議会が有するにすぎなかった。ただし、協賛権は同意権のほか発案権を含むものと解されていた。また天皇は緊急命令(同法8条)および独立命令(同法9条)を帝国議会の協賛なしに発することができた。このうち緊急命令については、帝国議会閉会中緊急の必要あるときに発せられるため、次の帝国議会の会期中にその承諾を求める必要があり、この場合を承諾権という。
財政に関する権限は、租税に関しては租税法律主義を採用(同法62条1項)して立法協賛権に含まれたが、そのほかに、予算協賛権(同法64条1項)、国債協賛権(同法62条3項)、国庫負担契約協賛権(同条同項)、超過支出および予算外支出の承諾権(同法64条2項)、決算審査権(同法72条)などがあった。
その他一般国務に関する権限としては、立法および財政に関する事項と異なり協賛権・承諾権を有するものではないが、各議院の天皇に対する上奏権(同法49条)、政府に対する建議権(同法40条)、請願受理権(同法50条)、決議権、審査権、質問権などを有していた。
また各議院がそれぞれ独自に有する自律権として、議院規則の制定権(同法51条)、議事に関する自律権、院内警察権、内部組織および議員の身分に関する権などを有していた。これらの諸権限は憲法、法律のほか議会慣習法に基づくものもあり、現行憲法下の議会に継受されているものもある。
[山野一美]
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1890年(明治23)11月29日に開かれ,1947年(昭和22)5月3日に日本国憲法の施行にともない廃止された立法機関。大日本帝国憲法・議院法・衆議院議員選挙法・貴族院令などにより制度的枠組みを規定されていた。衆議院・貴族院の2院からなり,衆議院が予算先議権をもつほかは,両院は対等とされた。会期3カ月,必要により勅命で延長された。帝国憲法の規定では,立法権は天皇大権の一部だったが(5条),同時に法律はすべて帝国議会の協賛を要することが明文化されており(37条),予算も同様であった。「大権ニ基ケル既定ノ歳出」は政府の同意なく削減・廃除できないという規定(67条)や,予算不成立の場合の前年度予算執行権(71条)などの制限が付されていたとはいえ,帝国議会は明治憲法体制のなかで無視できない権限をもっていた。それが政党の政権参入,政党内閣実現の基礎的要因であった。
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①〔神聖ローマ帝国〕神聖ローマ帝国の聖俗諸侯と帝国都市による身分制議会。中世の宮廷会議(聖俗大諸侯による国王の諮問会議)が12世紀に帝国の機関となり,14世紀に都市も加わったもの。15世紀末の帝国改革により,選帝侯部会,諸侯部会,都市部会の3部会制となったが,帝国を統合する機関として十分に機能しなかった。
②〔ドイツ帝国〕ドイツ帝国で連邦参議院と並ぶ帝国の立法機関。男性普通選挙で選ばれる国民代表議会だが,権限が弱く,帝国の政治において決定的な役割を果たすことはできなかった。
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【日本の議会】
日本では,明治初期に,自由民権運動の中心課題として,国会設立の要求が出された。1881年に国会開設を約束する勅諭が発布されるのと並行して自由民権運動は退潮し,89年に大日本帝国憲法が発布され,90年に貴族院と衆議院から成る帝国議会が発足した。1925年には衆議院議員選挙についての男子普通選挙制が成立し,1924‐32年にかけては〈憲政の常道〉の名のもとに,衆議院の多数派に基礎をおく政党内閣が実現したこともあったが,天皇を統治権の総攬者とする帝国憲法の基本原理のもと,制度上も,衆議院に対する貴族院の原則的対等性,天皇の勅令による立法の制度,予算審議権に対する制約,さらには統帥権独立の原則や,枢密院・重臣・元老などの存在によって掣肘(せいちゆう)をうけ,帝国議会の中心的地位を占めることはできなかった。…
※「帝国議会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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