寝殿の母屋(もや)内で、風を避け寒さを防ぐため、四方に帳(とばり)を巡らし、このなかで座ったり寝たりする屏障具(へいしょうぐ)を兼ねた座臥具(ざがぐ)。御帳台(みちょうだい)、斗帳、ただ帳ともいう。構造は、土居(つちい)というL字形の台に六尺七寸(約200センチメートル)の柱3本を立て四隅に置き、その間を横木の鴨居(かもい)で渡し、上面に枠組みの明(あか)り障子をのせ、四方に帳を八枚垂らし、上部に帽額(もこう)を巡らしている。帳は、夏は生絹(すずし)に花鳥、冬は練(ね)り絹に朽木形を描いている。帳の紐(ひも)は、黒と紅とを中央で縫い合わせたもので、帳を巻き上げてくくる。巻き上げるときは、木端(こはし)という木の細い板を入れている。帳台内部には、板床の上に土敷(つちしき)という繧繝縁(うんげんべり)の畳二畳を敷くが、皇后の住む常寧殿(じょうねいでん)に置く帳台では、浜床(はまゆか)といって、高さ九寸(約27センチメートル)、幅八尺六寸(約260センチメートル)四方の黒漆塗りの台を畳の下に置く。畳の上に同じ畳を一枚置く。さらに表莚(うわむしろ)という綾地(あやじ)に錦(にしき)の縁(へり)をつけた敷物、さらに五色に染めた藺(い)製の花莚の竜鬢(りゅうびん)を敷き、茵(しとね)を重ね、沈(じん)木でつくった枕(まくら)などが置かれている。前方の柱左右に、湿けを避く呪(まじな)いとして、沈か桑でつくった御角(みつの)を1個ずつかける。元来は犀(さい)の角で、手に入りにくいので木製の模造品となった。また後方の柱に魔除(まよ)けの意味の八稜(はちりょう)鏡を一面ずつかける。天皇・皇后の御帳台に限って、右に黄色の口を開く獅子(しし)、左に白色の角があり口を閉じた狛犬(こまいぬ)を置くが、これは、帳が風に吹かれるのを防ぐ重石(おもし)(鎮子)で、守護の威の役目をもつようになる。
[郷家忠臣]
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…アイヌの住居では炉端の席が決まっており,各人の後ろの空間が寝場所になっていたので,おそらくそのような使われ方をしたのであろう。平安時代には上層の公家は寝殿内に御帳(帳台)という寝台を置いた。畳2枚ほどの台の上に4本の柱を立て,天井を張り,四方に帳を垂らしたもので,台の上に畳を置き,茵(しとね)を重ね,衾(ふすま)を掛けて就寝した。…
…そして日常生活に必要な樋殿(ひどの)(便所)や湯殿(浴室)などの設備もそれぞれ別個に設けられ,食事さえ別々に行われた。寝殿の内部(母屋)には塗籠(ぬりごめ)と呼ばれる寝室のみが部屋として間仕切られていたが,これもしだいに形骸化し,寝殿の中央近くに置かれた帳台が寝所となった。帳台の近くには畳を敷き,上に茵(しとね)を置いて昼の居所とし,その周囲には厨子棚や二階棚を置いて日用品を収納した。…
…当時の〈ねま〉がこのような形状になった理由ははっきりしない。飛驒の白川郷や八丈島に〈ちょうだ〉の語が残っているのをみると,平安時代の伝統を受け継いでいるようにみえるが,平安時代の帳台(ちようだい)は周囲に帳を垂れた部屋であり,民家の寝間は《春日権現験記》に描かれた納戸の形式に類似している。納戸は本来は貴重品を収めておく所であるが,納戸が寝室として使われた事例が室町時代後期から散見するようになるので,おそらく戦国時代の不穏な世相が納戸を寝間にする習慣を作りだしたものと考えられ,寝間という機能の一致から〈ちょうだ〉という言葉が当てられたと考えられる。…
※「帳台」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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