平安時代の歌物語。作者不明。『貞文(さだふん)日記』『平中日記』ともいい、『平仲物語』とも書く。成立は『後撰(ごせん)集』と相前後し、950年(天暦4)ごろであろう。内容は平貞文(?―923)を主人公とする歌物語で、39段よりなり、短歌150首、長歌一首、連歌(れんが)二首を含む。平貞文は右近(うこん)中将平好風(よしかぜ)(桓武(かんむ)天皇の曽孫(そうそん))の子で、891年(寛平3)内舎人(うどねり)に初任、以後、右馬権少允(うまのごんのしょうじょう)、右兵衛少尉(うひょうえのしょうじょう)、三河介(みかわのすけ)、侍従、右馬助(すけ)、左兵衛佐(さひょうえのすけ)、さらに極官では三河権介(ごんのすけ)を兼ね、従(じゅ)五位上に達した。武官コースを歩き、その間、侍従職として醍醐(だいご)天皇側近にあるなど、一時代前の在原業平(ありわらのなりひら)の官歴によく似ている。「平中」は、中世・近世では「平仲」と書くことが多く、貞文の字(あざな)とする説があるが、根拠はない。また「平中」の称も、古来のものであるが、その意味につき、父好風の中将の官職によるとか、業平の「在中将」に引かれたものとか、種々の説があるが、なお決着をみない。
貞文の官職は低かったが、歌人としては名があり、『古今集』に九首入集(にっしゅう)。その邸宅で催された歌合(うたあわせ)は三度あり、『古今集』撰者(せんじゃ)らとの交遊もあった。また在原棟梁(むねやな)の娘(藤原時平室)や伊勢御(いせのご)たちとの交渉もあって、好色者(すきもの)としても名高かったらしい。この物語は明らかに、先行する『伊勢物語』を倣った跡があるが、主人公の人間像にはかなりの差がある。『伊勢物語』のそれには奔放不羈(ふき)の強さがあるが、平中像は、世俗の栄達浮沈に心を労し、女に逃げられて、不如意の恋に泣く小心者である。そのいわば日常的で卑近な甘さが一種の魅力を生んでいるともいえる。
伝本は国立国会図書館静嘉堂(せいかどう)分館所蔵の伝藤原為相(ためすけ)筆本が唯一の孤本であり、その内容が知られたのは昭和年代に入ってからであった。ほかに『大和(やまと)物語』御巫(みかなぎ)本・鈴鹿(すずか)本に混入した部分や、同じく『大和物語拾穂抄(しゅうすいしょう)』系統本巻末付載説話として若干あるが、本文の異同が甚だしい。
[今井源衛]
『萩谷朴著『平中全講』(1978・同朋舎出版)』▽『目加田さくを著『増訂 平仲物語論』(1958・武蔵野書院)』▽『遠藤嘉基他校注『日本古典文学大系77 平中物語他』(1964・岩波書店)』▽『清水好子他校注・訳『日本古典文学全集8 平中物語他』(1972・小学館)』▽『目加田さくを訳注『平仲物語』(講談社学術文庫)』
平安朝の歌物語。《平中日記》《貞文日記》ともいうように,平貞文の家集を本として,実録風の歌物語を創作したもの。148首の短歌,2首の連歌,1首の長歌を含む38段の和歌的小話に区分されるが,最終段に付記した富小路の右大臣顕忠の母に関する3首の短歌を持つ和歌的小話の叙述表現よりして,この付記が959年(天徳3)以後,965年(康保2)以前になされた事実が確かめられるので,物語自体の成立はそれ以前と考えられる。〈平中墨塗譚〉をはじめ平中にかかわる好色滑稽譚が当時世上に流布していたので,貞文の子時経(これつね)または孫保遠などが,父祖の名誉回復のために実作の和歌に基づいて歌物語を創作したのであろうか。《平中物語》にみる貞文の人間像は,きわめて気が弱く父母に従順で,女性の母性本能をくすぐるとともにみずからは女性への永遠のあこがれに彷徨する男性であった。そのきまじめさと失敗の意外さとが伝説の人物〈平中〉を生む契機となりえた。最終段の〈后宮女房尼削(あまそぎ)譚〉は家集にはなかったが,世間流布の好色滑稽譚の中から最も穏便なものを一つ付け加えたのであろう。《平中物語》各段末尾の軽妙な省略は,《堤中納言物語》の短編小説の先蹤ともいうべき洗練をみせている。
執筆者:萩谷 朴
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…語彙としては二義あり,一つは早く《栄華物語》(〈浅緑〉)にもみえ,歌にまつわる小話の意で,当時〈うたがたり〉と呼ばれた口承説話とほぼ同一内容のものと思われる。二つは近代に入ってからの新しい用法で,《竹取物語》《宇津保物語》などを〈作り物語〉と古くから呼んできたのに対して,《伊勢物語》《大和(やまと)物語》《平中(へいちゆう)物語》の三つを新しく区別して呼んだのであり,文学史記述の便宜から生じた用語である。現在ではこの第二義の面で論じられることが多い。…
※「平中物語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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