精選版 日本国語大辞典 「平壌」の意味・読み・例文・類語
ピョンヤン【平壌】
へいじょう ヘイジャウ【平壌】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
朝鮮民主主義人民共和国の首都。半島北西部を流れる大同江岸に位置し,河口の南浦を外港とする。歴代王朝にとっては,中国東北部に連結する北方の交通・軍事の要衝であった。武帝が設置した漢4郡の中心地である楽浪郡の王険(倹)(おうけん)城も平壌付近とみられる。朝鮮王朝時代にも平安道の道都が置かれたが,植民地時代に半島北部を縦断する京義線(ソウル‐新義州(シンウィジュ)),横断する平元線(平壌‐元山(ウオンサン))が開通し,交通の拠点となった。しかし,朝鮮戦争でほぼ完全に破壊された。1972年の憲法改正で正式に朝鮮民主主義人民共和国の首都とされ,それ以後,首都建設に拍車がかかった。中心部には,金日成(キム・イルソン)銅像,主体(チュチェ)塔,凱旋門(がいせんもん)などの記念碑的建造物が立ち並ぶ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…なかでも素弁蓮華文瓦は日本との関連を示し,日本の初期仏教建築に与えた影響を認めることができる。
[高句麗]
高句麗は後1世紀ころ,鴨緑江中流の通溝に拠を構え,3世紀ころには国内(輯安)城と山城の子山城を築いたが,4世紀ころには大同江下流の平壌に都を遷した。初めは大城山一帯と安鶴宮を中心にしていたが,586年(平原王28)に平壌城を築いて都とした。…
…武帝は前109年(元封2)衛氏朝鮮王朝最後の国王,衛右渠の抗命を理由に出兵して,翌年これを平らげ楽浪ほか3郡をおいて朝鮮を直接支配下に編入した。楽浪郡の中心地はほぼ現在の平壌付近に比定される。最初の領域は現在の大同江,清川江沿岸から鴨緑江下流方面にわたるものと推定され,朝鮮半島北西部の重要な地域を包括するものであった。…
※「平壌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
12/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新