平山郁夫(読み)ヒラヤマイクオ

デジタル大辞泉 「平山郁夫」の意味・読み・例文・類語

ひらやま‐いくお〔‐イクを〕【平山郁夫】

[1930~2009]日本画家。広島の生まれ。東京美術学校前田青邨に師事。日本美術院を中心に活動し、東京芸術大学学長などを歴任。また国内外の文化財保護にも注力した。仏教やシルクロードテーマとした作品が多く、代表作に「涅槃ねはん幻想」「仏教伝来」、薬師寺玄奘三蔵院の壁画「大唐西域壁画」などがある。文化勲章受章。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平山郁夫」の意味・わかりやすい解説

平山郁夫
ひらやまいくお
(1930―2009)

日本画家。広島県豊田(とよた)郡瀬戸田(せとだ)町(現尾道(おのみち)市)に生まれる。1952年(昭和27)東京美術学校を卒業。以後前田青邨(せいそん)に師事する。翌年第38回院展で初入選。1964年日本美術院同人となる。1970年同院評議員、1981年同理事、1996年(平成8)理事長となる。また、1973年(昭和48)に東京芸術大学教授となり、1989年(平成1)から同大学学長を2期務める。仏教伝来の淵源(えんげん)を求め、さらに東西文明交流の跡を訪ねて中国、インドから中近東にまで足を伸ばし、その成果を端整で幻想的な一連の作品群として発表し続けている。法隆寺金堂壁画高松塚古墳壁画の再現模写などにも携わった。1998年文化勲章受章。2000年奈良・薬師寺玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん)に『大唐西域壁画(だいとうさいいきへきが)』を完成させた。壁画は約30年かけて制作、7場面13面で高さ2.2メートル、長さ49メートルに及ぶ。1997年瀬戸田町に平山郁夫美術館が開館した。

[二階堂充]

『『平山郁夫シルクロードの美と心』(1978・実業之日本社)』『『平山郁夫シルクロード変幻』(1980・美術出版社)』『『現代日本画全集18 平山郁夫』(1980・集英社)』『『平山郁夫欧州写生絵巻』(1980・小学館)』『『平山郁夫シルクロード素描集 ローマから大和へ』(1980・集英社)』『『悠久の流れの中に』(1980・佼成出版社)』『『平山郁夫・シルクロード素描集』全3巻(1980~1981・平凡社)』『『ガンダーラとモヘンジョダロ 平山郁夫のスケッチブック』(1981・平凡社)』『『平山郁夫自選画集』(1981・集英社)』『『ふるさとガンダーラ』(1985・新潮社)』『『東方の夢遙か――ペルシアから奈良への道』(1987・美術年鑑社)』『川口直宜編『現代の日本画12 平山郁夫』(1990・学習研究社)』『『平山郁夫全集』全7巻(1990~1991・講談社)』『『吉備路を描く――平山郁夫画集』(1991・中央公論社)』『『絹の道から大和へ――私の仕事と人生』(1992・講談社)』『『熊野路を描く――平山郁夫画集』(1993・中央公論社)』『『世界の文化遺跡――平山郁夫画文集』(1994・中央公論社)』『『安芸路を描く 宮島――平山郁夫画集』(1994・中央公論社)』『『この道一筋に――平山郁夫ノート』(1994・同文書院)』『『仏教伝来 平山郁夫額装画集』(1994・読売新聞社)』『『日本の道を描く 平山郁夫画集』全2集(1994、1996・毎日新聞社)』『『続・世界の文化遺跡――平山郁夫画文集』(1995・中央公論社)』『『やすらぎの風景』(1995・講談社)』『『シルクロードをゆく』(1995・講談社)』『『心にのこる仏たち』(1995・講談社)』『『讃岐路を描く 平山郁夫画集』(1995・中央公論社)』『『平山郁夫・日本画のこころ――私が絵画から学んだこと』(1995・講談社)』『『万葉の旅――大和うるわし』(1996・日本経済新聞社)』『『私の青春物語』(1997・講談社)』『『平山郁夫 人間の記録――悠久の流れの中に』(1997・日本図書センター)』『平山郁夫・右田千代著『画文集 サラエボの祈り』(1997・日本放送出版協会)』『『時を超える旅――世界遺産をたずねて』(1998・朝日出版社)』『『平和への祈り 画文集』(1998・毎日新聞社)』『『出雲路古代幻想 平山郁夫画集』(1998・中央公論社)』『『絵と心』(1998・読売新聞社)』『『平山郁夫全版画集1978―1999』(1999・日本経済新聞社)』『『永遠のシルクロード』(2000・講談社)』『『薬師寺への道――大唐西域壁画』(2001・集英社)』『『平山郁夫薬師寺玄奘三蔵院大壁画』(2001・講談社)』『『平山郁夫 ヨーロッパ旅情』(2001・日本経済新聞社)』『『玄奘三蔵祈りの旅――シルクロード巡礼』(2001・日本放送出版協会)』『『平山郁夫スケッチ撰集』全3巻(2001・日本放送出版協会)』『『平山郁夫 平成の画業1~2』(2002・講談社)』『『群青の海へ――わが青春譜』(中公文庫)』『『生かされて、生きる』(角川文庫)』『谷川徹三著『芸術における東洋と西洋』(1990・岩波書店)』『田中穣著『田中穣のアート・ライブラリー 平山郁夫』(1994・芸術新聞社)』『平山美知子著『道はあとからついてくる――「家計簿」にみる平山画伯の足跡』(1998・主婦と生活社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平山郁夫」の意味・わかりやすい解説

平山郁夫
ひらやまいくお

[生]1930.6.15. 広島,瀬戸田
[没]2009.12.2. 東京
日本画家。旧制中学 3年のとき,広島市内に投下された原子爆弾で被爆。1947年東京美術学校(のちの東京芸術大学)に入り,日本画家の前田青邨に師事。1953年『家路』が日本美術院展覧会(院展)に初入選。中国の唐代の僧,玄奘(三蔵法師)をイメージした『仏教伝来』(1959)で注目を浴び,『入涅槃幻想』(1961)と『受胎霊夢』(1962)が日本美術院賞(大観賞)を連続受賞し,1964年日本美術院の最年少同人となる。1966年に東京芸術大学第1次中世オリエント遺跡学術調査団に参加後,シルクロードをたどって仏教東漸の道を求め,中央アジアやアフガニスタンをたびたび訪れて仏教,各地の仏蹟や風物などを主題にした一連の傑作を生んだ。1976年に「平山郁夫シルクロード展」が開催され,日本芸術大賞を受賞,2000年には奈良の薬師寺玄奘三蔵院に『大唐西域壁画』を奉納した。世界の文化遺産の保存や修復活動にも力を注ぎ,1967年法隆寺金堂壁画再現模写事業,1973年高松塚古墳壁画の現場模写に従事,中国の敦煌遺跡を保護するため,個展の収益 2億円を寄付した。1973年から東京芸術大学教授,1989~95年,2001~05年の 2度同大学学長を務めた。1993年に文化功労者に選ばれた。1996年レジオン・ドヌール勲章,1998年文化勲章を受章,2001年マグサイサイ賞を受賞。1997年広島県尾道市に平山郁夫美術館,2003年山梨県北杜市に平山郁夫シルクロード美術館が設立された。

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百科事典マイペディア 「平山郁夫」の意味・わかりやすい解説

平山郁夫【ひらやまいくお】

日本画家。広島県生れ。1952年東京芸術大卒。前田青邨に師事。1953年再興日本美術院展入選。仏教的な主題を得意とし,その延長としてシルクロード等を取材する一方,世界の文化遺産の保護運動にも携わる。1989年から1995年まで東京芸術大学長。文化勲章受章。朝日賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平山郁夫」の解説

平山郁夫 ひらやま-いくお

1930-2009 昭和後期-平成時代の日本画家。
昭和5年6月15日生まれ。前田青邨(せいそん)に師事。院展に出品,昭和39年日本美術院同人となる。シルクロードを取材旅行し,仏教東漸などをテーマにした作品を発表。48年東京芸大教授,平成元年学長,13年2度目の学長につく。10年文化勲章。国内外の文化財の保護につくし,16年朝日賞。平成21年12月2日死去。79歳。広島県出身。東京芸大卒。作品に「入涅槃(ねはん)幻想」「雲崗盧遮那仏(るしゃなぶつ)」など。

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367日誕生日大事典 「平山郁夫」の解説

平山 郁夫 (ひらやま いくお)

生年月日:1930年6月15日
昭和時代;平成時代の日本画家

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