座敷の壁面に設けられた絵画やいけ花を観賞するための場所で、床(ゆか)を一段高くし、正面の壁に掛軸を掛け、床の上に花瓶・置物などを飾る。
歴史的には、壁に仏画を掛け前に低い卓を置いて、その上に香炉・花瓶・燭台(しょくだい)から構成された三具足(みつぐそく)あるいは五具足(ごぐそく)(1個の香炉、1対の花瓶、1対の燭台)を並べたのが初めで、のちに、宋(そう)・元(げん)画を観賞する形式となり、その場所が固定化して造り付けになったときに、凹所として壁から部屋の外へ張り出す形式ができた。この形式の床の間は、押板(おしいた)あるいは押板床(どこ)とよばれている。押板床は初期の書院造の座敷や格式の高い正規の書院造の座敷に用いられ、奥行が1~2尺ほどで床(ゆか)板に厚いケヤキの一枚板を用い、落掛(おとしがけ)や床柱(とこばしら)をヒノキの柾目(まさめ)材とし、周囲の張付壁には障壁画を描くのが普通である。
室町時代の上層階級の住宅では、座ったり寝るための場所として居室の隅の床(ゆか)を1~3畳分ほど一段高くして、床(とこ)とよんでいた。このような場所には押板床が設けられることが多かった。そのようなところでは、押板床の上だけでなく畳敷きの床(ゆか)の上にも飾ることがあり、また、床(とこ)のある座敷をしだいに縮小して四畳半以下の狭い茶室がつくられていく過程で床(とこ)と押板床が一体化されることもあって、押板床と同様に掛軸を飾り花をいける畳敷きの床の間ができあがったと考えられる。成立の経過から、畳敷きの床の間の奥行は畳の幅である半間(げん)が普通で、部屋の中へ張り出してつくられることが多かった。
室町時代の押板床は、その前に主人と客が床の間を側面にして相対して座り、床の間の飾りを観賞する例が記録に現れるが、近世になると武家住宅では主人が床の間を背にして座るようになって、床の間の意味が変わってくる。床の間は成立の過程では単独であったが、座敷の装飾として同じころ成立した違い棚・付書院(つけしょいん)・帳台構(ちょうだいがまえ)と組み合わされて座敷飾りを形成した。床の間は座敷飾りの中心的な要素で、そのわきに違い棚が配置され、1600年(慶長5)ころには付書院・帳台構の位置にも標準的な形式ができあがった。それ以後、数寄屋(すきや)風の書院が広まるにつれて座敷飾りはいくつかの要素を省略して使うことが多くなるが、いずれの場合にも床の間はもっとも基本的な要素として中心的につくられるのが普通である。
床の間は、書院造では押板床が普通であるが、数寄屋風の書院が広まるとともに床柱には丸太をはじめさまざまな姿のおもしろい柱が使われるようになる。床の間の上の天井から下がる小壁(こかべ)の下端を留める落掛も、正規の書院造では柾目のヒノキが使われていたが、数寄屋風の書院では自然の丸太や木目(もくめ)や色の変わった材が喜ばれるようになった。畳敷きの床の間では畳の前縁に床框(とこがまち)を用いるが、正規の書院造では通常黒く漆を塗った塗り框としている。数寄屋風の書院では床框にも変わった材を用いるなど意匠に凝るのが普通である。床の間の周囲の壁は、床の間が設けられている座敷の壁にあわせて張付壁または土壁とするが、通常、押板床は張付壁、数寄屋風書院の床の間は土壁とする。
数寄屋風の書院が広まると、床の間にはいろいろな変形ができた。一段上がった畳敷きも板も設けず、下がり壁と天井から下がり短く切られた床柱だけの釣り床や、壁の上部に板を入れただけの織部床(おりべどこ)はその代表例である。
床の間の造りは押板床のように形式化されたものでも、大工家ごとに落掛や床の板の寸法・位置などに木割があった。数寄屋風の書院に使われる床の間はさまざまであるが、雛形(ひながた)本にいくつかの形式が示されている。
[平井 聖]
『太田博太郎著『床の間』(岩波新書)』
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日本建築の建物で,書画の掛軸や生花・置物などを飾る場所。室町時代の書院造にともなった押板(おしいた)が原型といわれ,香炉・花瓶(けびょう)・燭台などの三具足(みつぐそく)をおいた場所。上層農民・町人の住居に床の間が設置されるようになるのは江戸時代からで,一般庶民の住居にまでとりいれられるようになるのは明治期以降である。座敷の上座に設けられ,間口は1間がふつうで,奥行は3尺ないしはその約半分,床板は畳の面より床框(とこがまち)の分だけ高くなっている。江戸時代の上層農民・町人の床の間は,違棚(ちがいだな)と対になって設置され,書院を併設する場合も多い。軸物や花を飾るなど,住居にあっては芸術空間であり,正月に年神(としがみ)を祭るなど神聖な空間でもある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…18世紀のロココ時代になると,大理石化粧を廃して,壁面を木の羽目板でおおい,その羽目板に軽雅な刳形(くりかた)と浮彫をほどこし,白,真珠灰,緑,黄,金などで清麗にいろどった。壁の一部分に設けられた壁炉は,中世以来,室内の重要な構成要素となり,日本の〈床の間〉と同じく上座の方向を意味するものとなった。したがって壁炉は室内の〈位〉を決定するものとして,時代時代の好みにしたがって意匠がこらされた。…
…屋根は板葺きで石を置いているが,長屋であっても隣家との間に茅の小屋根でつくった〈卯建(うだつ∥うだち)〉を置き,一戸ごとのくぎりを明確にしている。内部ははっきりしないが,片側が裏まで抜ける土間になり,それに沿って前後2室の床(ゆか)の間が並んでいるようである。表側の部屋の外面には四角の格子がはめられ,格子の外に見世棚を設け,商品を並べる。…
…従来の寝殿造は書院造となり,浄土を再現した回遊庭園は自然を象徴した観念的小庭園へと凝縮する。生活空間としては床の間(室町時代には押板と呼称),書院,飾棚が成立し,石庭へとつながっていく。それらは高度の精神的鑑賞空間であり,水墨画,詩画軸,墨跡(禅僧の書)は床の間で,詩文の創作享受は書院で,唐物の賞玩は飾棚で,そして自然との対話は枯山水との間で行われた。…
…当時はまだ茶室という言葉はなく茶座敷とか囲いとか呼ばれていた茶の建物は,草庵のスタイルをとりつつ,書院の室礼をやつしたものであった。たとえば書院では貼付床という水墨画などを壁面に貼り付けた床の間を原則としていたが,村田珠光は絵を描いた壁紙のかわりに,ただの白紙を壁として書院の形式をくずした。ところが紹鷗はその白紙すらはずしてただの土壁を見せる床の間に直した。…
…また人の座を下で支える部分という意味から,田の床,畳床などのように,下地にあって表装を支えるものも床と呼ばれることが多い。室町時代以降の上層住宅においては,貴人の座として床(ゆか)を柱幅ほど高くした上段や,帳台を意味したようであり,上段の押板が床の間に変化するのに伴って,床の間の略語としても使われている。【鈴木 充】。…
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送り状。船荷証券,海上保険証券などとともに重要な船積み書類の一つで,売買契約の条件を履行したことを売主が買主に証明した書類。取引貨物の明細書ならびに計算書で,手形金額,保険価額算定の基礎となり,輸入貨...
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