康富記(読み)ヤストミキ

デジタル大辞泉 「康富記」の意味・読み・例文・類語

やすとみき【康富記】

室町中期の権大外記中原康富日記。応永24年(1417)から康正元年(1455)に至る記事が断続して残り、内容公家武家の事のほか多方面にわたる。自筆本現存。中原康富記。康富御記。

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精選版 日本国語大辞典 「康富記」の意味・読み・例文・類語

やすとみき【康富記】

  1. 室町前期の公家日記。九三巻。権大外記中原康富の日記で、応永二四年(一四一七)から康正元年(一四五五)までの大部分が現存する。この時代政治経済文化史などの重要資料。中原康富記、康富御記とも。

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改訂新版 世界大百科事典 「康富記」の意味・わかりやすい解説

康富記 (やすとみき)

室町時代の権大外記中原康富の日記。別称《中原康富記》。史籍年表では1401-55年(応永8-康正1)とするが,01年の日記は別人(おそらく父英隆)のもので,15年(応永22)から康富の筆になる。散逸がはなはだしく永享年間(1429-41)のものは伝存せず,別に《永享二年大嘗会記》《永享十年八幡宮放生会記》(《群書類従》所収)がある。室町幕府の政治や制度,朝廷行事故実,社会情勢を知る上で重要。《増補史料大成》所収。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「康富記」の意味・わかりやすい解説

康富記
やすとみき

権大外記(ごんのだいげき)中原康富(やすとみ)(1400―57)の日記。父英隆(ひでたか)が死んだ1417年(応永24)から55年(康正1)56歳のときまで、断続して現存。朝廷の記事ばかりでなく、市中事柄も多くみられる。太政官(だいじょうかん)の少納言(しょうなごん)局に属する外記の職は、地位は低いが重職で、代々清原・中原両氏が世襲してきた。しかし康富の一流は、もと源氏の出で、鎌倉末期から中原氏を称し、外記として代々登用されるようになり、権大外記を最高の官とし、日向守(ひゅうがのかみ)・隼人正(はやとのかみ)に任じられるのを常とした。自筆本92巻が父英隆の日記一巻とともに国会図書館に現蔵。『史料大成』所収。

[益田 宗]

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百科事典マイペディア 「康富記」の意味・わかりやすい解説

康富記【やすとみき】

室町時代の公家である権大外記(ごんのだいげき)の中原康富の日記。《中原康富記》ともいう。1401年から1455年の記事があるというが,途中の脱落がはなはだしい。1401年の記事は別人(父の英隆(ひでたか)か)のものとみられ,1415年から康富の筆になる。室町幕府の政治制度や,朝廷内の行事,当時の社会の動きなどを知るうえで貴重な史料とされる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「康富記」の意味・わかりやすい解説

康富記
やすとみき

『中原康富記』『康富御記』ともいう。室町時代,権大外記 (げき) 中原康富の日記。応永8 (1401) ~康正1 (55) 年の記事 36巻が現存するが,途中欠落した部分も多い。当時の朝幕関係や地子,頼母子,徳政など社会経済の動き,絵巻物,猿楽などの記事も含まれている。

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