改訂新版 世界大百科事典 「廻(回)船」の意味・わかりやすい解説
廻(回)船 (かいせん)
中世以降見られる用語で,おそらく各地を回遊する船,各地を移動する船などの意味で,当時比較的動きの少ない漁船等を除く輸送船をさし,とくに商品を積んだ商船を意味する場合が多いようである。廻船の初見は今のところ,鎌倉初期の1206年(建永1)で,当時和泉大鳥郷高石正里浦にまれに廻船の商人が来着するとあり,この場合の廻船は,商人と関係深い商船を指している。さらに1340年(興国1・暦応3),足利尊氏は,兵粮料足として,西国運送船ならびに廻船より櫓別100文ずつの関税を兵庫において徴しているが,この廻船もまた運送船に対する商船と解される。じっさいこの関税に抗議して,諸国諸廻船人が連署で嘆願しているが,この諸廻船人は別に〈彼商人〉と記されているのである。さらにその後1414年(応永21),大工丹治念性が,肥後玉名郡大野別府中村にある薬師如来等の修理料として,同所に往返する廻船の鉄物(鉄製品)を徴収して寄進すると述べている。九州で鉄類を荘園の年貢等とする例は見られないから,この鉄物は商品と見られる。
以上によれば,廻船には商人が乗り組み,積荷は商品であり,したがって廻船は商船と解される。しかし,中世の廻船には商船に限らず,より広義の用例もあり,室町初期成立の《庭訓往来》は,廻船および廻船人を,広く商品を含んだ運送船およびその船乗りの意に用いているようであるが,この用例はほかにも散見される。さらにその後,戦国時代の大内氏の掟書には,廻船・商売船と併記したものもあり,この場合の廻船は商売船とは別個のようである。以上のように中世において,廻船は必ずしも商船のみとは判定しがたいが,荘園の衰退に伴い,年貢船が減り各所を回遊する船といえば,商船が主となるから,とくに中世後期には廻船の大半は商船であるといえよう。その用例が,近世の菱垣(ひがき)廻船,樽廻船等の商船に残ったといえる。
執筆者:新城 常三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報