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江戸時代に遠隔地へ米を廻送すること、またその米をいう。江戸幕府は、1620年(元和6)初めて江戸浅草に御米蔵を建て、翌年大坂に御蔵奉行(おくらぶぎょう)を置いて諸国の廻米を収蔵した。諸侯も、大坂、江戸などの蔵屋敷へ貢租米を廻送して、市中の米問屋を通じて換金に努めている。江戸、大坂などの中央市場へは多量の米が廻送されたが、それらは、天領などからの御城米(ごじょうまい)、藩からの蔵米(くらまい)のほか、商人が農民から貢租余剰米を買い付けた納屋米(なやまい)もあった。江戸幕府は、米の輸送の安全のために厳しい廻米仕法に努めたので、城米の品質や員数などが厳重に点検された。廻米には、海路が多く用いられたが、河川や駄馬も併用された。交通の整備とともに廻米量は増加し、市場に米の供給が過剰となった享保(きょうほう)(1716~36)以降、幕府はしばしば江戸、大坂への廻米を制限して、米価の調節を図った。
[土肥鑑高]
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江戸時代,各地から米が廻送されること。また廻送される米。浅草をはじめとする幕府の各米蔵に搬送される幕領の年貢米,諸藩の蔵米,商人により運ばれる納屋米がある。蔵米や納屋米は交通,とくに西廻(にしまわり)海運など水運の発達で,すぐに換金ができる大坂・江戸などの中央米市場に廻送されるようになった。これは中央市場にとって米価低落の要因にもなるので,幕府は米価調節のため種々の廻米制限を設けた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
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