他人の法律問題に関して相談にあずかり,訴訟事件等においてその代理人として法律事務を処理し,刑事事件の弁護をすること等を業とするもの。
弁護士制度はそれぞれの国の政治的・経済的・社会的な特質と深くからみ合っている。やや簡略化していえば,人民に対して一定以上の寛容さをそなえた権力,豊かで複雑な市場経済,人権が重んじられ,人間関係の規律がなによりもまず法と契約によって行われる社会において弁護士制度は健全な発達を示すといえよう。弁護士制度が西ヨーロッパの中世に発祥し,ブルジョア革命の前夜に成熟し,産業革命期を境に多かれ少なかれ変質し,社会主義社会において衰退するのは,この意味において当然であろう。また,強大無比な権力の下に人民の無権利状態が続き,市場経済の発達にも後れをとったアジア的社会において,弁護士制度が禁止の対象となり,西欧文化との接触によって,いわば外発的に生誕したことも偶然ではない。結局,弁護士制度を基本において制約しているのは,(広義における)資本主義の発達とその形態であるように思われる。
古代ギリシアやローマにおける前駆的・萌芽的現象は別として,弁護士制度がはじめて人類のものとなるのは,13~14世紀の西ヨーロッパにおいてである。これに先だって,西ヨーロッパでは,10世紀から12世紀にかけて,商業の復活,都市の勃興,大学の発達,ローマ法の復活等々の相互に規定し合った文化的現象が相次いでいるが,これらはいずれも弁護士制度の発生と発展とに大きな影響を及ぼしたものと推測される。商業の復活は9世紀以来の農業革命による生産力の飛躍的拡大を前提としており,このような,農業と商業の発展に伴う市場経済の発達は同時に土地や商取引をめぐる契約や法的紛争を増大させ,法と裁判機構と法律家の出現を促した。都市はその合理主義的傾向によって,従来の決闘・神判による非合理的裁判の廃絶の重要な契機となり,やがて近親者や友人に代わって,職業的法律家層が当事者の代弁人・助言者となって出現する大きな動因となった。このような状況のもとに,ローマ法が発見され,ローマ法を教授して専門的法律家層を養成する大学が出現したのである。ローマ法を継受した諸国においては,このような大学が法律家養成の役割を担うこととなったのは当然のなりゆきであった。
イギリスにおいては若干事情を異にした。ここでは,ローマ法の大規模な継受は行われず,古くからの慣習とこれに基づく裁判例(コモン・ロー)が(一部の法領域を除き)裁判規範とされるに至った。イギリスでは13世紀に専門的法律家層の出現が見られるというのが定説であるが,すでにこの時期において,上位の弁護士が新進の弁護士や弁護士志望者にコモン・ローを教え,長期の学習期間を経て志望者(スチューデント)は下位の弁護士(アプレンティス)となり,下位の弁護士はやがて上級の弁護士(サージャント)となり,この上級の弁護士のなかから裁判官が選ばれるという独特のシステムが定着した。定義上ローマ法教授の機関であった大学法学部ではコモン・ローを教授することはできず,国王の裁判所で行われる法はコモン・ローであったから,大学はイギリスの弁護士の養成機関とはなりえなかったのであり,実定法であるコモン・ローを教授する能力は,実務法曹の長老以外には発見することができなかったのである。英米法諸国に今日も伝わっている,いわゆる法曹一元制度の歴史的起点はここにある。これらの弁護士階層が,その志望者とともに強固な団体を結集し,その団体がギルドとして組織化されたのは中世的文脈においては当然のことであった。14世紀にさかのぼるインズ・オブ・コートがそれであり,当初からテムズ河畔の今日と同じ場所にあった。ミドル・テンプル,イナー・テンプル,リンカンズ・イン,グレーズ・インの4団体からなり,今日も後進養成的機能をもつが,真に法学の教授と学習の殿堂であったのは17世紀初頭までで,当時は,オックスフォード,ケンブリッジ両大学に比肩するイギリス第3の大学といわれた。
大学が法律家養成の権限と責任をもったヨーロッパ大陸諸国においては,イギリスの場合と異なり,大学卒業生が弁護士の経験を積んだ後でなければ裁判官になれないという必然性がない。事実これらの国においてはイギリス風の法曹一元制度は定着することなく,卒業後ただちに裁判官への道を目ざすことが可能とされて今日に至っており,これら諸国(フランス,ドイツ)の法制を継受した日本においても,諸般の事情から法曹一元制度を好ましいとする論議があるにもかかわらず,明治以来,この制度は定着したことがない。
ところで,弁護士の基本的な機能に,代理と弁護の二つがあるといわれる。代理人の法廷における発言は本人(依頼者)のそれと同一視される。これに対して,弁護は本人の立場の擁護・弁明で,本人ないしその代理人の発言に対して,補充的な関係をもつにすぎない。形式主義的な中世法においては法廷における発言はしばしば取消しのきかない厳粛なものであった。そのため,西ヨーロッパの中世法は代理という制度を広く認めず,これを国王の専権とし,したがって国王のみが事情に応じて他に利用を許すことができるきわめて厳格な制度と見る傾向があった。これに対して弁護の制度は古くから認められ,これを厳格に取り締まる風潮は(日本を含む東アジア諸国と異なり)存在しなかった。既述のとおり,弁護士の機能は代理と弁護という両面をもつが,西ヨーロッパにおける前記のような傾向・風潮のゆえに,これらの諸国においては,弁護を機能の中核にもつ弁護士が最初に発生し,ついで,国王(裁判所)の厳格な統制に服する,代理を職能とする弁護士階層が出現することとなり,弁護士制度は多元化することになった。弁護の機能を中核にもつ弁護士は自由職業的色彩が強く,弁護士団体(ギルド)に結集し,とくにルネサンス期に各国とも貴族的傾向を強め,今日においてもその伝統を残しているといわれる。イギリスのバリスターbarristerなどはその代表的存在である。これに対し,代理を職能とする弁護士は裁判所の職員とみなされ,そのような従属性のゆえに独自のギルドをもつことができず,紳士階級の周辺部分に位置することとなった。イギリスのアトーニーattorneyないしソリシターsolicitorがその一例であって,今日ではほぼバリスターと肩を並べる地位にいるが,そのためには19世紀末以来の悪戦苦闘を余儀なくされた。
既述のとおり,弁護士の二元性ないし多元性は,代理制度についての特殊中世的認識に基づいて発生したものであるから,近代法的視点からすれば合理性を欠いている。ドイツは19世紀の半ばに,フランスは第2次大戦後,いずれも一元化を行い,中世を知らないアメリカや日本では,当初から1種類の弁護士のみである。
欧米諸国のように弁護士制度が社会の必要に応じて自生的に出現し,数百年の長い歳月をかけて自然な発達を遂げた場合と比較するとき,日本の弁護士は明治初年,外圧によって強制された近代化の波に乗って外発的に生誕し,100年そこそこの伝統しかもたない。しかもその背景をなした第2次大戦以前の日本の政治,経済,社会の特質は,弁護士制度の健全な発達のためにマイナス要因として働いた。今日においてさえ,弁護士が社会にうまく溶けこんでいないといわれ,社会のニーズにこたえていないと批判されるのは,法学教育や法曹教育のあり方に存する問題点もさることながら,基本的にはこのような歴史的経過に原因がある。
中世的伝統の高貴な側面を伝えるとともに,悪しき伝統の呪縛にも同時に苦しんできたかに見えるヨーロッパ諸国に比し,中世的伝統をもたないがゆえに,良きにつけ悪しきにつけ独自の弁護士制度を発達させたのはアメリカであった。とりわけ,産業革命の嵐のなかで企業と深い関係をもつに至ったアメリカの弁護士は,ビジネスとの密着度において世界でもほかに類例がなく,ビジネスの側から見て最も役に立つ弁護士制度を発達させた。専門化と集団化(弁護士数百人を擁する巨大な法律事務所に代表される)の徹底により,アメリカの弁護士にとって,主たる戦場は法廷から会議室に移ったということが指摘される。反面において,このような特徴は,今もなお法廷を主たる戦場とするヨーロッパや日本の通常の弁護士の眼から見ると,弁護士のビジネスマン化,プロフェッションからの離脱現象と映りかねず,そのような批判も跡を絶たない。
(1)沿革 日本の弁護士制度は1872年(明治5)の司法職務定制により代言人が登場し,従来の弁護士禁止政策が解除(ただし刑事弁護士についての解禁は1882年)されたのに端を発する。76年に試験制度を導入して,これに合格した者にのみ代言人の資格を与えることとし,80年には代言人組合(弁護士会の前身)への加入を義務づけるとともに検事の監督下におくなど,明治政府は開明と統制という絶対主義の二つの相貌をもって代言人に対することになる。時あたかも,自由民権運動の上昇期にあたり,代言人のなかの自覚的分子は早くから新聞記者と並んでそのチャンピオンになり,大井憲太郎や星亨のようにたちまちにして政党の領袖となった者も少なくない。そのことは反面において,藩閥政府が代言人を敵視する原因となり,弁護禁止という世界にも類例の乏しい政策が悠久の昔から行われたアジア的風土を背景として,代言人蔑視の風潮をもたらした。また蔑視に値する代言人もいたことは否定できない。にもかかわらず,司法省法学校(後に東大と合併)や東京大学出身のいわゆる学士代言人や彼らが中心となって作った私立の法学校の卒業生が法曹会や政界にとどまらず,学界,教育界等において果たした役割は瞠目すべきものがあり,日本弁護士史上特筆に値する人物の多くは代言人時代に現れている。刑事の花井卓蔵,民事の原嘉道のごときは,顕著な一例にすぎない。
93年に弁護士法が制定され,従来の代言人に代わって弁護士という名称が行われるようになった。これよりさき,自由民権運動は敗退し,その屍の上に藩閥政府は明治憲法を制定していた(1889公布)から,弁護士法およびこれに立脚する弁護士制度は,究極において絶対主義の枠内に組み込まれざるをえなかった。ブルジョア革命運動に弁護士がきわめて重要な役割を演じ,革命成就の前後に黄金時代を迎えるのは世界史的な法則であると思われる。また,次いで生起する産業革命に企業の法律顧問として,あるいは法の創造者という立場で深く関与することによりその後の経済社会における地歩を確実にした英米型の弁護士のような例も見受けられる。しかし,日本においては,ブルジョア革命運動としての自由民権運動は敗北に終わり,産業革命は弁護士を敵視する絶対主義官僚の主導下に行われたという経緯が,その後における弁護士史の展開に大きなマイナス要因となってきたことを忘れてはならない。検事の監督からの解放は在野法曹の多年にわたる悲願となり,1936年施行の弁護士法によってはじめて司法大臣の監督に移されることになったが,あらゆる監督からの解放(弁護士自治)は第2次大戦後に持ち越されたのであった。
このような基本的情況の下において,代言人時代以来,日本の弁護士が官憲に対する屈従と抵抗という矛盾するエートスを発展させていったのは自然のなりゆきであったし,現行憲法的感覚によって過去の歴史を照射するとき,抵抗の側面があざやかな光彩をもって浮上してくるのは当然である。
福島事件,秩父事件,大阪事件等をはじめとする自由民権期の裁判,足尾鉱毒事件,大逆事件,大正昭和期における社会主義関係の諸事件等においてそれぞれの時代の代表的弁護士が果たした役割はきわめて重要なものがあり,法廷とりわけ刑事法廷において日本弁護士史は最も華麗に開花したといえる。現行弁護士法(1949公布)1条が,基本的人権の擁護と社会正義の実現を弁護士の使命としているのは,このような抵抗の伝統に立脚するものである。しかし反面において,とりわけ昭和期に入ってからは,当局の御用機関たる地位に甘んじる屈従の側面が表面化したことも否定できない。また,弁護士の活躍する舞台が法廷から会議室へ移動するのは,成熟した資本主義経済の弁護士に対する強い要請であるが,日本弁護士のこれに対する対応には,前記の歴史的事情からして,大きな限界があったように思われる。
1997年現在,日本には1万6000人を超える弁護士がいる。人権尊重を一つの柱とする憲法の下で,戦前に比較すればその社会的地位は向上し,役割は増大している。原則的な資格要件としての司法試験合格という関門は,50~60人に1人という先進諸国に例を見ないほどの難関である。
にもかかわらず,弁護士が真に社会の要請にこたえているかということについては,弁護士のあいだにおいても疑問視する声がある。明治以来の伝統は今も生きていて,刑事事件や公害事件等を中心とする弁護士の法廷活動の水準は高いといえるが,市民や企業の側からの要求に即応する態勢を作ることがいまだに困難である。もちろん,市民や企業の法意識が必ずしも先進国並みでないということもあり,前述したような歴史的事情もその原因の一つである。また法学教育や法曹教育のあり方にも問題点があろう。裁判の進め方(とくに訴訟遅延)にも問題なしとしない。弁護士会を中心として,このような困難な諸条件を克服しつつ,市民に親しまれ,企業にも役だち,あわせて前述した弁護士の使命の達成に遺憾なきを期することは,現代の弁護士が早急に解決すべき重要な課題となっている。
(2)現行の弁護士制度 弁護士法3条は,弁護士の職務を〈当事者その他関係人の依頼又は官公署の委嘱によって,訴訟事件,非訟事件及び審査請求,異議申立て,再審査請求等行政庁に対する不服申立事件に関する行為その他一般の法律事務を行うこと〉とし,弁護士は弁理士および税理士の事務を行うことができるものとしている。
弁護士となる原則的資格要件は前述のように司法試験に合格して2年間の司法修習を終えることである。資格者が弁護士となるには日本弁護士連合会に備えた弁護士名簿に登録されなければならない。
弁護士はその職務上知りえた秘密を保持する権利を有し,義務を負う。また相手方からの依頼を承諾した事件等については職務を行うことを禁止されている。弁護士が弁護士法や弁護士会の会則に違反したときや弁護士としての職業倫理に反する行為をした場合は弁護士会による懲戒の対象となる。
弁護士費用については日本弁護士連合会が一応の全国的基準を示しており,これをもとに各弁護士会が報酬規定を定めている。訴訟事件の報酬は依頼の際に支払う着手金と成功の程度に応じて支払う報酬金とからなる(〈訴訟費用〉の項参照)。
なお,訴訟において弁護士が果たす機能については〈訴訟代理人〉(民事の場合),〈弁護人〉(刑事の場合)の項を参照されたい。
→法曹
執筆者:古賀 正義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
弁護士は、裁判官、検察官とともに、法曹三者の一つであり法律実務家である。そして、裁判官と検察官とが公務員であるのに対し、弁護士は在野法曹と称される。すなわち、弁護士とは、依頼者のために民事・刑事の訴訟に関して活動し、その他一般の法律事務を行い、かつ裁判の適正を確保するための専門的職業にある者をいう。
日本における弁護士制度は、明治に至るまではなかったといえよう。1872年(明治5)太政官達(たっし)「司法職務定制」により弁護士の前身といわれる代言人が認められ、これが職業的資格として公認されたのが、1876年の司法省達「代言人規則」によってである。これも1880年に改正されたが、1893年旧旧弁護士法が制定され、これをさらに全面的に改正して1933年(昭和8)旧弁護士法となった。第二次世界大戦後の1949年(昭和24)6月10日、弁護士の自治能力が評価され、それまで強かった官僚統制を排除した新しい弁護士法が誕生した。これが現行の「弁護士法」(昭和24年法律第205号)である。これによれば、弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。そして、この使命に基づき、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持および法律制度の改善に努力しなければならない(1条)、としている。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年7月19日]
弁護士制度一般についても、世界各国の法制によって異なるものがあるので、これを概観する。日本の訴訟法の母法ともいえるドイツにおいては、古くは2種類のいわゆる二元的弁護士制度をとっていたが、現在はレヒツアンバルトRechtsanwalt(弁護士の意)のみの一元的弁護士制度である。アメリカ合衆国では、州によって若干相違があるが、ローヤーlawyer、アタニattorney、カウンスルcounsel、アドバケートadvocate(いずれも弁護士の意)などと称される一元主義弁護士制度をとっている。これらは一元的弁護士制度という点で、日本と同様であるが、二元的弁護士制度をとっている国々もある。たとえば、イギリスでは、弁護士に相当するものとしてバリスターbarrister(法廷弁護士)とソリシターsolicitor(事務弁護士)との2種類があり、バリスターは依頼者のために訴訟書類を起草し、また法廷で弁論するが、依頼者から直接に事件を引き受けることはせずにソリシターから委嘱される。ソリシターは、いわば法廷外弁護士で、当事者の依頼によって契約書の作成や法律事件の相談に応じ、また訴訟になれば、バリスターの下準備をするほかに、下級裁判所では自ら弁論することもできる。フランスにおいても、アブウェavoué(代訴人)とアボカavocat(弁護士)の2種の区別があり、前者は1971年に、かなり改変されているが、裁判所の所属員であって、もっぱら訴訟書類の作成に従事するのに対し、後者は弁護士会に登録されており、法廷で口頭弁論をするなどの相違がある。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年7月19日]
日本の現行法における弁護士は、当事者その他関係人の依頼または官公署の委嘱によって、訴訟事件・非訟事件および審査請求・再調査請求・再審査請求など行政庁に対する不服申立て事件に関する行為その他一般の法律事務を行うことを職務とする(弁護士法3条1項)者であって、弁護士は当然、弁理士および税理士の事務を行うことができる(同条2項)。
弁護士になるためには厳しい資格が要求されており、原則として、司法試験に合格し司法修習生としての修習を終えた者であって(同法4条)、その点は裁判官や検察官の任命資格と共通であるが、そのほかに一定範囲で特例が認められており(同法5条)、また一定の欠格事由の定め(同法7条)もある。なお、弁護士となるには、かならず日本弁護士連合会(日弁連)に備えた弁護士名簿に登録されなければならない(同法8条)。
弁護士が職務を行うのは、通常依頼者との私法上の契約によるのであり、これに伴って必要に応じて代理権が授与される。弁護士は法令による官公署からの委嘱を正当の理由がなく辞することが認められていない(同法24条)。このほかの事案については受任の義務はなく、依頼を承諾しないときは依頼者に速やかにその旨を通知しなければならない。弁護士と依頼者との間の関係は、委任の法理によって律せられる。
弁護士報酬算定の基礎となっているのは、原則として依頼者が受ける経済的利益であり、弁護士は、これに対するパーセンテージにより、事件着手のときに手数料(着手金)を、依頼の目的を達したときに謝金(成功報酬)を受け取ることとなっている。そのために、日本弁護士連合会の定める一般的指針である「弁護士の報酬に関する規程」(平成16年4月1日施行)があるが、報酬の不確定性は否定できない。なお、現行民事訴訟法のもとでは、「訴訟費用は敗訴の当事者の負担とする」(同法61条)のが原則であるが、弁護士報酬はこの訴訟費用に算入されないとするのが通説である。したがって依頼者が勝訴しても、自分の支払う弁護士費用を相手方に請求することはできない。これに対して、勝訴者の支出した弁護士費用を訴訟費用の一部として、敗訴者に負担させるべきである、との主張がないわけではない。また判例のなかには、訴訟費用としてではないが、勝訴者の支出した弁護士費用の一部を敗訴者に負担させるものが、かなりみられるようになった。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年7月19日]
外国弁護士(外国において法律事務を行うことを職務とし、弁護士に相当する者)の日本における活動については、1980年代初頭、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国から、その受け入れにつき強い要望があったので検討された結果、相互主義のもとでこれを承認することとなった。すなわち、昭和61年5月23日法律第66号により「外国弁護士による法律事務の取扱いに関する特別措置法」が制定された。その後何度か改正されたが、現行法によれば、外国弁護士となる資格を有する者は、3年以上の職務経験があり、法務大臣の承認を受けた場合に限り、外国法事務弁護士となることができ(同法7条、10条)、その際には、日本弁護士連合会に備える外国法事務弁護士名簿に登録を受けねばならない(同法24条)。外国法事務弁護士の職務範囲は、承認の基礎となった外国弁護士となる資格を取得した外国法(原資格国法)(同法2条4~6号)、または、外国法事務弁護士が特定の外国法について、とくに知識・能力あるものとして、その取扱いを法務大臣により承認された特定外国法(指定法)(同法2条8~10号)に関する法律事務に限定されている(同法3条、5条)。しかし、この特定外国法以外の第三国法法律事務についても、その法律事務業務に従事している者の書面による助言を受けて行うことができる(同法5条の2)。また、日本を仲裁地とする国際仲裁事件の手続においては、外国法事務弁護士は当事者を代理することができることになっている。しかし外国法事務弁護士は、日本の弁護士を雇用することはできず、またその職業上の使命・職責も日本の弁護士とほぼ同様に課せられており、懲戒(同法51条以下)、罰則(同法63条以下)も設けられている。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年7月19日]
刑事弁護に関して注目すべきことは、全国の各弁護士会で運営されている当番弁護士制度であろう。この制度は被疑者が弁護人の援助を受ける権利を実質的に保障しようとするもので、すでに被疑者またはその家族等の依頼を通じて待機している弁護士や名簿に登録されている弁護士が、捜査段階で出動して弁護活動を行うという制度である。また一部の弁護士会では、依頼がない場合であっても、少年事件や弁護の必要性の高い重罪事件等では、独自の判断で弁護士を派遣すること(委員会派遣制度)も行っている。しかしながら、いずれも法制度化されていないため、地域ごとに実施状況に偏りがあったり、検察や警察との連携面や財政面での課題が残されている。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年7月19日]
弁護士は、前述のように日本弁護士連合会の弁護士名簿に登録されることが必要であるとともに(弁護士法8条)、各地域の弁護士会に入会しその会員となって(同法36条)、業務を行っている。日本弁護士連合会に登録されている弁護士は、3万6466名である(2015年4月1日時点。最高裁判所『裁判所データブック2015』30頁より。以下の数字も同様)。これらの弁護士が会員になっている主要な地域弁護士会の会員数の上位は、東京(東京弁護士会・第一東京弁護士会・第二東京弁護士会)1万6918名、大阪弁護士会4226名、愛知県弁護士会1783名、横浜弁護士会(2016年、神奈川県弁護士会に改称)1493名、福岡県弁護士会1148名、埼玉弁護士会757名、札幌弁護士会730名、千葉県弁護士会723名となっている。これら大都市ないしその周辺地域の弁護士会の会員数は、登録されている全弁護士の75%を超えている。弁護士がこのように大都市やその周辺地域に集中しているため、それ以外の地方で活動する弁護士の数が少ないという、弁護士過疎が問題になっている。
日本弁護士連合会は、地方におけるこのような弁護士過疎の弊害を少なくするため、ひまわり基金を設け、この基金を利用して弁護士過疎の地域においても法律事務所を開設してその地域住民のためサービスを提供している。このほかにも、全国で、民事、刑事を問わず裁判その他の法による紛争の解決のための制度を国民が容易に利用できるようにするため、総合法律支援法(平成16年法律第74号)に基づき、独立行政法人である日本司法支援センター(法テラス)がサービスを提供している。
このように、日本弁護士連合会は、弁護士などによる法律サービスを市民がより身近に受けられるようにするために、総合的な支援の実施および体制の整備に努めている。
[加藤哲夫 2016年7月19日]
『石井成一他編『講座 現代の弁護士』全4巻(1970・日本評論社)』▽『棚瀬孝雄著『現代社会と弁護士』(1987・日本評論社)』▽『東京弁護士会弁護士研修センター運営委員会編『弁護士研修講座』(1987~2010・商事法務研究会)』▽『松井康浩著『日本弁護士論』(1990・日本評論社)』▽『日本弁護士連合会調査室編著『条解弁護士法』第4版(2007・弘文堂)』▽『高中正彦著『弁護士法概説』第4版(2012・三省堂)』▽『東京弁護士会調査室編『弁護士会照会制度』第5版(2016・商事法務研究会)』▽『潮見俊隆著『法律家』(岩波新書)』
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…古代メソポタミアでは,裁判官が王の名において下した判決は神聖な力を持ち,それに対する不服従はそれ自体が天罰を招くとされた。一般に,このような神意裁判は,儀礼的手続によって神を呼び出すという観念に基づいていたため,当事者が定まった文言を誤りなく述べなければ敗訴とされる(そのため代弁人が用いられたことが,弁護士の一つの起源とされる)というように,厳格な形式主義に支配されることが多かった。 神意によって法的判断に到達する上述のような超自然的な方法を,M.ウェーバーは形式的で非合理的法思考と呼んだ。…
※「弁護士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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