張彦遠
ちょうげんえん
Zhang Yan-yuan
[生]長慶1(821)以前
[没]乾符1(874)以後
晩唐の文人,書画史家。貴族。字は愛賓。河東 (山西省永済県) の人。その家は六朝の張華を祖とし,唐代に3人の宰相を出した名族で,代々書画の収集に熱心であった。大中1 (847) 年に尚書祠部員外郎,乾符年間 (874~879) に大理卿にいたった。隷書と八分の書に優れ,文章,絵画も巧みであった。著書『法書要録』『歴代名画記』は,唐末までの書画史書の集大成としての意味をもつと同時に,晩唐という危機的状況下における彼の歴史意識を如実に反映したものとしても評価される。
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ちょうげんえん【張彦遠 Zhāng Yàn yuǎn】
815?‐?
中国,唐代の鑑識家。字は愛賓。河東蒲州(山西省永済)の人。三代宰相の名門。大中の初め左補闕から祠部員外郎となり,乾符年間(874‐879),大理郷に至った。博学で文章をよくし,書画に巧みで,とくに鑑識に長じた。《法書要録》10巻を編して,漢から唐に至る書論を集成し,《歴代名画記》10巻を著して,画史画論を展開し,画人の伝記を詳述した。いずれも唐代以前の書画の歴史を研究するうえで最も重要な古典である。
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世界大百科事典内の張彦遠の言及
【気韻】より
…気韻生動とはこのような気が人物画や動物画においても働いて,生けるがごとき写実的表現が達成されていることをいう。ところが線描が素朴から繊細へ,さらに豪放へと発達すると,線描を通して画家の気持が絵画に反映するようになり,張彦遠の《歴代名画記》では気韻を立意と考えていて,生き生きとした写実とは画家の心情が感情移入されるのだという。中唐以降,いわゆる水墨画が興り,それに伴って山水画が盛行するようになると,人物画,動物画についていわれた気韻は通用しなくなり,北宋の郭若虚の《図画見聞記》では,気韻は生得のもので後天的にはいかんともしがたいとし,その画家の人柄によるという。…
【水墨画】より
…唐末から五代を経て北宋において一応の完成を遂げる近世絵画には,多かれ少なかれいわゆる水墨画的性格があるので,ことさら水墨画と呼ぶ必要がないともいえる。 水墨画出現の状況をいきいきと伝えるのが張彦遠の《歴代名画記》である。張彦遠は中世の正統的な絵画観,つまり線描を根底とする絵画観に立ち,絵画史の展開を線描の発達をもとにして上古は素朴,中古は繊細,近代は豪放としてとらえ,近代すなわち盛唐玄宗朝(712‐756)の呉道玄において最高の絵画が成立したと考える。…
【歴代名画記】より
…中国,唐代の張彦遠(ちようげんえん)撰の画史。10巻。…
【六法】より
…中世末から近世にかけて線描が多様化し,ついには筆に対して墨を重視する水墨画が成立すると六法の解釈も大きく変化した。唐の張彦遠(ちようげんえん)は気韻生動を画家の意が線描にあらわれることとし,伝移模写はとるにたらぬといい,宋の郭若虚は,気韻生動を画家生得の人柄が画にあらわれることとした。水墨画は線と色を相対化し,そのテーマも山水を主としたから,本質的に六法とは合わぬものであり,唐末五代の荆浩(けいこう)はその水墨山水画編《筆法記》で六法にかわる六要を唱えている。…
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