精選版 日本国語大辞典 「彰義隊」の意味・読み・例文・類語
しょうぎ‐たい シャウギ‥【彰義隊】
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戊辰(ぼしん)戦争の佐幕派の軍事集団。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた将軍徳川慶喜(よしのぶ)が江戸に帰り上野に謹慎した1868年(慶応4)2月12日、旧一橋(ひとつばし)家家臣17名が江戸雑司谷(ぞうしがや)に会合して慶喜の復権と薩摩(さつま)討伐を協議、賛同者60余名を得て尊王恭順有志会を結成した。23日、隊名を彰義隊とし、頭取を渋沢成一郎(せいいちろう)、副頭取を天野(あまの)八郎とし、屯所を浅草・本願寺に置いた。徳川家がこれを公認し江戸市中警衛を委任するや、慶喜護衛を名目に上野に移転。江戸城が開城し、慶喜が水戸に去ってからも屯所を動かさなかった。のち内部対立があり、渋沢は脱隊して別に飯能(はんのう)(埼玉県)で振武(しんぶ)隊を結成したが、彰義隊に入隊する者が相次いで総員1500余名を数え、関東の旧幕勢力と気脈を通じて新政府軍との対立を深めていった。当初、東征大総督は兵力不足から攻撃を控えていたが、三条実美(さねとみ)と大村益次郎(ますじろう)の江戸着任後、討伐を決意。同年5月1日、徳川(田安(たやす))慶頼(よしより)の江戸市中警衛の任を解いて総督府がこれにあたることとし、彰義隊の合法性を剥奪(はくだつ)した。15日、大村の指揮のもとに上野を攻撃、彰義隊は壊滅し、残党は東北地方に逃走、関東は維新政府の支配下に入った。
[井上 勲]
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戊辰(ぼしん)戦争時の上野戦争で新政府軍と戦った旧幕臣隊。1868年(明治元)2月23日,徳川慶喜(よしのぶ)側近の渋沢喜作(きさく)を頭取,天野八郎を副頭取として,慶喜の護衛と江戸市中の警衛を名目に結成され,旧幕臣を中心に牢人も加わり隊員は3000人にのぼった。4月の江戸開城後はしばしば政府軍と衝突,慶喜の水戸退去後も上野寛永寺にたてこもって抵抗したが,5月15日大村益次郎の率いる新政府軍の一斉攻撃をうけて壊滅,一部は榎本武揚(たけあき)の旧幕艦隊に加わった。
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