出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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中国、花鳥画の画風。五代南唐(なんとう)(10世紀)の画家徐煕(じょき)とその孫徐崇嗣(じょすうし)を祖とする中国花鳥画様式で、黄氏体(こうしたい)と対立する二大画風の一つとして、ともに北宋(ほくそう)末以降の中国花鳥画の典型となり、花鳥画の流れを担った。黄筌(こうせん)に始まるとする黄氏体が勾勒(こうろく)賦彩(精密な輪郭線と濃彩)による写生的な描法であるのに対し、輪郭線を用いず墨や色の濃淡を主体とする没骨(もっこつ)法を特徴とし、対象の外形描写よりも、形態の大要を写して、その本質的なものの表現を目ざしており、黄氏体が主として画院で行われたのに対し、徐氏体は後の文人画家の好んでとるところとなった。
[星山晋也]
…しかし独立の部門として本格的に成立したのは五代からで,蜀に黄筌(こうせん),南唐に徐熙(じよき)が出,花鳥画の二大源流をなした。黄筌と子の黄居寀(こうきよさい)らの黄氏体は,鉤勒塡彩(こうろくてんさい)法を用いて華麗な富貴さに特色があり,徐熙と孫の徐崇嗣らの徐氏体は,水墨と没骨(もつこつ)画法を取り入れて瀟洒な野逸さに特色があった。次に北宋の画院では,初め黄居寀が勢力を振るい黄氏体が指導様式となったが,しだいに趙昌,易元吉,崔白などの写生画法が採用され,末期の徽宗画院は,写実を重視した徐黄折衷の院体画を成就した。…
※「徐氏体」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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