鎌倉後期の随筆。2巻。兼好著。成立年時不明。かつては1330年(元徳2)11月以後、翌年(元弘1)10月以前成立とする説が信じられたが、いまは疑問視されている。20代の起筆かとも、最晩年まで書き継がれたかともいい、執筆、編集の過程についてもさまざまに考えられており、決着をみていない。題名は、序段の「つれづれなるままに」の冒頭の語によったものである。一般に近世初頭の烏丸光広(からすまみつひろ)校訂古活字本が用いられるが、中近世にわたる多数の写本、版本などが残る。
[三木紀人]
心に浮かぶまま、連想の赴くままに書きつづったものである。長短不ぞろいの全244段に分けて読む習わしになっている。そのうち、序段には、随筆としての本書の趣旨・内容に触れる簡潔な記事がみられる。以下、貴族社会に生まれた男が願う物事に触れる第1段から、仏について父と問答を交わしたことを回想する第243段まで、各段の主題、内容はきわめて多岐にわたる。すなわち、その内容は、評論的なもの、説話的なもの、断片的な知識についての聞き書き、覚え書き的なもの、回想的なもの、その他と大別できようが、その内訳はまた多種多様である。たとえば評論的なもののなかには、「万事は皆、非なり。言ふに足らず。願ふに足らず」(第38段)のような手厳しい口調のものもあり、「よき友三つあり。一つには物くるる友。……」(第117段)のような、ふと心に浮かぶままをユーモラスに書き流したものもある。また、主題においては、現世を否定して発心遁世(ほっしんとんせい)を説く仏教的な段、人間の性格・心理・行動様式などについてその類型の素描を交えつつ論ずる段、趣味・教養・処世法などに触れる段などと変化に富む。それら多彩な内容をそれぞれの主題、素材にふさわしく論じ分け、描き分けており、本書は、各ジャンルの例文集のような趣(おもむき)もあるが、兼好による個性的統一が全体をよく引き締めており、分裂した印象を与えない。思想的には尚古的姿勢、王朝的・都会的価値観が目だち、当世風の事物に批判的であるが、新時代を担う武士、商人などに視野を広げようとする一面もあり、地方人や無名の専門家たちの知恵を紹介して共感を示す記事が多い。中世人の心をとらえた無常思想は本書にも流れており、それから導かれた見解が随所に出ている。とくに、無常感による物事への見直しを示唆する第137段、四季の変化を例に引きながら生成と衰亡のさまを重層的に指し示す第155段などは圧巻で、それらに至る各段のなかに、兼好の無常思想の発展、進化の跡が著しい。全体として、学問、思想などに関することを本格的に考察したものではなく、むしろ日常生活に根ざす実感のままに書いたとおぼしき部分が多い。独断と偏見をはばからない筆致はすこぶる刺激的で、これにうなずいたり反発したりして読むことは、いわば精神的柔軟運動となるはずである。
[三木紀人]
構成は平安時代の『枕草子(まくらのそうし)』に倣っており、個々の段にもそれを模したものが少なくない。ただし、目配りの広さ、論じ方の柔軟さは『枕草子』以上である。そのことは兼好の精神のあり方にもよろうが、彼をはぐくんだ和漢の古典に負う面も大きいと思われる。本書には、仏書、儒書、各種の漢詩文から、わが国の詩歌、物語、日記、説話、軍記、文学論、法語などに至るさまざまな先行書に触発された部分が目だつ。
[三木紀人]
成立後しばらくは人の耳目に触れなかったらしく、兼好の生存時の文献で『徒然草』に言及したものは一例もない。確認できる最初の読者は1世紀後にこれを書写した歌人正徹(しょうてつ)にすぎず、室町時代には一部の知識人に知られるにとどまったようであるが、江戸初頭の啓蒙(けいもう)期に有名になり、以後急速に読者が増大した。ただし、内容のどの面に中心を置くかにより読み方はさまざまで、教訓書とも、趣味論、人生論などともみなされる。それは、多様な読者それぞれの関心にこたえるだけのものを本書がもっていることの現れであろう。
[三木紀人]
『安良岡康作著『徒然草全注釈』上下(1967、68・角川書店)』▽『三木紀人著『徒然草全訳注』4冊(講談社学術文庫)』▽『永積安明著『徒然草を読む』(岩波新書)』
鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。序段〈つれづれなるままに日暮し硯に向かひて,心に映り行くよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば,あやしうこそ物狂ほしけれ〉は,書名の拠る所で,作者の執筆時の状況が示されている。作品の特色をいえば,まず文章表現が卓抜な点で,話題によって漢文訓読体と和文体とを使い分け,厳粛な場面,滑稽な場面等々に応じて,柔軟に語り口を変えている。しかも簡潔を旨とし,冗長に流れることがない。第2に,人間への独自な親近感,信頼感がある。美意識では都人の側に立つが,粗野な田舎人がすべて悪いとはきめつけない。しかも他人の言を多く引き,それに共感することでさりげなく自己主張に代えている。第3に,利己的ともいえるほど人それぞれの生き方の自由を認めている。そしてそこで説かれている生活の知恵は,きわめて現実的である。この随筆は貴族男子の読物として書かれたらしいが,戦乱の時期を通じて歌人,知識人たちにも愛読された。江戸時代には町人の知恵のよりどころとなり,多くの版本が刊行された。〈つれづれ〉の名を付した作品に,井原西鶴の《西鶴俗つれづれ》などがある。
執筆者:桑原 博史
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鎌倉後期~南北朝期の随筆。2巻。吉田(卜部(うらべ))兼好(けんこう)著。成立には1319年(元応元)の一部起筆を認める説や,30年(元徳2)頃とする説,50年(観応元・正平5)頃まで引き下げる説などがある。堀川家の家司をへて蔵人(くろうど)として朝廷に仕えた経歴もあって,有職故実に明るく尚古趣味が強い反面,金沢文庫蔵文書からは関東との深い関係が推定され,北条氏や関東武士の質実さ,誠実さへの共感もみられる。石田吉貞は,山林の隠者から市井の隠者への変わりめに立っていると評したが,無常観の底に人間への精力的な働きかけを読むことができる。「新日本古典文学大系」他所収。
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…この系統は絶えることなく近世に至って盛んとなり,近代にも引きつがれたのは,日本人に適した表現様式であるためであろう。
[中世~近世]
中世の随筆といえば,従来,鴨長明の《方丈記》,吉田兼好の《徒然草》の2点があげられる。しかし《方丈記》は漢文の文章の一体である〈記〉を書名とする。…
…鎌倉時代に軍記物語が生まれると彼らは《平家物語》を表芸として語り(平曲),その内容をより豊かにした。《徒然草》には生仏(しようぶつ)を平家語りの祖と記すが,のちに名人の城一の弟子筑紫如一,八坂城玄が2流をたて,如一は一方(いちかた)流を,城玄は八坂流を称して芸を競った。〈当道〉では,2月に京都四条河原で石塔会(しやくとうえ),6月に納涼会を催して祖神をまつり,その出席の席次によって勾当(こうとう),検校(けんぎよう)と位が進む。…
…〈平家琵琶〉〈平家〉〈平語(へいご)〉ともいわれたが,最近は〈平曲〉の名称が一般的である。
[歴史]
起源には諸説あるが,なかでも有力視されているのは《徒然草》の記述で,それによると,後鳥羽院の時代に天台宗座主慈鎮(じちん)(慈円)の扶持を受けていた雅楽の名人,信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)が《平家物語》を作り,生仏(しようぶつ)という東国出身の盲人に教えて語らせたのが初めという。天台宗では慈覚大師(円仁)以後,民衆教化のために〈和讃(わさん)〉や〈講式〉といった宗教的な語り物を積極的に作り出していた。…
…また,このころまでに鎌倉へも2回以上赴いている。《徒然草(つれづれぐさ)》の執筆は1317年から31年(元弘1)の40代後半から50代前半にかけてと推定され,〈つれづれなるままに〉と書き出されるこの随筆が代表作となった。 1345年(興国6∥貞和1)ころ,勅撰集《風雅和歌集》の撰集に提供するため《兼好法師自撰家集》(《兼好法師集》)を編集したが,自筆草稿本が尊経閣文庫に現存する。…
※「徒然草」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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