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江戸幕府第7代将軍。6代将軍家宣(いえのぶ)の三男。母は家宣の側室輝子(てるこ)(月光院)。兄2人の夭死(ようし)により、家宣没後、1713年(正徳3)4歳で将軍職就任。在職わずか4年だったが、間部詮房(まなべあきふさ)、新井白石(あらいはくせき)の補佐により、父家宣の遺業である、金銀貨改良、長崎貿易改革(海舶互市新例(かいはくごししんれい))を完成したほか、評定所(ひょうじょうしょ)の公平な運営により多くの名判決を残した。室鳩巣(むろきゅうそう)の手紙によれば、聡明(そうめい)仁慈でふるまいも静かで上品だったという。1715年に正夫人として皇女八十宮(やそのみや)との婚約がなったが、翌年家継が没したため、降嫁は実現しなかった。法号有章院。
[宮崎道生]
『北島正元編『徳川将軍列伝』(1974・秋田書店)』▽『内藤耻叟編『徳川十五代史』(1892・博文館)』
(深井雅海)
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1709.7.3~16.4.30
江戸幕府7代将軍(在職1713.4.2~16.4.30)。6代将軍家宣(いえのぶ)の四男。母は側室月光院(お喜世の方)。幼名鍋松丸。法号有章院。5歳で将軍職を継ぎ,幼少のため側用人間部詮房(まなべあきふさ)が実権を握る。新井白石の献策により,1714年(正徳4)正徳金銀の鋳造,15年正徳長崎新例による長崎貿易の制限など,前代の政治を継続した。霊元上皇の皇女八十宮(やそのみや)と婚約したが,治世3年で没した。
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…江戸中期,1709年(宝永6)から15年(正徳5)まで7年にわたる6代将軍徳川家宣,7代家継の治世の通称。家宣は幕府内外からの期待をうけて将軍となり,生類憐みの令の廃止を手始めに前代の弊政の改廃につとめ,側用人間部詮房(まなべあきふさ),侍講新井白石がこれを補佐した。家宣は前将軍綱吉同様儒学を信奉し,新井白石の助言も加わって,その施策の基調に儒学の色調が濃く,また政治は将軍と側近に主導され,閣老の発言力が弱かったことも前代同様である。…
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