精選版 日本国語大辞典 「徳政」の意味・読み・例文・類語
とく‐せい【徳政】
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本来は、天変地異や疫病の流行などを君主の不徳によって生ずるものとして、それを除くために大赦、免税、貧窮者の債務免除などの際だった善政、仁徳ある政治を行うことであった。しかし中世ではもっぱら貸借、売買の無効、破棄を意味するようになる。
[酒井紀美]
徳政の意味がこのように変化する過程には、鎌倉後期に相呼応するかのように行われた公家・武家の徳政が大きくかかわっている。鎌倉幕府はその権力基盤をなす御家人(ごけにん)が質入れ、売却などによって所領を失い「無足(むそく)の御家人」となっていく動きを抑制するため、1267年(文永4)に最初の徳政令(所領回復令)を出し、さらに84年(弘安7)安達泰盛(あだちやすもり)の主導で展開された政治改革においても、徳政と所領回復令の一体化を進めることになった。一方、このころ公家のほうでも亀山(かめやま)院政によって徳政が積極的に行われ、仏神事の興行を目的として、寺社領の売却、質入れを無効とし本主への返還を命じている。徳政とはすなわち所領回復令だとする傾向は、1297年(永仁5)に幕府が非御家人、凡下(ぼんげ)に売却、質入れした御家人の所領をすべて無償で取り戻しうるとした永仁(えいにん)の徳政令を出すに至って、決定的なものとなる。
[酒井紀美]
中世農民の売券(ばいけん)に数多くみられる徳政文言(もんごん)のうちに、「天下一同又ハ公家武家之土一器(揆)等御徳政」というのがある。これは徳政が、朝廷あるいは幕府、守護などによって行われるだけでなく、土一揆によっても行われることを示すものである。公権力による徳政令が発布されたか否かにかかわりなく、土一揆が酒屋・土倉(どそう)に押し寄せ借書を破り質物を取り戻すといった実力行使に及ぶこと、あるいは地域の土豪連合や惣村(そうそん)が貸借関係の破棄・土地の取り戻しを認めることなどを、私(し)徳政・在地徳政とよんでいる。また、伊勢(いせ)、大和(やまと)を中心とする地域の売券には、売却地や質入れ地の取り戻し行為をさす「地起(じおこし)」(地興、地発)ということばがみられる。これらは中世社会にあって私的な徳政行為が広く行われていたことをうかがわせるものである。ただ、こうした私徳政はいずれも中世の後期になって姿を現してくるので、その限りでいえば、まず幕府などの公権力の徳政令があり、それに触発される形で私徳政が生まれてきたかにみえる。
しかし、近年の徳政論や「地起」をめぐる議論によれば、逆の事態が想定される。中世社会には、開発地と開発者の密接な結び付きに示されるような「土地と本主の一体化観念」が根強く存在しており、たとえ売買や質入れによって所有が移動しても、それは「仮の姿」であるとされた。こうした観念を背景に、元に戻す=本来のあるべきところに戻す=「復活」を本質的な内容とする徳政が行われたのである。こうした観点からすれば、「私徳政、在地徳政の海の中に、公武徳政の島が浮かんでいる」ということになる。
[酒井紀美]
土民(どみん)が「徳政と号して」蜂起(ほうき)する徳政一揆は、1428年(正長1)近江(おうみ)(滋賀県)に始まり畿内(きない)近国へとその動きが拡大していった正長(しょうちょう)の土一揆以来、戦国時代に至るまで頻繁に起こっている。1441年(嘉吉1)の土一揆は、京都周辺の土民数万人が京都の堂舎16か所に陣取り、洛中(らくちゅう)に攻め入って土倉を襲撃し、初めて室町幕府に「天下一同徳政令」(全国的に徳政を認める)を出させることに成功した。この動きは大和、伊勢、三河、若狭(わかさ)にも及び、とくに若狭国(福井県)太良荘(たらのしょう)では幕府の徳政令に対して「田舎(いなか)の大法」を主張する農民の姿がみられる。その後も1447年(文安4)、54年(享徳3)、57年(長禄1)と相次いで土一揆の蜂起があり、そのなかで私徳政も盛んに行われるが、享徳(きょうとく)の土一揆に際して幕府が「分一(ぶいち)徳政令」を出すに及んで、土一揆の目標は不鮮明なものとなる。またその基盤となっている惣内部に、土豪層と一般百姓という階層分化を際だたせるようになり、長禄(ちょうろく)以後の土一揆は組織性、連帯性を欠いたものとなっていく。「分一徳政令」とは、債務の10分の1を幕府に納めた者に限り徳政認可の奉書を与えるというもので、これにより合法的に徳政を認められるのは分一銭を納入できる富裕層に限られ、それが不可能な土民にとって徳政令獲得は債務からの解放を意味するものではなくなってしまう。しかも幕府は、徳政令によって減少した土倉役を、分一銭収取によって補填(ほてん)しうることになるのである。
しかし、「徳政と号して」蜂起した一揆が「私徳政、在地徳政の海」を背景にもつ以上、その徳政の内容を幕府の徳政令に限定してとらえることはできない。嘉吉(かきつ)の徳政令に対し「田舎の大法」を主張した若狭国太良荘の事例は、それを物語るものである。また1457年(長禄1)大和国(奈良県)布留(ふる)郷の郷民が山城(やましろ)国(京都府)の一揆に呼応して立ち上がり、布留郷に徳政を実施し、未進年貢の破棄、荘の桝(ます)を小さくする行為に及んだため、興福寺の発向を受けた事件などをみると、一揆が求め、そして実行した徳政の内容は、単に貸借関係の破棄や土地取り返しにとどまらず、未進年貢の破棄や、年貢収奪の象徴ともいえる収納桝を小さくし年貢の減免を図るといった、彼らの日々の生活に深くかかわる問題の解決を図ろうとするもので、さらに「世の生まれかわり」、再生を求める意識をも内包していたのである。
[酒井紀美]
『三浦周行著『法制史の研究』(1919・岩波書店)』▽『中村吉治著『土一揆研究』(1974・校倉書房)』▽『桑山浩然著『室町時代の徳政』(『中世の社会と経済』所収・1962・東京大学出版会)』▽『笠松宏至著『日本中世法史論』(1979・東京大学出版会)』▽『笠松宏至著『徳政令』(岩波新書)』▽『田中倫子著『徳政一揆』(『一揆2』所収・1981・東京大学出版会)』▽『勝俣鎮夫著『戦国法成立史論』(1979・東京大学出版会)』▽『勝俣鎮夫著『一揆』(岩波新書)』
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一般的には仁徳のある政治,善政を意味するが,債務破棄・売却地の取り戻しをもさす。本来の姿が正しく,世の秩序が時代とともに崩れていくのだという前近代社会の特徴的な観念にもとづけば,本来あるべき姿への回帰,秩序の復活に相当する。古代社会には,売却・譲渡したものを取り戻すことができる商返(あきかえし)の慣行があり,債務の破棄などが行われた。これが荘園整理令をへて,中世には,公家においては寺社領の,幕府においては御家人領の復活となって現れ,とくに弘安年間には公武一同の徳政として現れた。その眼目には,雑訴の興行すなわち裁判制度の拡充も含まれたが,これも本来あるべき姿を確定するための手段であったといえる。
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…第1はほぼ同時に作成された百姓衆起請文との比較から,全郷的な地侍一揆の下に近世の村規模単位の農民的結合〈百姓衆〉の存在が確認されることと,また一揆は百姓衆の支配を強化する目的で,結成されたことがわかる点。第2の特色は一揆が〈此方嘉例之徳政〉といわれる郷内独自の私徳政をもっており,それを管掌する〈徳政衆〉という機構をも備えていた点である。中世社会に広く在地固有の徳政が存在することを証明するうえで最も基本的な史料を提供してくれる一揆である。…
…幕府などの公権力が発布した徳政令によらず,私的に徳政の名で本来の持主が売買物,質入物を取り戻すこと。室町時代の社会の基層部には,なお移転した物,とくに土地は本来の持主のもとに帰るのが正しい姿であるという観念が強く存在し,種々の〈交替〉観念にもとづく契機により私徳政が行われる,〈徳政状況〉ともいうべき状態が存在した。…
…中世に徳政を要求して起こった土一揆(つちいつき)。荘園単位で領主に年貢の減免などを要求して起こった荘家の一揆と区別される。…
…まず,律令制がしかれ,中国の政治制度が本格的に採り入れられるに従い,天皇をはじめとする統治の任にある者が徳を有し,その徳をもって民を教化し,仁政を施すことが望ましいとの考えは,当事者たちの間で,少なくとも正面からは否定しにくい建前となった。とくに古代においては,天皇が詔勅等においてしばしば〈徳薄くして位にある〉と謙遜し,災害発生をその〈菲徳(ひとく)故〉とみずから責めており,一方,宮廷知識人の書いたとくに漢文の文章には天皇などによる〈徳化〉〈徳政〉をたたえる表現はそれ以降普通である。武士もその影響を受け,室町幕府が守護には〈有徳(うとく)者〉を任ずるべきであるとしたこともある(1338)。…
※「徳政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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