日本大百科全書(ニッポニカ) 「志賀直哉(年譜)」の意味・わかりやすい解説 志賀直哉(年譜)しがなおやねんぷ 1883(明治16) 2月20日、宮城県石巻で誕生1885(明治18) 一家で上京、祖父母の家に同居。祖父は旧相馬藩士で、足尾銅山の開発も行った1889(明治22) 学習院初等科に入学1895(明治28) 8月 母死去、義母を迎える1901(明治34) 夏、内村鑑三を訪ね、以来7年間出入りする。足尾銅山鉱毒地を視察に行こうとして父と衝突1902(明治35) 学習院で武者小路実篤、木下利玄らを知る1906(明治39) 9月 東京帝国大学英文科に入学、里見弴と親しくなる1910(明治43) 4月 武者小路らと同人雑誌『白樺』を創刊、『網走まで』発表。6月『剃刀(かみそり)』発表。大学を退学する1911(明治44) 4月『濁つた頭』発表1912(大正1) 9月『大津順吉』『クローディアスの日記』発表。10月 父との不和から家を出、広島県尾道に住む。『暗夜行路』の前身『時任謙作(ときとうけんさく)』に着手1913(大正2) 1月『清兵衛と瓢箪(ひょうたん)』発表。8月 電車にはねられ負傷する。10月『范(はん)の犯罪』発表。傷の養生のため城崎温泉へ1914(大正3) 夏、伯耆大山に登る。12月 武者小路の従妹康子(さだこ)と結婚1915(大正4) 9月 千葉県の我孫子に住む1917(大正6) 5月『城の崎にて』発表。8月『好人物の夫婦』発表。父との不和解ける。9月『赤西蠣太(かきた)』発表。10月『和解』発表1920(大正9) 1月『或る男、其姉の死』連載(~3月)。『小僧の神様』発表。9月『真鶴』発表1921(大正10) 1月『暗夜行路』前編発表(~8月)1922(大正11) 1月『暗夜行路』後編を断続連載1925(大正14) 京都時代を経て、4月 奈良に移り住む1926(大正15) 6月 美術図録『座右宝』を出版1933(昭和8) 9月『万暦赤絵』発表1937(昭和12) 4月『暗夜行路』後編の最終部分を一挙に発表、完成する1941(昭和16) 7月 日本芸術院会員1946(昭和21) 1月『灰色の月』発表1949(昭和24) 11月 文化勲章受章1954(昭和29) 1月『朝顔』発表1971(昭和46) 10月21日死去。青山墓地に葬られる 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例