怪談(読み)カイダン

デジタル大辞泉 「怪談」の意味・読み・例文・類語

かいだん【怪談】[書名]

Kwaidan小泉八雲の短編小説集。古典文学民間伝承に取材した「耳なし芳一ほういちの話」「雪女」「むじな」など17編の怪談と、虫に関する3本の短編を収録する。1904年刊。
小林正樹監督による映画の題名。昭和39年(1964)公開。水木洋子が脚色した全4話のオムニバス作品。音楽は武満徹カンヌ国際映画祭審査員賞受賞。

かい‐だん〔クワイ‐〕【怪談】

化け物・幽霊などの出てくる気味の悪い話。
真相がさだかでなく、納得のいかない出来事。
[補説]作品名別項。→怪談

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精選版 日本国語大辞典 「怪談」の意味・読み・例文・類語

かい‐だんクヮイ‥【怪談】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 不思議な話。あやしい話。気味が悪く、恐ろしい話。特に、化け物、幽霊などの話。
    1. [初出の実例]「怪談(クヮイダン)に御新造耳を閉(ふさげ)ば」(出典:談義本・豊年珍話(1760)序)
    2. 「不明な人に限って怪談(クヮイダン)奇説を好むもので」(出典:文明開化(1873‐74)〈加藤祐一〉初)
  2. [ 2 ] ( 原題Kwaidan ) 短編小説集。小泉八雲作。明治三七年(一九〇四)英、米両国で刊行。「古今著聞集」「仏教百科全集」など日本の古典や伝説に素材を求めた「耳なし芳一」「むじな」「雪女」など怪談奇話一七編、ほか三編を収める。

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改訂新版 世界大百科事典 「怪談」の意味・わかりやすい解説

怪談 (かいだん)

超自然,超現実的で,聞く人に恐怖を起こさせる物語。広義には,世界各地に共通して存在し,ファンタジー説話伝説等とも重なり合い,語り物,演劇,芸能,小説等のさまざまなジャンルにみられるが,ここでは,中国および日本の〈怪談〉について記述する。西欧では18世紀後半のロマン派芸術の台頭とともに怪奇小説が登場し,その後も多くの作品が書かれて小説の一ジャンルを形成している。
怪奇小説

中国においては,人間の体験でも,非日常的で,その原因が容易に説明できない異常な現象など,すべて怪と称する。これには神怪,鬼怪,精怪,妖怪の別がある。神怪は神祇としてまつられるものの示す霊異。鬼怪は人間の死霊(鬼)が出現するもので,いわゆる幽霊。精怪は動植物および石や器具などの物体が霊力を得て変化(へんげ)するもので,狐ならば狐精,蛇ならば蛇精,樹木ならば樹精という。いわゆる化物である。妖怪は以上のどれにも入らない正体不明の怪異をいう。これらのうち,鬼怪が代表的な怪談となる。怪異を語り,または記録したものを,古くは〈志怪〉と呼び,宋代では〈霊怪〉と呼んで講談の題材にもなっていた。近世では《剪灯新話》《聊斎志異》《子不語》などは,これらの怪異談を多く載せた記録または小説作品で,《剪灯新話》の《牡丹灯記》が日本の怪談《牡丹灯籠》の原話となったような例もある。
執筆者:

日本の場合は,固有信仰と仏教の葛藤のうえに,早くから怨霊の思想が発達していたが,平安朝以降になると,それは一方では〈鬼〉の思想となって《今昔物語集》《宇治拾遺物語》《古今著聞集》の説話のある部分を占め,他方では,陰陽道にむすびつき〈物の怪(もののけ)〉の思想となって,《源氏物語》《栄華物語》などの,凄惨な生霊・死霊の描写などに現れた。それらは固有信仰の古い神々の零落した姿としての〈おばけ〉,またあの世にさ迷い苦患する霊魂としての亡霊の,二つに分極してゆく。中世ではこれを〈天狗〉の思想でまとめ,また芸能としての〈能〉は,鎮魂しきれない人間の妄執のカタリを大きな主題としていた。江戸時代に入ると,あらためて,民間の怪談を互いに語り合う流行が生じ,〈百物語〉〈お伽はなし〉〈諸国はなし〉が武家層から庶民層にまで,大いに行われた。人や動物の執念や,もののタタリが信じられており,文学史的現象としては,近世民間怪談を集めた《義残後覚》(1596)や荻田安静の《御伽物語》があり,この流行は〈百物語〉系統の出版となって長く続く。また《奇異雑談集》(1687),《怪談全書》(1698)など,話の種としての中国怪談紹介のブームの中で,浅井了意は《剪灯新話》をもとに《御伽婢子(おとぎぼうこ)》(1666)を書いて新しい文学的境地を開いたが,この系統から都賀(つが)庭鐘上田秋成伊丹椿園らの,知識人作者による現実批判としての幻想怪異小説が生まれた。それに対して民間怪談はしだいにグロテスクで退廃的な耽奇へ走り,因縁話的な色彩を求め,その結果,江戸時代後期になると,芸能,文芸を問わず,職業化した作者や演者による合巻,読本,歌舞伎等は,争って人間世界の邪悪な葛藤,それを原因とする殺人,加虐,そして血みどろな亡霊とその凄惨な復讐,あるいは,化猫,蛇の執着といったテーマに走るとともに,独自な妖美・淫虐な世界を作った。
執筆者:

観客の興味の中心を亡霊・妖怪などによる怪奇性の表現においた歌舞伎狂言。能楽・初期歌舞伎の中にも幽霊の形象は舞台化されてきたが,〈浅間物(あさまもの)〉の傾城奥州の亡霊などに代表されるごとく,凄味・恐怖観念を描出することはなく,むしろ美的な精霊として受容されていた。寛政年間(1789-1801)以降,刺激的・衝撃的な戯曲を求める志向が強まるにおよんで,観客を恐怖させる目的の怪談狂言が現れた。1804年(文化1)河原崎座初演の《天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)》(4世鶴屋南北作)における乳母五百機(いおはた)の霊(初世尾上松助所演)がその嚆矢(こうし)とされる。松助はこの役で,乱れ髪や漏斗(じようご)と称する先細りの裾の鼠色の衣装などを円山応挙の絵を参考に工夫し,また引込みには仏壇へ飛びこむなどの手法で演じ,観客を驚かせた。いらい松助は夏芝居として新工夫の怪談物を続演し,さらにその子3世尾上菊五郎,3世の孫の5世菊五郎らによって継承,集大成された。上方では4世市川小団次・市川斎入(さいにゆう)(右団次)系の亡霊の芸が残された。著名な怪談物には《東海道四谷怪談》,《彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)》(小幡小平次),《実成金菊月(みのりよしこがねのきくづき)》(皿屋敷),《東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)》(佐倉宗吾)などがある。怪談物の眼目の一つにはケレントリック)の演出があり,観客の意表をつく仕掛物や早替りの技術が発達した。また夏狂言との関連で本水(ほんみず)や宙乗りもしばしば用いられる。明治期になって世相の変転が怪談物をふるわなくさせたが,《木間星箱根鹿笛(このまのほしはこねのしかぶえ)》(河竹黙阿弥作,1880年11月新富座)は従来の怪談物と趣向を変え,おさよの亡霊は岩淵九郎兵衛の神経病との解釈で,ガス光線を用いた新手法の亡霊を見せ,評判となった。また昭和に入っては宇野信夫作《巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)》(1935年9月,6世菊五郎主演)などが好評を博した。
執筆者:

人情噺を得意とする落語家が,たとえば三遊亭円朝作《怪談牡丹灯籠》(《怪異談牡丹灯籠》)や《真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)》のような因果・因縁物語の途中や終りにおいて幽霊を出す噺をいう。怪談噺を口演する落語家は,高座に背景をかざって,すごい調子で噺をつづけ,いよいよ凄惨の気がクライマックスに達したところで,高座の明りを消し,細い竹の先につけた焼酎火(しようちゆうび)を,高く,低く動かして,いっそう凄味を増し,やがて,高座に青い照明を投げかけると,ドロドロの太鼓とともに,演者の肩のあたりに前座の扮した幽霊があらわれ,ざんばら髪で,両方の手を胸のあたりに七三に下げ,白装束のうすもののすそをひいて,あっちへふわり,こっちへふわり,すり足で歩き,しばらく女性や子どもをおびやかしたあげく,〈はて,おそろしき執念じゃなあ〉というせりふとともに,ぱっと高座をあかるくして,〈まず,今晩はこれぎり……〉と終演した。初代三笑亭可楽門下の初代林屋正蔵を始祖としている。彼は,〈元祖・大道具・大仕掛・妖怪(ばけもの)ばなし。林屋正蔵〉の看板を掲げて興行し,《怪譚桂河浪(かいだんかつらのかわなみ)》(1835),《怪談春雛鳥(はるのひなどり)》(1838)など,得意の怪談物の草双紙四部を残した。彼が没したとき,火葬にしてくれという遺言どおりにすると,棺桶に仕掛けてあった花火が来葬者をおびやかしたという逸話も怪談噺の元祖らしい。幕末,三遊亭円朝も怪談噺に,《真景累ヶ淵》《怪談牡丹灯籠》《鏡ヶ池操松影(みさおのまつかげ)(江島屋騒動)》《怪談乳房榎》などを自作自演して人気を博した。近代にはいっては,春錦亭柳桜(しゆんきんていりゆうおう)(?-1894),5代目林家正蔵が著名だが,最近では,7代目一竜斎貞山林家彦六(8代目林家正蔵)が,しばしば口演して注目をあつめた。現在では,わずかに一竜斎貞水が孤塁を守っている。
執筆者:


怪談 (かいだん)
Kwaidan

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の短編小説集。1904年アメリカ,イギリスで刊行。著者が14年に及ぶ日本滞在の後期,妻小泉節子らに朗読させた日本の怪談を英語で再話したもの。〈耳なし芳一〉〈雪女〉〈貉(むじな)〉などはとくに有名で,邦訳,英語教科書,映画などを通して原文以上に日本人に知られている。《怪談》は民話収集の技術にたけたハーンが,文筆家としての芸術創造のはけ口をその再話行為に見いだしたもので,その種の怪奇的なるものへの関心は《骨董》その他の作品にも随所に見られる。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「怪談」の意味・わかりやすい解説

怪談(妖怪や幽霊にかかわる話)
かいだん

不思議な事柄についての話、とくに妖怪(ようかい)や幽霊にかかわる話をいう。妖怪とか変化(へんげ)とかいうのは、古来の信仰が衰えるとともに、雑多な神霊が落ちぶれて、わずかにその痕跡(こんせき)をとどめたものといえよう。一般には、妖怪や変化というかわりに、バケモノとかオバケとかよばれるが、そのようなことばが、幽霊をも含めて、あいまいに用いられている。しかし、民俗学の立場からは、妖怪と幽霊とは明らかに区別されなければならない。妖怪というのは、特定の場面に限るけれども、特定の相手を選ぶものではない。しかし、幽霊のほうは、特定の相手を選ぶけれども、特定の場面に限るものではない。また、妖怪というのは、さまざまの異様な姿に化けるだけでなく、物音や火や風としても現れるが、幽霊のほうは、ありのままの人間の姿で現れるのである。すでに古代から、多様な姿をとった妖怪が、しばしば説話の中心に置かれてきたが、下って近世には、一定の型を備えた幽霊が、多く怪談の主人公に据えられている。その型によると、草木も眠る丑満つ時(うしみつどき)、雨のそぼ降る柳の陰に、足元のおぼろげな姿で現れて、こまごまと恨みがましいことばを述べるというのである。

[大島建彦]

日本の怪異文芸

このような妖怪や幽霊に関する話は、伝説や世間話などの伝承を通じて知られるだけでなく、また怪異小説や怪談集などの文芸、怪談狂言や怪談咄(ばなし)などの芸能としてももてはやされている。さかのぼって、『日本霊異記(りょういき)』や『今昔物語集』など、いくつかの先行の説話集は、怪異に関することを扱っているが、怪談集としてまとまったものとはいえない。近世に至って、百物語の流行とともに、怪談集の形態も整ってきたといえよう。この百物語というのは、夜に数人が集まって交代で怪談をしあうというものである。そこでは、100本のろうそくをともしておき、怪談の一話を終えるごとに、その1本ずつを消してゆき、最後の1本を消すとともに、なにか妖怪が現れると伝えられている。そのような怪談会を背景に、『百物語』(1659)、『古今百物語評判』(1687)、『諸国新百物語』(1692)、『好色百物語』(1701)、『御伽(おとぎ)百物語』(1706)、『太平百物語』(1732)、『万世百物語』(1751)、『新撰(しんせん)百物語』(1766)、『新説百物語』(1767)、『近代百物語』(1770)など、多くの怪談集がつくられたのである。

 近世初期の怪談集として、荻田安静(おぎたあんせい)の『とのゐ草』(別名『御伽物語』1660)は民間説話の集録を企て、鈴木正三の『因果物語』(1661)は仏教思想の宣伝を図り、浅井了意の『御伽婢子(おとぎぼうこ)』(1666)は中国文学の翻案を試みたもので、それぞれ怪異小説の典型を示すものと認められる。また、作者不明の『曽呂利(そろり)諸国咄』(刊行年不明)はその第一の系統に属するもので、広く各地の怪談を集めており、まさに諸国咄の形態を整えたものといえよう。元禄(げんろく)期(1688~1704)を中心に、井原西鶴(さいかく)の『西鶴諸国ばなし』(1685)は、浮世草子(うきよぞうし)の体裁をとりながら怪談の集録を試みているが、それに対して、西村市郎右衛門(いちろうえもん)の『新御伽婢子』(1683)、『宗祇(そうぎ)諸国物語』(1685)などは、仮名草子の伝統を守りながら怪談集の制作を心がけている。この時期に至って、近世初頭成立の『奇異雑談集(きいぞうだんしゅう)』(1687)も、新たに印刷本として広まっていったが、そのほかに、浅井了意の『狗張子(いぬはりこ)』(1692)、林羅山(らざん)の『怪談全書』(1698)なども、やはり怪談物としてもてはやされている。さらに、宝暦(ほうれき)期(1751~64)を中心に、都賀庭鐘(つがていしょう)の『英草紙(はなぶさそうし)』(1749)が、読本(よみほん)の形態をとりながら、中国小説の翻案に基づいて、怪異小説の新生面を開いたのを受けて、陳珍斎(ちんちんさい)の『檠下雑談(けいかぞうだん)』(1755)、山本格庵(かくあん)『茅屋夜話(ぼうおくやわ)』(1755)、都賀庭鐘の『繁野話(しげしげやわ)』(1766)、『莠句冊(ひつじぐさ)』(1786)など、中国小説系の怪異小説をはじめ、恕翁(じょおう)の『虚実雑談集』(1749)、静観房好阿(じょうかんぼうこうあ)の『諸州奇事談』(1750)、慙雪舎素及(ざんせつしゃそきゅう)の『怪談登志男(としおとこ)』(1750)、烏有庵(うゆうあん)の『万世百物語』(1751)、鳥飼酔雅子(とりがいすいがし)の『著聞雑雑集(ちょもんざつざつしゅう)』(1752)、硯田舎紀逸(けんでんしゃきいつ)の『諺種初庚申(ことぐさはつごうしん)』(1754)、春名(はるな)忠成の『西播(せいばん)怪談実記』(1754)、作者不明の『諸国怪談帳』(1757)、箭角(せんかく)の『怪談録後集』(1757)など、民間説話系の怪談集も相次いで刊行されることとなった。

 そのような気運にのって、上田秋成(あきなり)の『雨月物語』(1776)が現れたのであるが、怪異小説の伝統を受けながら、高度の洗練を加えたものとみられる。その後もまた、読本や草双紙(くさぞうし)や滑稽本(こっけいぼん)はもとより、歌舞伎(かぶき)や講談や落語など、かなり広い分野にわたって、いわゆる怪談物がもてはやされたのである。

[大島建彦]

中国の怪異文学

中国には古くから、知識人は「怪力乱神を語るべきではない」(論語)という儒家的なたてまえがあった。しかしその裏では、中国人には怪異を好んで語る癖(へき)が強く、古典文学のなかに「怪異文学」の伝統が一筋の流れとして存在している。

 漢末から六朝(りくちょう)全般にわたり、知識人の間に怪異を語る風潮が大いに流行し、それを記録したものを「志怪(しかい)」とよぶ。ここでは、神仙、精怪、予兆、再生、幽界、幽鬼など超自然的な話が語られ、仏教の流行とともに、仏教説話、仏教的世界観が志怪のなかに浸透し、志怪はますます多彩な内容を備えるに至った。しかし、六朝志怪の基本的性格は、あくまで素朴な記録にすぎなかった。唐代に入って、六朝志怪にみられるような人知を超越した不可思議な事件や現象を素材とし、虚構を構成して人生の諸相を、個性ある作者が物語として展開した「伝奇(でんき)」が生まれ、小説史に一時期を画した。伝奇は、中唐以後に最盛期を迎え、宋(そう)代に入ってからもつくり続けられた。またその一方で、志怪の正統を意識的に確認しようとする『夷堅志(いけんし)』(洪邁(こうまい)著)のような志怪書も著されている。明(みん)代に入ると、瞿佑(くゆう)が『剪灯(せんとう)新話』を著し、多くの読者を獲得し、道教の流行とも相まって、その亜流が数多く出現したが、日本の江戸時代の怪談にも大きな影響を及ぼした。さらに明末には蒲松齢(ほしょうれい)が出て、一大ロマン『聊斎志異(りょうさいしい)』が著され、怪異文学の極致を示した。清(しん)代には、儒家の鬼神否定論に反発して怪談奇談集が数多くつくられたが、袁枚(えんばい)の『子不語(しふご)』、紀昀(きいん)の『閲微草堂筆記(えつびそうどうひっき)』などが代表的作品である。総じて、中国の怪異文学には、じめじめした恐ろしさは感じられず、むしろ超自然的な存在や現象と人間界との交渉を、人間臭く、からっと描くところに特徴があるように思われる。

[竹田 晃]

『柳田国男著『妖怪談義』(1956・修道社/『定本柳田国男集4』所収・1963・筑摩書房)』『今野円輔著『怪談』(社会思想社・現代教養文庫)』『竹田晃著『中国の幽霊』(1980・東京大学出版会)』

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デジタル大辞泉プラス 「怪談」の解説

怪談

1964年公開の日本映画。英題《Kwaidan》。監督:小林正樹、原作:小泉八雲、脚色:水木洋子、撮影:宮島義勇、美術:戸田重昌。出演:三國連太郎、新珠三千代、渡辺美佐子、岸恵子、仲代達矢、中村賀津雄、志村喬ほか。全4話のオムニバス作品。カンヌ国際映画祭審査員賞受賞。第20回毎日映画コンクール撮影賞、美術賞受賞。

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