人間に災禍、不幸をもたらす邪悪な霊的存在のこと。ただし悪魔、悪鬼、精霊、死霊などとの区別はあいまいである。また善霊との境界も明らかでなく、同一の霊的存在が善悪両面をもつ場合が少なくない。日本では祟(たた)りをなす霊魂を御霊(ごりょう)とよんで恐れた。御霊はこの世に恨みを残して死んだ高貴な人の霊魂で、神として祀(まつ)り上げることによってその怒りや恨みを鎮める。民間でも無縁仏や非業(ひごう)の死を遂げた者の霊が人々に危害を与えるという信仰が各地にみられる。また疫病(えきびょう)や虫、鳥、獣などの農作物に対する害は悪霊のためであるとして村の外へ送り出す行事もある。キツネ、ヘビ、犬神、生霊などの憑(つ)き物もしばしば悪霊とよばれる。諸外国でも悪霊信仰は多く、とくに妖術(ようじゅつ)信仰や精霊憑依(ひょうい)信仰との結び付きが強い。
悪霊はさまざまな面で善、神に対するもの、あらゆる意味で邪悪なもの、あるいは周辺的なものとイメージされる。すなわち、薄暗い所に潜み、夜に活動し、醜悪な姿、性的に異常、貪欲(どんよく)、人肉嗜好(しこう)、不幸を喜ぶ、気まぐれ、といった反社会的、反文化的性格を備え、その出自も他民族、他部族、他村などに求めることが多い。このような悪霊信仰は、人間が幸福を願い、そして現実には多くの不幸がある限り、その説明原理として、善霊や神の対立物として、道徳的、社会的秩序の対立物として、あるいは人間の心や社会に潜む悪の告白として必要であるともいえる。
[板橋作美]
ロシアの作家ドストエフスキーの長編小説。1871~1872年に『ロシア報知』に発表。聖書に、悪霊(悪鬼)に憑(つ)かれておぼれ死ぬ豚の群れの記述があるが、この作品は無神論革命思想をその「悪霊」に見立て、それに憑かれた人々の破滅を描こうとしたもので、実在のアナーキスト革命家ネチャーエフ(小説ではピョートル・ベルホベンスキー)が転向者イワノフ(シャートフ)を惨殺したリンチ事件に取材している。小説はこの事件を軸に、父の世代の自由思想家ステパン、人神論者キリーロフ、民族主義者シャートフ、専制社会主義者シガリョフら、錯雑した登場人物の重厚な思想的ドラマとして展開するが、「真の主人公」はそのいっさいの背後にある謎(なぞ)めいた存在スタブローギンで、彼については別に「告白」の章も残され、もっともドストエフスキー的な人物像として有名。革命や組織の問題について現代を予見した書とされ、日本の連合赤軍リンチ事件は小説発表の100年後に起こった。
[江川 卓]
『江川卓訳『悪霊』全二冊(新潮文庫)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…イスラムではシャイターンshayṭānという。悪魔・悪霊などと同一視され,その概念は必ずしも一定ではない。サタンは,旧約聖書では神に従属するものとされ,神対サタンという二元論は避けられている。…
…事件は明るみに出て,およそ1ヵ月後の12月中旬,当局は関係者の逮捕と革命組織の摘発に乗り出し,約300名が拘禁され,87名が裁判にかけられるという大がかりなものになったが,ネチャーエフ自身は再び国外に脱出した。同事件を契機に,ドストエフスキーが《悪霊》を執筆したことはよく知られている。再度スイスに姿を現したネチャーエフは,1870年夏までに《コロコル》《人民の裁き》誌を刊行したものの,その無原則性や挑発的で策略的な行動はついにバクーニンらの不信を買い,絶対的孤立に陥ったあげくに逮捕され,ロシア警察に引き渡された。…
※「悪霊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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