百科事典マイペディア 「惣領」の意味・わかりやすい解説
惣領【そうりょう】
→関連項目家子|一期分|奥山荘|鎌倉幕府|関東公事|信太荘|地【び】荘|隅田荘|党(日本史)|沼田荘
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中世の在地領主層・武家社会において,「家」の継承者として財産の主要部分を相続した子を,それ以外の子(庶子)に対していった。長子がその地位につくことが多かったが,器量が劣る場合など,次子以下から選ばれることも少なくなかった。庶子に対して年貢・公事の配分権や軍事的な指揮権などをもった。世代が下るとともに2次的な惣領・庶子関係がうみだされ,庶子の自立的な行動や惣領・庶子間の対立が顕在化したので,14世紀頃から惣領の権限の強化が図られた。嫡子単独相続制の成立する室町時代には,惣領が圧倒的な地位を占めて庶子を扶持し,家臣団に組み込んでいった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…65年には義敏が幕府に召還され,翌年に家督を認められた。 このほか信濃国守護小笠原家でも42年(嘉吉2)に政康が没すると,その子宗康と従兄持長が惣領職を争い,宗康が敗死したあとは弟光康が継いで,勢力を二分していた。このとき細川勝元は光康を,畠山持国は持長を支持していたといわれる。…
…【関口 裕子】 中世にいたると,庶子は家督を相続する嫡子に対する存在としてあった。鎌倉時代の武家社会では,庶子は,一族の統率者である嫡子(惣領ともいう)の指揮下に属し,幕府に対する御家人役に従事するのを慣例としていた。その場合の庶子は,嫡子によって配分された一族所領の規模に応じて,その封建的勤務の額を決定されるのがふつうであった。…
…中世武士団の惣領を中心とする結合とそれに伴う社会関係を惣領制と呼ぶ。中世武士は分割相続制をとっており,財産の中核部分は諸子のうちでももっとも能力(器量)があるとみなされた男子に譲られて,これが惣領といわれた。…
…とするならば,この規定から,妻の所領が夫からある程度独立した存在であったことが知られるであろう。事実その当時,妻の所領は,その大半がその里方一族の惣領の統制下にあったのであり,夫の支配からは一定程度自立した存在としてあったのである。このことは,妻の身柄そのものに関しても同様で,妻はつねに里方惣領の強い統制下にある存在だった。…
※「惣領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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冬期3カ月の平均気温が平年と比べて高い時が暖冬、低い時が寒冬。暖冬時には、日本付近は南海上の亜熱帯高気圧に覆われて、シベリア高気圧の張り出しが弱い。上層では偏西風が東西流型となり、寒気の南下が阻止され...
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