愛新覚羅浩(読み)アイシンカクラ ヒロ

20世紀日本人名事典 「愛新覚羅浩」の解説

愛新覚羅 浩
アイシンカクラ ヒロ
アイシンジュエルオ/ハオ*

昭和期の華族 旧満洲国皇帝の弟に嫁いだ“流転王妃”。



国籍
中国

生年
1914年3月16日

没年
1987年6月20日

学歴〔年〕
女子学習院高等科卒

経歴
1914年(大正3年)元侯爵嵯峨実勝の長女として生れ、’37年(昭和12年)当時の国策としての「日満親善」の下で、清朝最後の皇帝で満洲国皇帝になった愛新覚羅溥儀実弟溥傑と結婚、二女をもうける。太平洋戦争終結で満洲国が崩壊、中国各地を逃避行した末、’47年日本に引き揚げた。’57年には長女の学習院大生慧生が級友と伊豆・天城山で心中するという悲劇にも見舞われた。’61年特赦となった夫に中国で16年ぶりに再会し、「日中親善に尽くし中国に骨を埋める」覚悟で北京に移り住む。以後、中国政府の要職に就いた夫と平穏な日々を送り、’74年及び’80年夫妻で来日。著書に自伝「流転の王妃」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「愛新覚羅浩」の意味・わかりやすい解説

愛新覚羅浩【あいしんかくらひろ】

華族(かぞく)。東京都出身。本姓は嵯峨で,侯爵(こうしゃく)嵯峨実勝(さねとう)の長女。女子学習院卒業後,1937年に日満親善の国策のもと満州国皇帝の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)/(アイシンギョロブーイ)の弟愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)/(アイシンギョロブギェ)と結婚。敗戦で満州国が崩壊し,溥儀と溥傑はソ連軍に拘束され,浩は大陸を流浪して〈流転の王妃〉と呼ばれた。1947年に日本へ引揚船で帰国したが,1957年には長女慧生(えいせい)の伊豆天城(あまぎ)山中での心中という悲劇に見舞われた。1961年に中国に戻って溥傑と再会。以後,北京で暮らした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「愛新覚羅浩」の解説

愛新覚羅浩 あいしんかくら-ひろ

1914-1987 昭和時代,愛新覚羅溥傑(ふけつ)の妻。
大正3年3月16日生まれ。嵯峨実勝(さが-さねとう)の長女。昭和12年満州国皇帝溥儀(ふぎ)の弟と結婚。翌年誕生した長女慧生(えいせい)は「日満親善のシンボル」とされた。夫がソ連に抑留されたため,22年次女嫮生(こせい)と日本にもどる。32年天城(あまぎ)山心中で慧生をうしなう。35年に釈放された夫と,北京にすんだ。昭和62年6月20日死去。73歳。東京出身。女子学習院卒。著作に「流転(るてん)の王妃」。
【格言など】からくにと大和の国が結ばれて永久(とわ)に幸あれ千代に八千代に(昭和53年の日中友好条約成立に際して)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「愛新覚羅浩」の解説

愛新覚羅 浩 (あいしんかくら ひろ)

生年月日:1914年3月16日
満州国皇帝溥儀の弟溥傑の妻
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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