慕容氏(読み)ぼようし(英語表記)Mu-rong-shi; Mu-jung-shih

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慕容氏」の意味・わかりやすい解説

慕容氏
ぼようし
Mu-rong-shi; Mu-jung-shih

中国五胡十六国時代,遼東,遼西から華北に及ぶ地域内に,前燕後燕西燕南燕の 4王朝を建てた鮮卑系の一氏族。慕容の名が初めて史書にみえるのは『三国志』で,慕容皝が出て,東晋(→)の咸康3(337)年燕王と称し,中国支配を始めたが,その意図するところは中国的国家体制であった。当時すでに慕容部の民は定住生活を始めていたようである。以後慕容氏の諸国家の重心は華北に移った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「慕容氏」の解説

慕容氏
ぼようし

北アジア遊牧民族鮮卑 (せんぴ) の一氏族
漢文化を取り入れ,五胡十六国時代に中国に進出して,華北に前燕 (ぜんえん) ・後燕 (こうえん) ・南燕・西燕を建国した。

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世界大百科事典(旧版)内の慕容氏の言及

【鮮卑】より

…このころから各部族でも長の世襲制が始まり,有力部族を中心とする部族連合体を形成,流亡中国人を受けいれて文明化を進めた。晋時代に華北へ進出,五胡十六国時代には,その部族慕容氏が前燕,後燕,南燕,西燕を,乞伏氏が西秦を,禿髪(とくはつ)氏が南涼を建国,拓跋氏の北魏は北中国を統一,北周,北斉をはじめ隋・唐両帝国も鮮卑族を中心に築かれた。もともと女性の地位が高く,活発に社交を行って漢人を驚かせた。…

※「慕容氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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