精選版 日本国語大辞典 「戦間期」の意味・読み・例文・類語
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第一次世界大戦の終了から第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)に至る20年間をいう。
[藤村瞬一]
この期間には、ロシア革命、総力戦としての第一次世界大戦、ベルサイユ体制などが残したさまざまな問題が、単に政治の世界のみならず、国際社会全般に大きな影響を及ぼしていた。それは地域的にもヨーロッパだけでなく、アメリカ、アジアなどにも及び、また時期的には前期の1920年代と、後期の1930年代では著しい対照をなしていた。このため1920年代の問題、1930年代の問題として別個に論じられることが多い。また第一次世界大戦終了の1919年と、第二次世界大戦勃発の1939年の中間点に、「暗黒の木曜日」といわれた1929年10月24日があり、これを端緒とする世界大恐慌が戦間期後半の政治、経済、社会、文化のすべての分野を大きく変化させた。これも偶然とはいえ、みごとに均等に1920年代と1930年代を区分している。しかしいずれの分野においても、1920年代と1930年代とは、非連続的ではあるが連続的という観点からとらえるべきで、両者を切り離して論じるべきでない。ここに戦間期という独自の時期区分が成立するわけである。
[藤村瞬一]
まず戦間期の政治上の構造的要素について考えると、帝国主義、民族主義、資本主義、社会主義、民主主義、全体主義、国際主義、国家主義などがあり、これらが複雑に結合しつつ、1920年代はやや緩慢に、1930年代は喧騒(けんそう)裏に進展したといえる。より具体的には、ヨーロッパにおけるベルサイユ体制、アジアにおけるワシントン体制の下で資本主義諸国間の、いわゆる「持てる国」と「持たざる国」とが、現状維持と現状打破の二派に分かれて相克し、やがて1930年代に入って力を前面に押し立てて、枢軸陣営と民主主義陣営に二分して抗争、その結末が太平洋戦争を含む第二次世界大戦にほかならなかった。また資本主義国全体としては、発展途上にある植民地、半植民地の諸民族を犠牲にする、いわゆる不均等発展の下で、自国の利益を最優先とした。このため、さまざまな矛盾は、一方的に後進地域に押し付けられるのが常であった。しかし、これは、後進地域である朝鮮、中国、インド、エジプト、トルコなどで民族主義を覚醒(かくせい)させ、逆に先進諸国は民族主義の側からの挑戦で、疲労を蓄積する原因となった。さらにロシア革命を先駆とする各国の階級対立は、それが一国内あるいは多国間を横断する革命・反革命の階級闘争へと発展した。この階級闘争が、労働者階級を中心とする社会主義勢力の一時的高揚をもたらしたことは事実である。しかし戦間期を通じて、人民民主主義勢力の高揚と退潮には著しい起伏があり、これにコミンテルンを中心とする国際共産主義運動がどのような役割を果たしたのか、いまなお評価が定まらない問題の一つである。それはさておき、戦間期の労働者階級の台頭は、同時に、反革命としてのファシズム勢力をも増大させた。それはイタリア、オーストリア、ドイツ、フランスにおいて顕著に現れたが、それ以外にブルガリア、ポーランド、ハンガリーなど東欧の諸国、ポルトガル、スペインなど南欧の諸国においても同質の現象がみられた。
また第一次世界大戦後、国際社会の基本理念として導入されたデモクラシーは、一方で大衆社会状況をつくりだし、ややもすれば政治の不安定につながっていった。同時にそれは政治の腐敗、陳腐化として、大衆の政治不信と無関心を招くこととなった。かくて、こうした状況のなかから、政治の刷新を掲げてファシズムが登場し、疑似革新として大衆の支持を受けるのである。このことは、戦間期のイタリア、フランス、ドイツをはじめ、ほとんどのヨーロッパの国で体験する。このほか国際連盟にみるように、超国家的な国際機関による平和維持活動が期待される一方で、こうしたインターナショナリズムに背を向けるナショナリズムが1930年代には主流となった。このことは、本来インターナショナルであるはずの社会主義においても同様で、一国社会主義、国家社会主義としてナショナリズムに回帰した。
[藤村瞬一]
戦間期の問題は、このような政治の世界だけにあったのではない。むしろ戦間期のもう一つの特徴は、文学、芸術、思想、科学技術などの世界に強く現れていた。たとえば、ワイマール文化とよばれて、1920年代のドイツの音楽、美術、演劇、映画、建築などの世界で、ベルリン、ミュンヘンなどを中心に万華鏡のように花開いたのもこの時期である。作曲における十二音主義、演奏における新即物主義、美術での前衛派、表現主義、ブレヒト、ラインハルトらの舞台演出、ウーファ(正式名称はウニベルズム映画)の映画、建築のバウハウス運動など、満天の星空のような芸術活動が展開された。また学問の世界でもウェーバー、フランクフルト学派の社会学、哲学における現象学、ゲシュタルト心理学、ゲッティンゲン大学を中心とする物理学など、いずれも一時期を画するものであった。しかし1920年代の文化が、コスモポリタニックな性格を強くもっていたため、ややもすれば偏狭な郷土愛主義に陥りがちなドイツの一般大衆になじめず、1930年代に至って反動化し、民族主義的な志向を強めるのである。ワイマール文化を退廃文化ときめつけたのは、ナチスの指導者ヒトラーやゲッベルスであったが、背後にはこれに喝采(かっさい)を送る数千万のドイツ国民がいたのである。
同様な事情はフランスにもみられた。1920年代のフランスでは文学、美術の世界でフォービスム、ダダイズム、シュルレアリスムの運動が光彩を放っており、演劇、音楽、映画、バレエなどの分野でも、花の都パリとして大輪の花を咲かせていた。こうした輝ける1920年代のフランス文化も、1930年代に入ると、一転して政治の激動のなかにほうり出され、1920年代には隠されていた一面を明るみに出す。それは、1920年代に反戦・平和と、思想のインターナショナリズムを掲げた「クラルテ」運動と、権威に戦いを挑んだシュルレアリスムの運動のなかから、のちにコミュニズムに傾斜するアラゴンと、反共・ファシストに変貌(へんぼう)するドリュ・ラ・ロシェルが生まれたことに象徴的である。まさに戦間期のフランス社会、フランス文化のもつ複雑な一面を現しているといえよう。
戦間期に、科学技術の粋を駆使したのは、デトロイトとハリウッドに代表されるアメリカであった。自動車、ラジオ・洗濯機・冷蔵庫などの電化製品、電話、映画などが、豊富な資本力を背景に爆発的なブームをつくりだし、農村の隅々まで機械の時代を浸透させたのである。しかしそれは1929年10月を境として、一挙に暗転するのである。いずれにせよ戦間期のアメリカ社会は、1920年代の保守主義、1930年代のニューディールに代表される革新主義が好対照をなす、とよくいわれる。しかし1920年代にも革新性を、1930年代にも保守性をみいだすことは困難でない。そのことの証左として、1920年代の機械文明と都会文明に懐疑のまなざしを向け、1930年代のアメリカ社会の崩壊を先取りしたヘミングウェイ、スタインベック、コールドウェル、フォークナー、ドライサー、ドス・パソスら一群の作家たち、いわゆる「失われた世代」の諸作品をあげることができよう。
このように、戦間期が示した諸問題は、基本的には19世紀末以来の「危機」に根ざすものであって、1920年代、1930年代では大きく形を変えたものの、本質的には連続性をもつものである。戦間期の政治、経済の分野で出された問題のいくつかは、第二次世界大戦という悲惨な経験と反省のなかから、戦後かなりの改善がなされるようになった。しかし、戦間期の思想、文化が問いかけた問題は、すでに半世紀以上経た今日もなお、十分に受け止められたとはいいがたい。歴史家、研究者の間で、いまだに論議が絶えないのも、そこに理由があるからであろう。
[藤村瞬一]
『S・ノイマン著、曽村保信訳『現代史』上下(1956・岩波書店)』▽『E・H・カー著、衛藤瀋吉ほか訳『両大戦間における国際関係史』(1968・清水弘文堂)』▽『ピーター・ゲイ著、到津十三男訳『ワイマール文化』(1970・みすず書房)』▽『『岩波講座世界歴史26 現代3――1920年代』『岩波講座世界歴史28 現代5――1930年代』(1970、1971・岩波書店)』▽『ウォルター・ラカー著、脇圭平ほか訳『ワイマル文化を生きた人びと』(1980・ミネルヴァ書房)』▽『河野健二編『ヨーロッパ――1930年代』(1980・岩波書店)』▽『生松敬三著『両大戦間のヨーロッパ』(1981・三省堂)』▽『脇圭平著『知識人と政治』(岩波新書)』▽『山口俊章著『フランス1920年代』(中公新書)』▽『斉藤孝著『戦間期国際政治史』(岩波現代文庫)』
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