げ‐さく【戯作】
〘名〙 (「けさく」とも)
① 戯れに詩文を作ること。また、その作品。→
ぎさく。
※活所遺稿(1666)三「孟夏僑
二居武江
一与
二二三十
一戯
二作杜鵑詩
一盖述
レ所
レ思如
レ此」 〔
杜甫‐詩題〕
※人情本・春色梅児誉美(1832‐33)後「世の流行書肆の米箱をうるをす事、是将に小説家の戯作(ケサク)の種蒔万(よろづ)よしによれり」
[語誌](1)一般名詞としての「戯作」は、特に宝暦・明和(
一七五一‐七一)の頃の知識人が本来の文業とはいえぬ卑俗な文章や詩文を綴る時に用いた
遁辞であったが、一方で、
当世風の、「おかしみ」を主とする娯楽小説が一つのジャンルとして確立、流行していった。
(2)
寛政の
改革(
一七八七‐九三)以前の戯作は主に知識人の手になり「うがち」や「茶化し」の
発想を「見立て」によって展開させたが、それは知識人たちの
仲間内で洗練され成熟していったため、ある種の高踏性をもっていた。改革以後になると
町人や下級武士らがこれを担うようになり、専業
作者も登場し、読者層も拡大するなど、より大衆化した。
(3)②は古くは、
漢音で「キ(ギ)サク」と読まれているが、次第に
呉音の「ケ(ゲ)サク」の読みが一般化し、
文政も末になると「ゲサク」と読まれることが多くなる。
ぎ‐さく【戯作】
〘名〙 (「きさく」とも)
① 戯れ、またはなぐさみに詩文を作ること。また、その作品。〔杜甫‐詩題〕
② 娯楽を主とした江戸後期の通俗小説。特に、宝暦・明和(
一七五一‐七二)頃の、知識人の手になる談義本や初期読本などをさす。また、そのような小説を作ること。のち、「げさく」と読まれて、広く近世後期の通俗小説の称となる。→
げさく。
※読本・
繁野話(1766)序「国字小説数十種を戯作
(ギサク)して茶話
(ちゃわ)に代ゆ」
[補注]明和・安永(一七六四‐八一)頃は、漢音で「キ(ギ)サク」と読まれているが、文化・文政(一八〇四‐三〇)頃には、呉音の「ケ(ゲ)サク」が一般化したと思われる。
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デジタル大辞泉
「戯作」の意味・読み・例文・類語
げ‐さく【▽戯作】
《「けさく」とも》
1 戯れに詩文を作ること。また、その作品。
2 江戸後期の通俗小説類の総称。洒落本・滑稽本・黄表紙・合巻・読本・人情本など。伝統的で格式の高い和漢の文学に対していう。
[補説]2については、宝暦・明和(1751~1772)ごろは漢音で「キサク」「ギサク」と読まれていたが、しだいに呉音の「ケサク」「ゲサク」も用いられるようになり、文化・文政(1804~1830)ごろには呉音の読みが一般化したとされる。
ぎ‐さく【戯作】
《「きさく」とも》「げさく(戯作)」に同じ。
「八文字屋が草紙、其磧自笑の―多かる中に」〈浮・妾形気・序〉
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戯作
げさく
近世小説の一群をさしていう用語。近世では「けさく」、ときに「きさく」と読み、幕末に入って「げさく」の読みがしだいに多く、今日の読みとなった。元来は、戯れにつくること、またその作品の意味で、和漢古今に共通した一般語であるが、近世後期に入って、知識人が余技の小説、浄瑠璃(じょうるり)をいう際にしきりに使用し、やがて当時新しく発生した様式の小説の総称となった。様式では、洒落本(しゃれぼん)、滑稽本(こっけいぼん)、黄表紙(きびょうし)、合巻(ごうかん)、読本(よみほん)、人情本を含み、狭義では前三者の滑稽文学をさすこともある。この小説群の作者が戯作者である。
その歴史は2期に分けられる。前期は、小説壇の中心が上方(かみがた)から江戸へ移動し始めた宝暦(ほうれき)(1751~64)ごろから寛政(かんせい)異学の禁(1790)のころまで、後期はそれから幕末を経て、その作風の名残(なごり)のあった明治初期(1885ころ)までである。
前期では、近世社会がようやく渋滞して、適材が適所を得ずに文人趣味がはびこるなかで、余技として俗文学に筆をとる知識人が出現した。初めは都賀庭鐘(つがていしょう)、上田秋成(あきなり)ら上方の人々、ただちに江戸に移って平賀源内(ひらがげんない)、山岡浚明(まつあけ)、大田南畝(なんぽ)(蜀山人(しょくさんじん))、恋川春町(こいかわはるまち)など多くが参加した。初期読本、洒落本、初期滑稽本(談義本)黄表紙など新様式が誕生し、初めは少数の同好者間の遊戯であったが、しだいに一般化した。彼らは社会と遊離した立場から、「うがち」の姿勢をとり、余技のゆえに人生との対決の乏しいまま、「趣向」の構成が主となり、文章の妙を競った。しかし知識人らしく知性・感性に秀で、なにがしかの思想性の現れたものもあり、遊戯文学ながら高級なものであった。
寛政(1789~1801)のころから知識人たちが小説壇から身を引き、そのあとに、前期戯作に学んだ山東京伝(さんとうきょうでん)、曲亭馬琴(きょくていばきん)、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)、式亭三馬(しきていさんば)、為永春水(ためながしゅんすい)など専門または準専門の作者が出現し、後期読本、合巻、後期滑稽本、人情本がつくりだされる。そのころには知識程度の低い一般読者が増加し、また出版機構がその間に介在して、作品の品位は低下する。人生との対決はますます薄く、「うがち」も批判性が少なくなり、趣向第一となって、「ちゃかし」「見立(みたて)」「ないまぜ」「地口(じぐち)」など技巧的なものが複雑に跳梁(ちょうりょう)している。時代の風として、その方面に名人芸的に努力したので、日本語の性格を極限にまで発揮させてもいる。しかし売文家となった後期戯作者は、読者に卑屈な姿勢を呈する一面と、前期戯作者以来の一種の文人の誇りが合して、卑下慢(ひげまん)という、いわゆる戯作者気質をもつに至った。また大衆読者に対するために、偏屈で非情な前期の風がなくなり、善や美にすなおに共感する風を回復するなどのこともあった。
明治初期も、仮名垣魯文(かながきろぶん)、山々亭有人(さんさんていありんど)などと幕末の流れは続いたが、西欧の文学観と作風が輸入されるにしたがって、小説壇はこの風潮から脱出して、戯作は創作に、作者は作家にと近代的に変化していった。しかしこの戯作時代に、口語的表現、長編小説、なお十分でないが性格描写、心理描写、さらには馬琴のごとく人生の理法を作中に述べるなどの試みがみえて、西欧の新作風の輸入の下地をなすものがしだいに成長したことを見逃してはならない。戯作者たちも参加した狂詩、狂歌、川柳(せんりゅう)、咄本(はなしぼん)なども、同じ表現上の特色をもっている。
[中村幸彦]
『中村幸彦著『戯作論』(1966・角川書店)』▽『中野三敏著『戯作研究』(1981・中央公論社)』
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げさく【戯作】
江戸中期に知識人の余技として作られはじめた新しい俗文芸をいう。具体的には享保(1716‐36)以降に興った談義本,洒落本(しやれぼん)や読本,黄表紙,さらに寛政(1789‐1801)を過ぎて滑稽本(こつけいぼん),人情本,合巻(ごうかん)などを派生して盛行するそのすべてをいう。またその作者を戯作者と称する。以上の戯作はその作者層や作品の質などを勘案すると,寛政期を境として,前,後の2期にわけて考えるのが実状に即した見方である。
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戯作
げさく
「けさく」ともいう。江戸時代後期に流行した小説類をいう。狭義には,知識人たちが手すさびに書いた,黄表紙,洒落本,談義本,前期読本など,江戸後期前半の小説群をさす。広義には,上記のほか,合巻 (ごうかん) ,滑稽本,後期読本,咄本 (はなしぼん) ,人情本など,知識人ではなく職業的作家 (戯作者) たちによる江戸後期後半の作品を含めていう。初め文人たちが戯れに風刺,諧謔を試み,あるいは雅文体を試みて余技に書いたものが,出版機構に乗って職業的作家たちに受継がれ,のちには手すさびの意義を失った。戯作の精神は明治以後の近代小説にも生きている。
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戯作
げさく
戯作文学のことで,江戸時代の通俗文学
伝統的文学である漢詩文・和歌・和文などに対し,元禄(1688〜1704)以降の洒落本 (しやれぼん) ・読本 (よみほん) ・黄表紙・滑稽本・人情本などの総称。戯作者として著名なのは,山東京伝・式亭三馬・十返舎一九・為永春水など。幕末以後,仮名垣魯文 (かながきろぶん) などが出たが,政治小説・近代文学の発生とともに衰退した。
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普及版 字通
「戯作」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典内の戯作の言及
【近世物之本江戸作者部類】より
…写本2冊。いわゆる赤本(あかほん)などの発生期の江戸戯作にはじまり,天保年間(1830‐44)にいたる,草双紙,洒落本,滑稽本,人情本,黄表紙,合巻(ごうかん),読本(よみほん)の作者のべ148名について,いちいち,その著作・伝記(本名,身分,生没,世評)をできるかぎり克明に調べ,赤本,洒落本,中本(ちゆうほん),読本の作者に分類し,集成したもの。上方文壇に対する江戸通俗文壇史をも兼ねる。…
【小説】より
…しかし,架空の言に勧懲の意を寓するところに,馬琴が小説の効用を求めていたことはいうまでもない。白話小説を母胎とする読本にたいし,より写実的な街談巷説の文学,滑稽本や人情本は,戯作(げさく)の名で呼ばれることが多く,両者を〈小説〉として通約する考え方はかならずしも一般的ではなかった。 明治に入ってからも,翻訳小説,政治小説など,知識人を対象とする〈上の文学〉は,読本と結びついた〈小説〉の概念がうけつがれたにもかかわらず,仮名垣魯文(かながきろぶん)の《安愚楽鍋(あぐらなべ)》など,大衆向けの〈下の文学〉は,戯作の領分にとどまっていたのである。…
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