精選版 日本国語大辞典 「戸坂潤」の意味・読み・例文・類語
とさか‐じゅん【戸坂潤】
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哲学者。東京生まれ。第一高等学校を経て京都帝国大学文学部哲学科に進み、1924年(大正13)卒業。当時は新カント学派の思想圏内にいたが、卒業論文で扱った空間論を卒業後も研究し、次々に論文を発表していく過程で空間の客観的実在性に至り、唯物論へ移行した。この思想発展の到達点は、1931年(昭和6)の論文「空間論」にみられる。他方、1929年最初の著書『科学方法論』を上梓(じょうし)、これは、科学的認識というものを現実の生活と関連させてとらえ直すことが必要である、という問題意識にたって、学問を含む実生活の全領域を「方法」という観点から理論的に統括する新しい学問論を目ざしたものである。1931年法政大学教授。翌1932年、岡邦雄(おかくにお)(1890―1971)、三枝博音(さいぐさひろと)らと唯物論研究会を設立、会の研究・出版・組織活動を指導するとともに、確固たる「科学的精神」をもって、科学、技術、政治、イデオロギー、文芸、風俗その他の社会現象全般を批判する評論活動(クリティシズム)を精力的に展開、これはファシズムの野蛮・非合理主義との闘いにほかならなかった。その優れた記録の一つが『日本イデオロギー論』(1935)である。また、自然科学的世界と社会科学的世界との統一という課題にも取り組み、1935年『科学論』を公刊。同年に失職。以後、唯研の指導と執筆に専念したが、1937年執筆を禁止され、翌1938年唯研が解散、検挙され、昭和20年8月9日、長野刑務所で死去した。
[秋間 実 2016年9月16日]
『『戸坂潤全集』5巻・別巻1(1966~1967、1979・勁草書房)』
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1900.9.27~45.8.9
昭和前期の哲学者。東京都出身。京大卒。1929年(昭和4)大谷大学教授,31年法政大学講師となり,34年から著述生活に入る。32年に結成した唯物論研究会を拠点として理論的にファシズム批判を展開し,機関誌「唯物論研究」を世に送り,「日本イデオロギー論」「思想と風俗」などを著した。37年に執筆禁止,翌年治安維持法違反で検挙され,第2次大戦の敗戦直前に獄死した。
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…また1910年代から科学啓蒙活動や科学論に対する関心が生まれ,啓蒙誌《現代之科学》が刊行(1913)されたり,田辺元の《科学概論》(1918)が現れ,22年のアインシュタインの来日によってこうした傾向は頂点を迎える。時代の展開とともにマルクス主義の分野からも強い科学への傾斜が生まれ,32年唯物論研究会の設立に伴い,岡邦雄,戸坂潤,三枝博音らの活躍は目覚ましかった。彼らの関心は当然ながら科学史(知識の歴史)にも向かった。…
…完結1935)。30年代になると,ロシア・マルクス主義の解釈体系が日本のマルクス主義者のあいだでも主流を占めるようになったが,それでも野呂栄太郎の日本資本主義論をはじめ,歴史的研究の分野でマルクスの理論を創造的に適用する一連の業績が現れたし,河上肇や櫛田民蔵らをはじめとするマルクス経済学や社会理論,歴史理論の独創的解釈が試みられ,戸坂潤に指導された〈唯物論研究会〉のマルクス主義哲学の分野での意欲的な展開も行われた。しかし,日本におけるマルクス主義は,日本軍国主義体制の徹底的な弾圧により,社会運動の方面はもとより理論活動の方面でも第2次世界大戦の終戦(1945)まで雌伏を余儀なくされた。…
…同年11月創刊。同会は唯物論の学問的研究団体として設立され,岡邦雄,戸坂潤ら唯物論者を中心に多彩なメンバーを結集し,毎月定期に研究会,小集会を開いて活動した。非政治的活動のため弾圧は免れ,35年ころからは唯一の進歩的研究会として知識人,学生に大きな影響を与えた。…
※「戸坂潤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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