所司代(読み)しょしだい

精選版 日本国語大辞典 「所司代」の意味・読み・例文・類語

しょし‐だい【所司代】

〘名〙
室町幕府の職名。侍所の長官である所司の代理の官。所司の被官が任ぜられて京都の市政検察をつかさどった。所司の名代。
※太平記(14C後)二四「時の所司代(ショシダイ)都筑(つつぎ)入道二百余騎にて夜討の手引せんとて」
② 室町末期、将軍足利義輝の頃、侍所に所司を補任せず所司代が事実上の長官となった。
※甲陽軍鑑(17C初)品三八「三好を倒(たをし)、己が被官を天下の所司代(ショシダイ)に指置」
織田・豊臣時代、京都において朝廷に関する一切の事務および京の内外・畿内の司法・警察などの民政をつかさどった職名。
※鹿苑日録‐天正一七年(1589)九月二五日「洛中之所司代、以若州太守浅野少弼殿、被玄以法印
④ (「京都所司代」の略) 江戸幕府の職名の一つ。京都の治安・禁中、公家監察、西国大名の監視などを行なったもの。
駿府記(1611‐15)慶長一八年四月二六日「諸司代伊賀守参り、則ち御前に於て京都の儀申し上ぐ」

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デジタル大辞泉 「所司代」の意味・読み・例文・類語

しょし‐だい【所司代】

室町幕府で、侍所さむらいどころの長官の代行を務めた役人
京都所司代

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百科事典マイペディア 「所司代」の意味・わかりやすい解説

所司代【しょしだい】

中世には幕府侍所の頭人(所司)の代官をいった。南北朝期から現れ,室町時代に所司代の権限が拡大すると所司代の代官である〈小所司代〉という役職史料にみえる。織豊期には朝廷・公家・寺社・京都市中や上方・西国支配を職務とする所司代を京都に置き,京都所司代ともいった。これを踏襲した江戸幕府では禁中の護衛,朝廷・公卿の監視,京都町奉行伏見奈良奉行の支配,畿内周辺諸国幕領地内の訴訟検断,西国諸大名の監察などにあたった。江戸時代の所司代は1600年奥平信昌を任じたことに始まり,次いで板倉勝重が継ぎ,幕府の京都支配の基礎を固めた。幕府職制のうえでは老中に次ぐ重職で,大坂城代奏者番寺社奉行などから転じ,任を終えると老中に昇進した。1867年廃止。
→関連項目江戸幕府京都守護職国奉行四座雑色茶屋四郎次郎継飛脚同心沼田藩宝暦事件水野忠邦役料与力

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世界大百科事典 第2版 「所司代」の意味・わかりやすい解説

しょしだい【所司代】


[中世]
 幕府侍所頭人(所司)の代官。所司代は鎌倉時代には知られていないが,南北朝期になると1343年(興国4∥康永2)に都筑(つづき)入道(頭人細川顕氏),1363年(正平18∥貞治2)に若宮左衛門尉(頭人京極高秀)などの名がみえ,侍所の命をうけて洛中の謀叛人や放火殺害人の追捕に当たっている。このころには侍所頭人が適宜に,その被官中の有力者を代官として所司代に任じたのではなかろうか。しかし室町幕府の侍所は,検非違使(けびいし)の所管であった洛中の警察権・市政権を逐次獲得し,14世紀の60年代には都市民の身分規制や商業統制にも立ち入るようになり,80年代には洛中の土地関係の裁判や敷地を丈量する権限も手に入れるので,そうした事務に当たる所司代は急速に権限を拡張する。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「所司代」の意味・わかりやすい解説

所司代
しょしだい

室町幕府の役職。侍所の長官を所司といい,武士の統制,朝廷,幕府の警固,京都市中の取締りを職務とし,管領に次ぐ重職であった。所司が設置した代官を所司代という。赤松氏の代官浦上氏,京極氏の代官多賀氏などは名高い。織田信長は京都所司代として村井貞勝をおき,また江戸幕府も京都所司代を設置したが,いずれもその名称を受継いだものである。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「所司代」の意味・わかりやすい解説

所司代
しょしだい

京都所司代

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世界大百科事典内の所司代の言及

【江戸幕府】より

…大目付は使番(巡見使や国目付はこの役の者から任命された)とともに,将軍本営の命令を出先の部隊に伝え,かつその実施を監察するのがその本来の機能であり,それが平時の行政上の伝達系統に転用されたのである。 幕府直轄地の支配はそれぞれの奉行や代官が行ったが,近畿地方では所司代を中心とした国奉行が,また一部の大名領を除く関東では関東郡代が公家領や旗本領をも含めた広域的支配を行った。このほかに公家,僧侶,神官,寺社領の人民,職人,えた,非人などに対してそれぞれの身分に応じた別系統の支配が行われた。…

【京都[市]】より

…【村井 康彦】
[近世における京都の改造]
 1568年(永禄11)織田信長が入京し,近世的統一国家構想の中心に京都を据えたことにより,京都は本格的な政治・経済の舞台となる。信長は村井貞勝を,信長の後継者豊臣秀吉は前田玄以を,京都奉行あるいは所司代に任じて京都の支配に当たらせたが,彼らの役割は京都に常駐できない信長や秀吉にかわって,国家統一の拠点としての京都をいかに統治していくかにあった。しかし豊臣秀吉は天下統一がすすむと,統一の拠点としての京都を一歩すすめて,近世的統一国家の中核にふさわしい近世都市へと改造した。…

【所司】より

…(4)室町幕府の侍所の長官である頭人(とうにん)のこと。所司の下には代官である所司代,小所司代などが組織された。(5)安土桃山~江戸時代の京都所司代。…

【大名】より

… 譜代大名では,筆頭の井伊氏が正四位上中将と破格で,あと10万石以上の家でまれに従四位下少将に進む者がいたが,ほぼ侍従止りである。それに対し,老中と所司代に就任した大名は,領地高が少なくても従四位下侍従に叙任されるのを例としたので,これらの役職に就けば国主大名と肩を並べるような格式が付与されたことになる。これ以外のおもに10万石未満の大名は従五位下止りであった。…

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