精選版 日本国語大辞典 「手余地」の意味・読み・例文・類語
てあまり‐ち【手余地】
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江戸時代、農村荒廃による人手不足から、耕作が放棄された土地。江戸中期以降、凶作や飢饉(ききん)、ならびに社会構造の変質から、農村で生活できなくなった人々は宿場や都市へと流出した。そのため農村では戸数・人口が減少し、農業労働力の不足から農村荒廃がおこり、手余地が増大した。手余地がわずかのうちは、村での惣作(そうさく)によってそれを耕作したが、手余地が増大すると、村の少ない労働力では耕作できなくなった。江戸幕府は、そうした状況に対処するため、入百姓(いりびゃくしょう)政策を実施したり、また、1790年(寛政2)に帰農令、1843年(天保14)に人返(ひとがえし)令を発令したが、効果はあがらなかった。
[川鍋定男]
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江戸時代,耕作する農民がおらず放棄された地。発生の原因は,凶作・飢饉,貢租の過重,商品経済の浸透などによる農民の離村や転業で,総じて農村人口の減少が主因。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…潰百姓の跡地(あとち)は親類,縁者,誼(よしみ)の者が引き請けるものとされていたが,引請人のいない場合が多く,それが村の惣作地(村総作)となった。惣作地については〈村並年貢諸役相務め,作徳の内種肥代を渡し,其余分は地頭へ納め,作手間は村役にいたす定法〉(《地方凡例録》)とされ,耕作および年貢諸役を村が負わされていたが,潰百姓の跡地の多くは耕作放棄され,手余地(てあまりち)となった。とくに中期以降,潰百姓が続出して手余地が増加し,貢租収入の減少をもたらし,他方,彼らが離村して博徒,無宿(むしゆく)者,都市細民などに化し,これが治安上の問題ともなり,政治問題化した。…
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