修辞法の一つ。強調したり親近感・滑稽(こっけい)感を出したりする目的で、人間以外のものを人間めかして大げさに表現する技法。英語のpersonificationに相当する。「花笑い、鳥歌う」「山は招く」「太陽がほほえみかける」などがその典型的な例である。「私がこの世に生れたその時から、私と組んで二人三脚をつづけて来た『死』という奴(やつ)、たのんだわけでもないのに四十八年間、黙って私と一緒に歩いて来た死というもの、そいつの相貌(そうぼう)が、この頃(ごろ)何かしきりと気にかかる。どうも何だか、いやに横風(おうふう)なつらをしているのだ。/そんな飛んでもない奴と、元来自分は道づれだったのだ、(中略)危うく彼奴(きゃつ)の前に手を挙げかかったが、どうやら切り抜けた。それ以来、くみし易(やす)しと思った。もっとも、ひそかに思ったのだ。大っぴらにそんな顔をしたら彼奴は怒るにきまっている。怒らしたら損」(尾崎一雄『虫のいろいろ』)の例では、「死」という現象をライバル視する作者の擬人的思考が文脈に根強く張っている。関連語に「活喩(かつゆ)法」があり、擬人法は広義にはそれと同じ、狭義にはその一部とされるが、両者の定義上、互いに、はみでる部分もある。たとえば、「目のなかに暗い輝きが羽ばたいている」(三島由紀夫『獅子(しし)』)という活喩の例は、鳥扱いである以上、擬人法とはよびにくく、「猫は素知らぬ顔でお化粧に余念がない」(小沼丹(おぬまたん)『黒と白の猫』)という擬人化の例は、猫がすでに生命のある有情の存在であるため、改めて活喩とよぶには抵抗がある。また、通常は人間について使う語句が、人間以外のものをさす語と臨時に結び付く隠喩の形が擬人法の中心となるが、イソップの寓話(ぐうわ)や夏目漱石(そうせき)の『吾輩(わがはい)は猫である』などのように、作品全体にわたって動物が人間なみの言語活動を行う諷喩(ふうゆ)に近い例や、烏(からす)に「勘三郎」、利根(とね)川に「坂東太郎」と人名を与える換喩的な例をも含むことが多い。しかし、「のっそり突っ立っている富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然(ごうぜん)とかまえている大親分のようにさえ見えた」(太宰治(だざいおさむ)『富嶽(ふがく)百景』)と直喩風に表れた例は、はっきり擬人法とはよばず、擬人的な表現というにとどめるのが普通のようである。なお、「忙しげな雲が、月を呑(の)んで直(すぐ)に後へ吐き出し吐き出し走った」(長塚節(たかし)『土』)における「忙しい」「呑む」「吐き出す」「走る」のように、人間を思わせてもかならずしも人間専用と限定しにくい場合は、それを厳密に擬人法の例であると断定できるかどうかは微妙である。
[中村 明]
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