かい‐れき【改暦】
〘名〙
① 暦
(こよみ)や
暦法を改めること。古い暦の不正確さ、また、実用上の
便宜から、新しい暦法を採用すること。
※禁令考‐前集・第一・巻八・宝暦四年(1754)一一月一四日「今度於二京都一改暦宣下暦号定陳儀被二遂行一」 〔史記‐封禅書〕
②
宣明暦(せんみょうれき)が採用されていた時代(
八六一‐一六八四)、
朔旦冬至にするため、または臨時朔旦冬至を避けるため、月の
大小を変更するなど、暦に
改訂を加えること。
※
親長卿記‐文明一一年(1479)一〇月二九日「朔旦冬至者、一章十九年間必有
二此節
一〈略〉改暦之条先規也」
③
新年になって暦を新しくすること。また、その暦。転じて、新年。
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デジタル大辞泉
「改暦」の意味・読み・例文・類語
かい‐れき【改暦】
[名](スル)
1 暦法を改めること。新しい暦を採用すること。「太陽暦に改暦する」
2 年が改まって、暦が新しくなること。また、新年。
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改暦【かいれき】
従来の暦法を廃し,新暦を行うこと。西洋では,前46年カエサルが太陽暦のユリウス暦を実施し,それまでの太陰太陽暦であるローマ暦(1年が355日)とのギャップを埋めるため,90日もの閏(うるう)日を加えた。そのためこの年の長さが445日にもなり,後世,乱年とよばれた。1582年ローマ教皇グレゴリウス13世がこれをグレゴリオ暦に改め,同年10月4日の翌日を10月15日とした。新教徒の国ではこの改暦は遅れ,デンマーク,オランダ,ドイツでは1700年,英国とその植民地で1752年(同年9月2日の翌日を9月14日とした),旧ソ連では1918年に行われた。日本では長く太陰太陽暦を用い,元嘉暦(持統6年。692年),儀鳳暦(文武1年。697年),大衍暦(天平宝字8年。764年),五紀暦(天安2年。858年),宣明暦(貞観4年。862年)と中国の暦を輸入採用した後,江戸時代から日本人の手を加えた貞享暦(貞享2年。1685年),宝暦暦(宝暦5年。1755年),寛政暦(寛政10年。1798年),天保暦(弘化1年。1844年)が実施された。旧暦明治5年12月2日の翌日を明治6年(1873年)1月1日として,これより太陽暦に改めた。
→関連項目旧暦|中国暦
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改暦
かいれき
暦法をまったく異種の暦法に改める場合、あるいは同一暦法でも、その用数を変更するような場合をいう。一つの暦法をあまり長期にわたって使用していると、わずかの誤差も積もって実際の天象とあわなくなるので、常時天象を観測してその誤差が目だってくると改暦が行われた。日本では明治以前、最初の元嘉(げんか)暦採用(690)以来8回の改暦があり、いずれも同種暦法の改暦であったが、1872年(明治5)には太陰太陽暦法からまったく別種の太陽暦への改暦が行われた。中国では国が改まった場合、人心を新しくし、支配者の権威を示すためにしばしば改暦が行われるのが普通であった。
[渡辺敏夫]
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かいれき【改暦】
従来の暦法を廃して新暦を施行すること。日本では1873年1月1日より太陽暦に改暦され,従来の太陰太陽暦は廃止された。その太陽暦はグレゴリオ暦といい,1582年10月15日よりローマ法王グレゴリウス13世により採用されたもので,それ以前に使用されていた太陽暦はユリウス暦といった。日本では7世紀以来9種類の太陰太陽暦が用いられたが,日本人の手になる改暦は1685年の貞享改暦以後,最後の天保改暦までの4回である。
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世界大百科事典内の改暦の言及
【暦】より
…その差は128年で1日となるから,ローマ教皇グレゴリウス13世のころ(16世紀後半)には日付と季節とのずれは10日にも達した。そこで教皇は改暦委員会を組織し改暦案を検討させた。325年に小アジアのニカエアで行われた宗教会議の当時,春分は3月21日であったが,当時は春分が3月11日になってしまっていた。…
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