広義にはカトリック教会に対して、プロテスタント教会をさすが、一般的には宗教改革の諸教会のうちで、スイスのツウィングリ、ことにカルバンの神学的伝統を継ぐ教会の流れの総称。一般に、カルバン派教会とよぶこともあるが、どのような個人の名も挙示しないのが、この伝統の特色の一つである。チューリヒを中心とするドイツ語圏スイスと、ジュネーブなどフランス語圏スイスの教会改革は、1540年代以降、一致の努力によってドイツや北欧とは顕著に異なる教会的特質を形成し、広く各国に伸張をみた。名称そのものの起源は明らかでないが、すでに16世紀にも「改革された諸教会」reformatae nostrae ecclesiaeの用法がみられ、とくにルター派との対比、それよりもいっそう徹底した教会改革という自覚の表現として用いられた。思想的にはカルビニズムにたつが、外形的組織の面で共通なのは、段階的会議制による教会政治、すなわち長老制であり、現在この流れの教会の世界的機構は「改革派世界同盟」The World Alliance of Presbyterian and Reformed Churchesと称する。スイス諸州では現在もカトリックか改革派のいずれかが法定教会である。ほかに「フランス信条」(1559)にたつユグノー教会、「ベルギー信条」(1561)にたつオランダ改革派諸教会、J・ノックスに発するスコットランド教会、清教徒運動の一端を担ったイギリスの、そして北アメリカ大陸の長老主義教会など、各地で特色のある発展を遂げた。日本のプロテスタント教会はアメリカ改革派諸教会の影響が著しく、日本基督(キリスト)教団、日本キリスト教会、日本キリスト改革派教会などがある。
[出村 彰]
プロテスタント諸教会の総称として使われる場合もあるが,正確にはとくにルター派に対してカルバン派の教会を指す呼称。スイスと南ドイツの諸都市は,ルター主義と若干の隔りをおく宗教改革をした(ツウィングリ,ブツァー,エコランパディウスら)。これが改革派の源流である。ついでカルバンとブリンガーによって改革派の統合が行われ,主としてジュネーブが拠点となって1550年代にフランス,スコットランド,ネーデルラント(オランダ,ベルギー),ドイツ(1543年以来東フリースラント,1563年以来プファルツ選挙侯領),南ポーランド,ハンガリーに浸透した。12世紀のワルドの流れを汲む北イタリアのワルド派は1532年から改革派の一翼に加わっている。正式には〈神の言葉にしたがって改革された教会〉であるが〈改革された教会〉と略称する。スコットランドの宗教改革(J. ノックス)に起源をもつ教会は〈長老派教会〉と呼ばれるが,信仰内容と教会制度においては改革派と基本的に同一であり,会衆の中から選ばれた〈長老〉と牧師の会議が指導権をとり,一個人に権力を集中させない。初期指導者がすべて人文主義の出身であり,またこの派の地盤が主として西欧であったため,西欧の知的合理主義と対決折衝を重ね,西欧的民主主義の精神的基礎となる。特色としては神の超越性と主権を強調し,教理,教会の秩序と規律,国家に対する教会の自立を重んじる。したがって教会の自立の侵害に対しては戦う傾向がある。神学を代表するのはカルバンの《キリスト教綱要》であり,K.バルトの位置も近年大きい。ルター派とは16世紀以来〈聖餐論〉その他をめぐって論争と対話を続けたが,気風は大いに異なる。1877年〈改革派世界連盟〉を組織し,1970年には会衆派(組合派)世界連盟を併合した。傘下教会人口は4900万に達する。日本では1872年以来アメリカ改革派教会とアメリカ長老派教会が伝道し,日本基督教会が設立された。
→カルビニズム →宗教改革
執筆者:渡辺 信夫
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…1571年東フリースラント伯爵領にあるエムデン市Emden(現,ドイツ領)で開かれた改革派教会の会議。東フリースラントでは,領主である伯爵夫人アンナの支持を受けて,1543年以来ヨハネス・ア・ラスコJohannes à Lasco(Jan Łaski,1499‐1560)により宗教改革が成立し,ネーデルラントやフランスからの亡命者を受けいれていた。…
…広義においてはカルバンの思想,あるいはカルバンの影響を受けた思想を意味し,したがって改革派教会の信仰と思想をさすが,しばしば狭義において17世紀に特にイギリスで厳格な〈預定論〉を奉じた神学思想をいう。すなわちアルミニウス主義の反対概念である。…
…カトリックのグレゴリオ聖歌に相当するアングリカン・チャントAnglican chant,同じく聖務日課とミサとを簡略化したサービスservice,モテットの系譜を受けてカンタータに類似した音楽的形態をとるアンセムanthemが,その音楽の主要なものである。カルバンに始まる改革派教会は,聖書の直接的な福音以外のいっさいを虚飾と見るピューリタン的態度によって,音楽的には貧困をもたらした。改革派を基盤として新たに生まれた音楽は,《詩篇》の韻文訳に簡素な4声体の和声付けをした詩篇歌のみである。…
…人文主義者として出発し,ルフェーブル・デタープルらの福音的ヒューマニズムの影響下に信仰を形成したカルバンは,1530年代に本格化したフランス王権による福音主義への弾圧を前にスイスへ亡命し,《キリスト教綱要》(1536)いらいプロテスタンティズムの第2世代を指導する地位へと押し上げられた。G.ファレルの要請でジュネーブ教会の改革運動に投じた彼は,信徒の共同体の意味における個別教会の自律を重んじ,その機関として長老の制度を導入する一方,ルター派が保持していた司教(監督)制度を廃止することにより,新しい型の改革派教会の形成をはかった。神の主権性を強調し,信徒の生活のきびしい倫理的規律を要求するカルバンの改革理念は,その不寛容のゆえにさまざまな反対勢力との闘争を余儀なくされたが,強靱な意志力をもってついにこの危機を切り抜けた。…
…預定論に反対してアルミニウス派が1610年に発表した宣言を論駁(ろんばく)し決着をつけた。オランダ以外からも改革派教会の神学者が参集した。議長は厳格なカルビニズムに立つレーワルデンのボーヘルマンJan Bogerman。…
…改革派教会の教理問答。ファルツ選帝侯フリードリヒ3世(在位1515‐76)は領主となったのちルター派から改革派に改宗し,領内をこの信仰で統一すべくハイデルベルク大学の神学者に教理問答を作らせた。…
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