(1)財政や訴訟など日常的政治実務を処理した政庁。政所の語は奈良時代の史料にもみえ,8世紀中期には〈造東大寺司政所牒〉〈筑前国政所牒〉などもみえる。大宰府や国などの政府出先機関や半ば公的性格をもっていた大寺社などは,早くからその財政に関する収納や給田などの実務と,訴訟の受理・裁断,人事の管理,使者の発遣,文書の受理・発給・保管などの日常的政治支配を行う機関として政所を設置し,またその庁舎である政所屋(まんどころや)をもときに政所とよんでいた。荘園制が盛行する11世紀以降には,荘園の現地に政所をおき,日常的な徴税や荘民の訴論を処理したところも少なくない。
(2)諸家の家政機関。律令制では親王および職事の三位以上の家は,〈家令職員令〉に規定された家司(けいし)によって家事を処理する一種の公的機関でもあったが,平安中期になると親王・公卿家の家政機関として別当以下の役員をそなえた政所が整えられる。おそらく地方土豪の托身などによる家人(けにん)の増加や,家領荘園の拡大による家政の膨張がその原因だろう。特に摂関家政所では別当,令,知家事,案主,従などに分掌化した多くの家司を抱え,彼らは殿下御領,家領荘園,氏人の進退などのほか一般政治にも関与した。11世紀には下達文書として〈摂関家政所下文〉の様式も定まるが,これは家産の領域を超えて諸権門の利害調停という国家的機能をも果たした。貴族社会では三位となって資格を得ると政所を置くのが普通となり,婚姻や移徙(わたまし)があると政所始(まんどころはじめ)の儀式を行った。妻は無位でも夫が資格を得ると政所を置いたが,その政所は夫とは別であった。後世,摂関家をはじめ貴族の妻を政所,北政所(きたのまんどころ)と称するようになる理由はここにあったと考えられる。
(3)鎌倉・室町幕府の財政,政治の機関。1184年(元暦1)10月に源頼朝は大江広元,中原親能らの京下の官人を迎えて公文所(くもんじよ)と問注所(もんちゆうじよ)を開設したが,翌年4月に平宗盛を捕らえた功によって正四位下から従二位に昇叙されると,貴族社会の慣習に従って公文所を政所に改め,ここに幕府機関としての政所が始まった。なおこの政所開設については《吾妻鏡》によって,1191年(建久2)10月の右近衛大将補任のときとする説が早くから行われており,政所開設にともなって頼朝がそれまでの〈御判下文(くだしぶみ)〉を回収して〈政所下文〉に改め,有力御家人の反発を招いたとも伝えられている。この時期の別当は大江広元,令は二階堂行政,案主は藤井俊長,知家事は中原光家であり,政所が公家社会の伝統を受け継ぐものであったことがわかるが,ここに東国御家人から超越して専制化しようとする頼朝の政治姿勢をみる見解が強い。こうして発足した政所は,幕府の広範な行政事務を管理するとともに,鎌倉市中の非御家人と雑人の訴訟を扱い,保々奉行人を率いて市中の行政を行う機関ともなるが,執権政治が展開して武士政権としての幕政運営が合議制に基礎づけられ,さらに所務沙汰機関としての引付方が設置されると,政所の機能は幕府の財政事務にほとんど限定されるようになったと考えられている。地頭職などの補任,所領の給与と安堵,課役免除,守護使不入などの特権付与,訴訟の判決など広範に及んでいた〈将軍家政所下文〉の発給範囲は,その多くが執権,連署による〈関東下知状〉に譲られて知行の宛行と安堵に限定され,14世紀には譲与安堵も執権の外題安堵に変えられる。13世紀中期以降の政所は別当が執権,連署の兼任で,〈執事〉の二階堂氏が事実上政所を統率し,案主は菅野氏,知家事は清原氏が世襲,ほかに公事奉行人である寄人と雑役に従う下部(しもべ)が所属していた。
室町幕府もこの制度を継承し,頭人である執事もはじめ二階堂氏が多く就任しているが,14世紀末の康暦のころから鎌倉時代以来の足利氏譜代の臣である伊勢氏に代わり,その被官の蜷川氏が政所代を世襲するようになった。幕府が全国的な経済交流の中心である京都に置かれ,幕府財政が発展する都市経済への依存度をしだいに強めるという事情もあって,幕府財政と京都市政を担当した政所の役割は増大した。《武政軌範》によると,諸国料所年貢,土蔵酒屋以下諸商売公役は政所の沙汰であり,以前には問注所が関係していた利銭,出挙,質券地,諸質物,沽却田畠,勾引人などの雑務沙汰は,もっぱら政所の沙汰となった。
執筆者:福田 豊彦
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上級公家(くげ)の家務機関。鎌倉・室町幕府の政務機関。律令(りつりょう)の制度では、親王家や一位から三位(さんみ)の公卿(くぎょう)家には家令(いえのかみ)・扶(すけ)以下の家司(けいし)を置いて家務を処理させた。平安中期になるとこの制は崩れ、かわって政所・侍所(さむらいどころ)・文殿(ふどの)などが家務をつかさどることになった。政所には別当(べっとう)・令(れい)(四位・五位の者が任ぜられる)、知家事(ちかじ)・大従(だいじょう)・小従(しょうじょう)(六位・七位の者)などの職員がいて、家領の管理など主として財政を担当した。のちには大社寺・国衙(こくが)・荘園(しょうえん)などにも政所が設置されるようになった。
鎌倉幕府は初め公卿以下の公家の例に倣い公文所(くもんじょ)を置いて政務を処理していたが、1190年(建久1)源頼朝(よりとも)が右近衛大将(うこのえのたいしょう)に任ぜられると、翌年正月、近衛大将の家司は摂関・大臣と同列という習慣に従い政所と改称した。公家の制に倣い別当・令・案主(あんじゅ)・知家事などの職員が置かれ、一般政務のほか鎌倉中の訴訟も担当した。長官である別当には一時大江広元(おおえのひろもと)が任ぜられたが、のちにはおおむね北条氏の執権あるいは連署(れんしょ)が兼務することになったため、令にあたる執事を世襲した二階堂氏が寄人(よりゅうど)とよばれる職員を統轄するような形になった。
室町幕府では幕府発足の当初から設けられていたらしい。別当は置かれず、執事には二階堂氏、のちには伊勢(いせ)氏が任ぜられ、20名内外の寄人を統轄していた。幕府および将軍家の財政をつかさどるほか、政所沙汰(さた)とよばれる債権や動産物権関係の訴訟も扱った。
[桑山浩然]
1平安中期に令制の家司(けいし)の制度が変質し,親王四品以上,諸王・諸臣三位以上の家政機関として設けられた。四位以下の家政機関は公文所(くもんじょ)という。有力寺社にも政所がおかれた。なかでも摂関家の政所は大規模で多くの下部機関をもち,これを統轄する別当のうちとくに1人を執事といい,長官の地位にあった。その指令は政所下文(くだしぶみ)によって通達された。また荘園の現地支配機構も政所とよばれ,国衙にも設置された。
2鎌倉幕府では,1190年(建久元)源頼朝が右近衛大将に任官すると,それまでの公文所を改めて政所を創設。初代別当には大江広元が任命された。以後,政所は問注所・侍所と並ぶ重要政務機関となった。北条氏の独占する執権・連署は政所と侍所の別当を兼ねる役職である。次官の執事はおおむね二階堂氏が世襲した。室町幕府では財務機関としての性格を強め,長官の執事には多く二階堂氏,のち伊勢氏が任じられた。執事のもとには20人前後の寄人(よりうど)がおかれ,筆頭は執事代とよばれた。これとは別に執事の代官には政所代があり,伊勢氏の被官蜷川(にながわ)氏が世襲した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…室町期の武家。幕府政所(まんどころ)執事の家系。桓武平氏の出自といわれ,鎌倉後期に足利氏に仕えて伊勢守の官途を受け,伊勢姓を称した。…
…1180年(治承4)の源頼朝の挙兵以来,頼朝の周囲には藤原邦通などの京下りの文人があって訴訟や文書発給の補佐をしていたが,1184年(元暦1)に公文所を設置し,大江広元を別当に,中原親能,二階堂行政,足立遠元,藤原邦通などを寄人に任じ,政務に当たらせた。頼朝は1190年(建久1)11月に正二位権大納言兼右近衛大将に任じられると,翌月両職を辞したが,翌年正月に公卿の式にならって政所(まんどころ)を開設した。ここに従来公文所で扱っていた政務は政所に移され,これが幕府政治の中枢機関となる。…
…〈いえつかさ〉ともよむ。律令制下で親王家,内親王家,職事三位以上家に置かれていた家令(かれい)以下の家政所職員を家司と称していたが,政治的,社会的に貴族家の占める比重が大きくなる平安時代に入ると,律令で定められた職員以外のものが置かれるようになり,それらを総称して家司といった。すでに奈良時代に四,五位家や散位三位以上家に〈事業〉などが置かれ家務をつかさどるようになっていたが,平安期に入ると無品親王家にも別当が置かれ,律令で家司設置規定を欠く貴族家にも設置されている。…
…御家人の指揮や検断(警察裁判)を担当した侍所では,鎌倉幕府においては長官たる別当の腹心として事実上指揮・検断権を行使したのが頭人で,室町幕府においては別当が置かれなかったため,頭人が長官として侍所を管轄した。将軍の家政機関としての政所や文書・記録の保管にかかわる問注所の執事は,室町幕府では頭人とも呼ばれ,長官として政所を管轄している。室町幕府ではこのほかに,禅律僧の管轄を担当する禅律方,京都の土地管轄に当たった地方,伊勢神宮の修造にかかわった神宮方等,方の字のつく機構が多く設けられたが,それらの機構の長官はおしなべて頭人と呼ばれており,それに所属する奉行人,寄人を統轄していた。…
※「政所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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