政所(読み)マンドコロ

デジタル大辞泉 「政所」の意味・読み・例文・類語

まん‐どころ【政所】

まつりごとを執り行う所の意》
政庁。特に、検非違使けびいしの庁。
平安時代以後、親王摂政関白大臣などの家で、所領の事務や家政などを取り扱った所。
荘園の現地で支配の実務を扱った所。

鎌倉幕府の政庁。財政や鎌倉市中の雑人の訴訟をつかさどった。
室町幕府の政庁。財政のほか、貸借・土地などの訴訟をもつかさどった。
大社寺で、事務・雑務を取り扱った所。
宮中で、女御にょうごに属した下級官吏
北の政所」の略。
「―の京に出で給ふといひて」〈今鏡・一〇〉
最も重要なところ。頭分かしらぶん。首領。
「そうじて神の―、出雲の国の大やしろ」〈滑・膝栗毛・三〉

ま‐どころ【政所】

まんどころ」の撥音の無表記。
ぼにのこと、年ごろは―にものしつるも」〈かげろふ・中〉

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精選版 日本国語大辞典 「政所」の意味・読み・例文・類語

まん‐どころ【政所】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 一般に政務を執り行なう所。政庁。
    1. [初出の実例]「仍除本籍、謹請処分者、政所依申状具状」(出典:蜂須賀侯爵家所蔵文書‐天平宝字三年(759)八月五日・筑前国政所牒案)
  3. 平安時代以後、親王・摂政・関白・大臣・大将家や三位(さんみ)以上の貴族の家で荘園の事務や家政などをつかさどった所。
    1. [初出の実例]「政所の人装束して出で来て、めしたてつつ給ふ」(出典:宇津保物語(970‐999頃)俊蔭)
  4. 大きな神社・寺院で、所管の事務全般を取り扱う所。
    1. [初出の実例]「政所に飯をかしぎて露車につみて、朝ごとに僧坊の前よりやりて」(出典:観智院本三宝絵(984)中)
  5. 大寺院の長官。別当。
    1. [初出の実例]「御寺政所法印僧都信円、権別当僧都覚憲」(出典:春日社記録‐中臣祐重記・養和二年(1182)八月一六日)
  6. 中世、荘園の事務を現地で取り扱った所。
    1. [初出の実例]「政所給一石三斗御免あるましき事蒙仰候」(出典:東寺百合文書‐に・応永一四年(1407)一二月一五日・丹波大山荘一井谷百姓等申状)
  7. 鎌倉幕府の政務機関の一つ。主に幕府の財政と鎌倉市中の非御家人・雑人の訴訟を扱った。源頼朝が右近衛大将となって、摂関家にならって政所を置いたのにはじまる。職員に長官(別当)・次官(執事・令)以下がある。
    1. [初出の実例]「令上政所。可上子細之旨被仰下」(出典:吾妻鏡‐文治元年(1185)九月五日)
  8. 室町幕府の主要な政務機関の一つ。土地の移転や財産・貸借などに関する訴訟裁判を取扱い、また、幕府御料所の管理、京都の酒屋・土倉の統制や幕府の財政をつかさどった。職員に執事・執事代・寄人・公人(くにん)などの役があり、他に政所代がいた。
    1. [初出の実例]「諸国料所年貢、土蔵酒屋以下諸商買公役等、悉為政所之沙汰者也」(出典:武政軌範(1441‐90)政所沙汰篇)
  9. ( 「きた(北)の政所(まんどころ)」の略 ) 摂政・関白の妻の敬称。後に広く貴族の妻をいい、さらに江戸時代には一般人の妻をもいう。
    1. [初出の実例]「まんどころの京にいで給といひて」(出典:今鏡(1170)一〇)

まつりごと‐どころ【政所】

  1. 〘 名詞 〙 政務をとり行なう場所・建物。役所。朝廷。まつりごとどの。まつりごとの庭。まんどころ。
    1. [初出の実例]「或は朝廷之中(マツリコトトコロ)にも、其の過失(あやまち)(おこ)らむ処にして」(出典:日本書紀(720)天武一一年一一月(北野本訓))

ま‐どころ【政所】

  1. 〘 名詞 〙 「まんどころ(政所)」の撥音「ん」の無表記。
    1. [初出の実例]「まどころの男ども遣りて、所とらせよ」(出典:宇津保物語(970‐999頃)藤原の君)

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改訂新版 世界大百科事典 「政所」の意味・わかりやすい解説

政所 (まんどころ)

(1)財政や訴訟など日常的政治実務を処理した政庁。政所の語は奈良時代の史料にもみえ,8世紀中期には〈造東大寺司政所牒〉〈筑前国政所牒〉などもみえる。大宰府や国などの政府出先機関や半ば公的性格をもっていた大寺社などは,早くからその財政に関する収納や給田などの実務と,訴訟の受理・裁断,人事の管理,使者の発遣,文書の受理・発給・保管などの日常的政治支配を行う機関として政所を設置し,またその庁舎である政所屋(まんどころや)をもときに政所とよんでいた。荘園制が盛行する11世紀以降には,荘園の現地に政所をおき,日常的な徴税や荘民の訴論を処理したところも少なくない。

(2)諸家の家政機関。律令制では親王および職事の三位以上の家は,〈家令職員令〉に規定された家司けいし)によって家事を処理する一種の公的機関でもあったが,平安中期になると親王・公卿家の家政機関として別当以下の役員をそなえた政所が整えられる。おそらく地方土豪の托身などによる家人(けにん)の増加や,家領荘園の拡大による家政の膨張がその原因だろう。特に摂関家政所では別当,令,知家事,案主,従などに分掌化した多くの家司を抱え,彼らは殿下御領,家領荘園,氏人の進退などのほか一般政治にも関与した。11世紀には下達文書として〈摂関家政所下文〉の様式も定まるが,これは家産の領域を超えて諸権門の利害調停という国家的機能をも果たした。貴族社会では三位となって資格を得ると政所を置くのが普通となり,婚姻や移徙(わたまし)があると政所始(まんどころはじめ)の儀式を行った。妻は無位でも夫が資格を得ると政所を置いたが,その政所は夫とは別であった。後世,摂関家をはじめ貴族の妻を政所,北政所(きたのまんどころ)と称するようになる理由はここにあったと考えられる。

(3)鎌倉・室町幕府の財政,政治の機関。1184年(元暦1)10月に源頼朝は大江広元中原親能らの京下の官人を迎えて公文所(くもんじよ)と問注所(もんちゆうじよ)を開設したが,翌年4月に平宗盛を捕らえた功によって正四位下から従二位に昇叙されると,貴族社会の慣習に従って公文所を政所に改め,ここに幕府機関としての政所が始まった。なおこの政所開設については《吾妻鏡》によって,1191年(建久2)10月の右近衛大将補任のときとする説が早くから行われており,政所開設にともなって頼朝がそれまでの〈御判下文(くだしぶみ)〉を回収して〈政所下文〉に改め,有力御家人の反発を招いたとも伝えられている。この時期の別当は大江広元,令は二階堂行政,案主は藤井俊長,知家事は中原光家であり,政所が公家社会の伝統を受け継ぐものであったことがわかるが,ここに東国御家人から超越して専制化しようとする頼朝の政治姿勢をみる見解が強い。こうして発足した政所は,幕府の広範な行政事務を管理するとともに,鎌倉市中の非御家人と雑人の訴訟を扱い,保々奉行人を率いて市中の行政を行う機関ともなるが,執権政治が展開して武士政権としての幕政運営が合議制に基礎づけられ,さらに所務沙汰機関としての引付方が設置されると,政所の機能は幕府の財政事務にほとんど限定されるようになったと考えられている。地頭職などの補任,所領の給与と安堵,課役免除,守護使不入などの特権付与,訴訟の判決など広範に及んでいた〈将軍家政所下文〉の発給範囲は,その多くが執権,連署による〈関東下知状〉に譲られて知行の宛行と安堵に限定され,14世紀には譲与安堵も執権の外題安堵に変えられる。13世紀中期以降の政所は別当が執権,連署の兼任で,〈執事〉の二階堂氏が事実上政所を統率し,案主は菅野氏,知家事は清原氏が世襲,ほかに公事奉行人である寄人と雑役に従う下部(しもべ)が所属していた。

 室町幕府もこの制度を継承し,頭人である執事もはじめ二階堂氏が多く就任しているが,14世紀末の康暦のころから鎌倉時代以来の足利氏譜代の臣である伊勢氏に代わり,その被官の蜷川氏が政所代を世襲するようになった。幕府が全国的な経済交流の中心である京都に置かれ,幕府財政が発展する都市経済への依存度をしだいに強めるという事情もあって,幕府財政と京都市政を担当した政所の役割は増大した。《武政軌範》によると,諸国料所年貢,土蔵酒屋以下諸商売公役は政所の沙汰であり,以前には問注所が関係していた利銭,出挙,質券地,諸質物,沽却田畠,勾引人などの雑務沙汰は,もっぱら政所の沙汰となった。
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百科事典マイペディア 「政所」の意味・わかりやすい解説

政所【まんどころ】

(1)律令(りつりょう)政府の出先機関や半ば公的性格をもっていた大寺社が,財政や訴訟などの実務を扱うために設置した機関・政庁(せいちょう)。(2)親王(しんのう)・公卿(くぎょう)家の家政機関。とくに摂関家(せっかんけ)の政所は一家政機関をこえて一般政治にも関与,諸権門の利害調停という国家的機能をも果たした。(3)鎌倉・室町幕府の財政・政治の機関。鎌倉幕府では当初公文所(くもんじょ)を開設したが,これを政所と改称。幕府の広範な行政事務の管理と鎌倉市中の行政などを担当させたが,のち引付方(ひきつけかた)が設置されると幕府の財政事務にほぼ限定されたと考えられる。室町幕府では幕府財政と京都市中の行政を担当した。以上,おのおのの政所が発給する下達(げだつ)文書を政所下文(くだしぶみ)という。なお荘園支配を円滑に実現するために在地に設置した機関を政所とよぶこともあった。その施設の置かれた場所が政所とよばれ,のち地名化した例がままみられる。
→関連項目鵤荘伊勢氏伊勢貞親大江広元大田荘大番舎人壁書鎌倉幕府官省符荘佐嘉荘沙汰未練書執権執事坪江荘富田荘蜷川親元日記別当細呂宜郷室町幕府

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「政所」の意味・わかりやすい解説

政所(日本史)
まんどころ

上級公家(くげ)の家務機関。鎌倉・室町幕府の政務機関。律令(りつりょう)の制度では、親王家や一位から三位(さんみ)の公卿(くぎょう)家には家令(いえのかみ)・扶(すけ)以下の家司(けいし)を置いて家務を処理させた。平安中期になるとこの制は崩れ、かわって政所・侍所(さむらいどころ)・文殿(ふどの)などが家務をつかさどることになった。政所には別当(べっとう)・令(れい)(四位・五位の者が任ぜられる)、知家事(ちかじ)・大従(だいじょう)・小従(しょうじょう)(六位・七位の者)などの職員がいて、家領の管理など主として財政を担当した。のちには大社寺・国衙(こくが)・荘園(しょうえん)などにも政所が設置されるようになった。

 鎌倉幕府は初め公卿以下の公家の例に倣い公文所(くもんじょ)を置いて政務を処理していたが、1190年(建久1)源頼朝(よりとも)が右近衛大将(うこのえのたいしょう)に任ぜられると、翌年正月、近衛大将の家司は摂関・大臣と同列という習慣に従い政所と改称した。公家の制に倣い別当・令・案主(あんじゅ)・知家事などの職員が置かれ、一般政務のほか鎌倉中の訴訟も担当した。長官である別当には一時大江広元(おおえのひろもと)が任ぜられたが、のちにはおおむね北条氏の執権あるいは連署(れんしょ)が兼務することになったため、令にあたる執事を世襲した二階堂氏が寄人(よりゅうど)とよばれる職員を統轄するような形になった。

 室町幕府では幕府発足の当初から設けられていたらしい。別当は置かれず、執事には二階堂氏、のちには伊勢(いせ)氏が任ぜられ、20名内外の寄人を統轄していた。幕府および将軍家の財政をつかさどるほか、政所沙汰(さた)とよばれる債権や動産物権関係の訴訟も扱った。

[桑山浩然]


政所(滋賀県)
まんどころ

滋賀県東近江市(ひがしおうみし)東部の一地区。愛知(えち)川の上流に位置する山間の地で、本居宣長(もとおりのりなが)の『玉勝間(たまかつま)』にも記された政所茶の産地として知られる。しかし、近年では茶の収穫量は大幅に減少している。国道421号が通じる。

[編集部]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「政所」の解説

政所
まんどころ

1平安中期に令制の家司(けいし)の制度が変質し,親王四品以上,諸王・諸臣三位以上の家政機関として設けられた。四位以下の家政機関は公文所(くもんじょ)という。有力寺社にも政所がおかれた。なかでも摂関家の政所は大規模で多くの下部機関をもち,これを統轄する別当のうちとくに1人を執事といい,長官の地位にあった。その指令は政所下文(くだしぶみ)によって通達された。また荘園の現地支配機構も政所とよばれ,国衙にも設置された。

2鎌倉幕府では,1190年(建久元)源頼朝が右近衛大将に任官すると,それまでの公文所を改めて政所を創設。初代別当には大江広元が任命された。以後,政所は問注所・侍所と並ぶ重要政務機関となった。北条氏の独占する執権・連署は政所と侍所の別当を兼ねる役職である。次官の執事はおおむね二階堂氏が世襲した。室町幕府では財務機関としての性格を強め,長官の執事には多く二階堂氏,のち伊勢氏が任じられた。執事のもとには20人前後の寄人(よりうど)がおかれ,筆頭は執事代とよばれた。これとは別に執事の代官には政所代があり,伊勢氏の被官蜷川(にながわ)氏が世襲した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「政所」の意味・わかりやすい解説

政所
まんどころ

平安時代中期以後,親王家,摂関家,公卿,有力社寺の家政機関。主として所領荘園の事務を司った。特に摂関家の政所は大規模で,多数の別当を配していた。源頼朝は建久2 (1191) 年2月大江広元を別当に,以下令 (れい) ,案主 (あんじゅ) ,知家事 (ちけじ) の職制を定め,鎌倉幕府および一部の民事訴訟を管掌させた。その後執権政治が成立すると,別当は北条氏の兼職となり,令,案主,知家事は二階堂,菅野,清原氏の世襲となった。室町幕府におかれた政所もこれを踏襲し,財政事務を司った。執事は伊勢氏,政所代は蜷川氏がこれを世襲した。

政所
まんどころ

滋賀県東部,東近江市中北部にある地区。愛知川上流域の段丘上に位置し,室町時代の越渓禅師による播種といわれる政所茶の産地として有名。

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旺文社日本史事典 三訂版 「政所」の解説

政所
まんどころ

①古代,親王・貴族の家政事務機関
②鎌倉・室町両幕府の政治機関
平安中期から権門勢家に置かれ,おもに寄進地系荘園の事務を処理した。摂関時代には摂関家の政所が政治的実権をもった。
1190年源頼朝が権大納言兼右近衛大将に任ぜられると,公家にならい,翌年公文所を政所と改めた。一般政務にあたり,別当は公家出身の大江広元,のち北条氏が世襲した。室町幕府ではおもに財政・訴訟を担当し,執事の職は初め二階堂氏,のち伊勢氏が世襲した。

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世界大百科事典(旧版)内の政所の言及

【伊勢氏】より

…室町期の武家。幕府政所(まんどころ)執事の家系。桓武平氏の出自といわれ,鎌倉後期に足利氏に仕えて伊勢守の官途を受け,伊勢姓を称した。…

【公文所】より

…1180年(治承4)の源頼朝の挙兵以来,頼朝の周囲には藤原邦通などの京下りの文人があって訴訟や文書発給の補佐をしていたが,1184年(元暦1)に公文所を設置し,大江広元を別当に,中原親能,二階堂行政,足立遠元,藤原邦通などを寄人に任じ,政務に当たらせた。頼朝は1190年(建久1)11月に正二位権大納言兼右近衛大将に任じられると,翌月両職を辞したが,翌年正月に公卿の式にならって政所(まんどころ)を開設した。ここに従来公文所で扱っていた政務は政所に移され,これが幕府政治の中枢機関となる。…

【家司】より

…〈いえつかさ〉ともよむ。律令制下で親王家,内親王家,職事三位以上家に置かれていた家令(かれい)以下の家政所職員を家司と称していたが,政治的,社会的に貴族家の占める比重が大きくなる平安時代に入ると,律令で定められた職員以外のものが置かれるようになり,それらを総称して家司といった。すでに奈良時代に四,五位家や散位三位以上家に〈事業〉などが置かれ家務をつかさどるようになっていたが,平安期に入ると無品親王家にも別当が置かれ,律令で家司設置規定を欠く貴族家にも設置されている。…

【頭人】より

…御家人の指揮や検断(警察裁判)を担当した侍所では,鎌倉幕府においては長官たる別当の腹心として事実上指揮・検断権を行使したのが頭人で,室町幕府においては別当が置かれなかったため,頭人が長官として侍所を管轄した。将軍の家政機関としての政所や文書・記録の保管にかかわる問注所の執事は,室町幕府では頭人とも呼ばれ,長官として政所を管轄している。室町幕府ではこのほかに,禅律僧の管轄を担当する禅律方,京都の土地管轄に当たった地方,伊勢神宮の修造にかかわった神宮方等,方の字のつく機構が多く設けられたが,それらの機構の長官はおしなべて頭人と呼ばれており,それに所属する奉行人,寄人を統轄していた。…

※「政所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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