教育の目的や理念を定めた法律で、「教育の憲法」とも呼ばれる。1947年施行の旧教育基本法は、戦前の国家主義的な教育への反省を踏まえ、個人の尊重や人格の完成を重視していた。2000年に教育改革国民会議が「法制定時と社会状況が変化している」と法改正の必要性を主張。自民党が求めた「愛国心」の条文化に賛否が分かれた。第1次安倍内閣の06年12月、公共の精神や伝統文化の尊重、「わが国と郷土を愛する」態度を教育目標に盛り込んだ改正法が成立した。
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直接、憲法に定められるべく期待されていた教育に関しての基本理念と、そして教育制度の基本原則(教育法規の勅令主義から法律主義への転換とのかかわりで求められた)とを、日本国憲法にかわり宣明した法律。昭和22年法律第25号。憲法のように同法と矛盾する他の法律規定を無効にする力はない。しかし一般に教育関係法令の解釈および運用については、同法の規定、趣旨、目的に沿うよう配慮すべきであるとされている。
[木村力雄]
それについては、次のことがいえる。
(1)教育勅語にかわる教育の基本理念の核は、個人の尊厳を重んじ、人格の完成を目ざし、真理、平和、正義を希求する人間の育成を期し、普遍的で個性豊かな文化の創造を目ざす教育の普及徹底ということにある。第二次世界大戦前の公教育の抱えていた課題の克服も、憲法の掲げる民主政治の理想の実現も、さらには世界平和や人類の福祉への貢献も、以上のような理念に導かれた教育の力にまつべきことが、同法の前文、第1条で宣明されている。また第2条で、学問の自由、実際生活、自発的精神、自他の敬愛と協力などが強調されているところから、その理念は、憲法に人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果として列記された基本的人権のうち、とくに市民的自由の教育的意味を問うことを通じて確認されたものといえる。
(2)第3条教育の機会均等、第4条義務教育、第5条男女共学の諸規定は、それに対し、憲法の平等権思想の教育面における再確認で、憲法第26条とともに、一君万民あるいは天皇の赤子的平等観に支えられ発達をみた戦前の公教育を、根底から見直すよう宣明している。歴史的にみて自由と平等の理念は、ときに補強し合いながら、ときにぶつかり合ってきた。教育の機会均等の原則は、以下の諸原則とともに、ときにぶつかり合う自由と平等の結び目の役割を果たしているともいえよう。
(3)第6条学校教育と第7条社会教育の規定は、教育の行われる場所によって、その「公の性質」に差の生じることを踏まえ、両者を制度的に分け、公共性の高い学校教育と、自主性・自発性の重んじられる社会教育とが、相互に補完し合うよう設けられたものとみることができる。教育の目的は、あらゆる機会にあらゆる場所で実現されるべきである(2条)とする、同法の当然の帰結といえよう。
教育における公共性は平等への意志により保たれ、公権力の介入なしにその実現は困難であり、そこでの自由は当然制限される。この教育の場の区分と相互補完の原則は、今後、生涯学習、生涯教育の制度化を進めるうえで生じる諸問題を解決していくためにももっとも重要な原則となろう。
(4)第8条政治教育、第9条宗教教育の規定は、公共性の高い学校教育における中立性の原則を示したもので、特定の政党にかかわる政治教育は法律の定めるすべての学校で禁止され、宗派宗教教育は国・公立学校で禁止されている。政治権力や宗教的権威に対する価値判断能力の育成は、市民的自由の大前提である。しかしそれは、公教育を公教育たらしめている平等の原則とつねにぶつかる。中立性の原則は、自由と平等の相克を学校教育と学校外教育との補完によって、超えようとしたものといえよう。
(5)第10条教育行政には、教育は不当な支配に服してはならないこと、教育行政は諸条件の整備確立を目ざして行われるべきことが併記されている。これまでみてきたところからも、教育を教育たらしめる条件整備の原則は、自由と深くかかわり、また教育を公教育たらしめる原則は、平等の原則と深くかかわっている。前者は指導助言行政と、後者は監督行政とそれぞれ対応する。
自由と平等の教育の場面でのぶつかり合いを超えて、私教育の充実と相まって、教育行政が公教育を公教育たらしめ、それが結果として、政治権力を公権力たらしめる力となることをこそ同法は願い、憲法にかわって、このように命じたものと読める。第11条補則に、この法律の実施のため、適当な法令の制定さるべきことが定められていることも見落とせない。
[木村力雄]
2006年(平成18)12月22日に新しい教育基本法が公布・施行された(平成18年法律第120号)。新教育基本法は、旧法制定(1947)後の教育を巡る状況の変化をふまえて、今日的な視点での教育の目的及び理念、教育の実施に関する基本を定めている。教育行政に関しては、国と地方公共団体の役割分担や財政上の措置について新たに規定し、教育振興基本計画を策定することも新条を設けて規定している。
[編集部]
『文部省内教育法令研究会編『教育基本法の解説』(1947・国立書院)』▽『宗像誠也編『教育基本法』(1966・評論社)』▽『鈴木英一著『教育行政』(『戦後日本の教育改革 第3巻』1970・東京大学出版会)』▽『杉原誠四郎著『教育基本法の成立』(1983・日本評論社)』
1947年3月31日公布施行された法律で,現行教育法制において最も重要な地位をしめている。すなわち,1890年の教育勅語にかわり,日本国民の名において民主主義教育の理念と目的を宣言し,教育を国民自らのものとする教育権利宣言である。また,日本国憲法に内在する教育理念を明示し,憲法の付属法的地位をしめるとともに,他の教育法令をみちびきだす根本的基礎的法律であり,教育憲法ともいわれている。教育基本法は前文と11ヵ条からなる簡潔な法律であるが,そこには日本の教育の基本原理が明示されている。内容の特色として,第1に憲法の根本原則である平和主義と民主主義を積極的にとりいれ,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を課題とした。戦前の学校令における〈皇国ノ道ニ則リ〉のような国家主義的教育目的を一掃し,国民一人一人の人格の完成に重きを置いた。第2に,日本国憲法が明記している国民の教育を受ける権利に対応し,教育の機会均等,義務教育9ヵ年制,男女共学,社会教育の奨励などの原則を掲げ,教育上の差別を禁止した。これらの原則を中心に教育制度改革が実現した。第3に,国立,公立,私立の別なく,学校が国民全体のものであるという学校教育の公共性を強調し,とくに,国公立学校における特定の宗教的活動を禁止した。これにともない,教員を〈全体の奉仕者〉と規定し,その地位を保障した。第4に,教育行政は,国民の人格形成に密接に関連する教育内容に権力的に介入することなく,教育を守り育てる条件整備にあると,その任務と限界を明らかにした。第5に,戦前の教育立法の勅令主義にかわり,国民の代表者からなる議会において制定するという,教育立法の法律主義の原則にしたがって制定されている。
本法を発意し推進したのは,1946年5月に文部大臣に就任した田中耕太郎である。同年6月,田中文相が憲法改正議会において教育根本法の構想を明らかにしたのち,文相の意を受け,田中二郎参事が文部省のスタッフを指導して立案に当たった。同年8月設置された教育刷新委員会も,第1特別委員会を中心に審議し,11月第1回建議〈教育の理念及び教育基本法に関すること〉にみられるように,制定の基本方針を樹立した。その後,連合国軍最高司令官総司令部の民間情報教育局の示唆,および枢密院,第92回帝国議会の審議をへて制定された。成立事情の最大の特色は,日本側による自主制定性が基本的につらぬかれていることである。その後,自由民主党を中心に再検討すべきだという主張がくりかえされてきた。さらに,他の教育法令,行政措置などが,教育基本法に適合しているか否かが問題とされることも多かった。今日の時点で,日本の教育が当面する,さまざまな課題を解決するために,教育基本法の根本精神を改めて確認する必要がある。なお2006年12月22日全面改定された教育基本法が公布・施行された。
→教育勅語 →日本国憲法
執筆者:鈴木 英一
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1947年公布(昭和22年法律第25号)。2006年(平成18)に全面改正がなされた。教育基本法は「教育の憲法」とも呼ばれるもので,日本の教育の根本的な理念や原則を定めた法律である。2006年の改正までは前文と11条からなり,前文には「民主的で文化的な国家を建設」するためには「根本において教育の力にまつべきものである」と高らかに教育宣言をしていた。その上で「個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成」と「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造」をめざすことが強調されていた。日本国憲法に基づく民主主義あるいは自由主義の教育理念が明示されることになった。1条の教育の目的では,「教育は,人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と規定した。以下,教育の方針(2条),教育の機会等(3条),義務教育(4条),男女共学(5条),学校教育(6条),社会教育(7条),政治教育(8条),宗教教育(9条),教育行政(10条)および補則(11条)が続く。
[改正教育基本法]
2006年12月22日に,従来の教育基本法が全面改正された(平成18年法律第120号)。新法では,条文数はそれまでの11条から18条へと増加し,しかも4章立て(第1章「教育の目的及び理念」,第2章「教育の実施に関する基本」,第3章「教育行政」,第4章「法令の制定」)となった。新時代にふさわしい基本法の制定をねらったものといわれたが,時代や社会の変化とともに見失われがちであった「豊かな情操と道徳心」「公共の精神」「伝統と文化を尊重」「我が国と郷土を愛する態度」といった教育理念をはじめ(2条),生涯学習社会の実現(3条),信頼される学校の確立や大学の社会貢献あるいは教員の自覚(5~9条),家庭教育や幼児期の教育,学校・家庭・地域の連携協力(10~13条),国と地方公共団体との役割分担と相互協力の教育行政(17条)などが新たに盛り込まれた点が特徴的であった。とくに7条に大学の条項が新たに加わり,大学の社会の発展への寄与が法律で明示されたこと,また17条の教育振興基本計画に見られるように,国の関与を重視した項目が散見される点は注目される。
著者: 清水一彦
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(新井郁男 上越教育大学名誉教授 / 2008年)
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日本国憲法の精神にもとづき,第2次大戦後の教育の根本理念を確定した法律。1947年(昭和22)3月31日公布。教育の根源を個人の尊厳,真理と平和の希求におき,教育を国民みずからのものとするという民主主義教育の理念を明示した。戦後教育改革全般を審議した教育刷新委員会の建議にもとづいて法案を作成。前文と11条からなり,前文では憲法の理想の実現を教育に求め,各条では教育の目的,教育の方針,教育の機会均等,義務教育,男女共学,学校教育,社会教育,政治教育,宗教教育,教育行政,補則を定めた。以後の教育法令はすべて本法に則ることとされたが,その後の教育行政や教育立法については,本法に適合しているか否かなど問題となることも多い。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…49年6月,教育刷新審議会と改称)は,教育の諸問題について精力的に審議を行い,改革のための建議を行った。同年12月27日に出された第1回の建議は,日本国憲法の理想の実現は根本において教育の力にまつべきであるとの考えに立って教育基本法を制定する必要を説いたものである。翌47年3月に公布された同法では,第6条で学校とその教員について〈法律に定める学校は,公の性質をもつものであって,国又は地方公共団体の外,法律に定める法人のみが,これを設置することができる。…
…第1次アメリカ教育使節団報告書の勧告や教育刷新委員会の建議にもとづいて作成され,1947年3月31日公布,同年4月1日施行された。特にこの法律は,国民の教育を受ける権利を明記した日本国憲法26条の趣旨を実現するため制定されたものであり,教育基本法とともに戦後教育改革立法の中心をなす。戦前の学校制度は教育立法の勅令主義により個別に学校令で定められていたのにたいし,この法律は教育立法の法律主義のもと,従来の学校令を廃止し,新しい学校制度を一つの法律にまとめた総合立法である。…
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