「体」は、呉音「たい」、漢音「てい」で、古くは「ぶんてい」であったと思われるが、今日普通「ぶんたい」と読むので、確証のない例は便宜上この項に収めた。
文構成の様式。多く、それぞれの言語表現に認められる、独自な文構成の様式をいう。文体には個人的特徴を示すものと社会習慣的なものとがある。言語表現には表現者の考え方が反映する。表現者が、独自の考え方を有していれば表現に反映し、独自の文体が成り立つことになる。作家が、それぞれ自分の文体をもつということが、その点から考えられることになる。逆に、独自な文体をもつことが重視されることにもなる。社会習慣的な文体は、文章の歴史のなかで形成されたもので、表現者は、表現の場面・内容等から文体の選択を行うことになる。
後者の文体は、次のように分類できる。〔1〕文語体 漢文体、記録体(東鑑(あずまかがみ)体)、宣命(せんみょう)体、和漢混淆(こんこう)体、和文体、雅文体、候(そうろう)文体、〔2〕口語体 敬体、常体。漢文体は漢字だけを用い、漢文の語序に従って記されたもの。奈良・平安時代を通じ、公的な文章に用いられていた。記録体は漢字だけで、多くは漢文の語法に従って書かれたもので、漢文体の一種といえるが、正式の漢文にはない日本語の語法に基づく表現が入り込んで、純粋な漢文とは異なる言い回しの混じたものをいう。和習漢文、変体漢文などともいわれる文である。表現者がこの文体を意図的に選択したというよりも、漢文を書こうとしたものが結果としてこの文体になったというべきである。この文体は『古事記』をはじめ、日本人の書いた漢文にはままみられるが、とりわけ平安時代の公卿(くぎょう)の漢文日記はこの文体が多く、鎌倉幕府の公式記録である『東鑑(吾妻鏡)』に顕著であるので「東鑑体」ともいう。宣命体は『続日本紀(しょくにほんぎ)』中の宣命の記録に顕著で、漢字だけを大字、小字を取り交ぜて用い、読みの便を図った文である。和漢混淆体は、多く鎌倉時代以降の軍記物にみられ、和文体を基調に漢文訓読調が交ざったもので、和文のみやびと漢文のリズミカルな簡潔さの双方のよさが生かされる。和文体は平安時代の文学作品に確立したもので、平仮名をおもに用い、当時の話しことばを基調にして書かれたと推測され、人々の連綿とした思いが反映したと考えられる文体である。雅文体は、鎌倉時代以降、とくに江戸時代の国学者を中心に、平安時代の和文体を模して書かれたもの。後世の言い回しが交ざり、平安時代の和文のままではない。候文体は、相手への敬意を「候」で表すことが多い点に特徴がある。室町時代初めの書簡作法書『庭訓往来(ていきんおうらい)』にこの文体がとられるなど書簡文の主流となった。
口語体の文体は、その時代の話しことばに限りなく近い語法に従って書かれ、文末に「です、ます」といったていねいの意を添える語を用いる敬体(です・ます体)と、それを用いない常体(だ・である体)とに分けられ、前者は読み手を強く意識したもので、後者よりも話しことば的である。
[山口明穂]
作者の個性または思想が、文章を構成する語句やその組み立て方に現れて、全体として一つの特色をなしているもの。ただし、ギリシア以降ルネサンス期までは、文体の問題は形式上の整備の問題として文章の統一と強化が目ざされたが、18世紀に「文は人なり」というフランスの博物学者ビュフォンのことばが広く知られ、同じころから近代文学の発展が始まるとともに、文体を個性の表現とみる見方が一般化した。
[小田切秀雄]
作品での表現効果を高めるために、ことばを選びこれを巧みに組み立てていくこと、それを意識的に行うなかで個性的な表現をつくりだしていく場合もあるが、作家としての何ものかを表現するために全力を傾注しているときに、その作家の個性的特色がおのずとそこに強烈に現れてこずにはいない、という経過で個性的な文章が生まれることもある。なお、そういう個性的な特色は、作者が時代の子、階級・階層の子であることに伴って、おのずと(または意識的に)時代的特色または階級的・階層的な特色を強く表現することになり、時代文体、階級文体、階層文体等の代表的なものとなる。これは、作者にとっていわば外部からの規制となる和文体、漢文体、漢文読み下し体、洋文体、または書簡体、日記体、記録体、論議体等の諸文体とはまた別のことで、時代文体、階級文体等の特色は作者の内部からのものでなければ強力なものになることができない。その和文体等または書簡体等の場合でも、その形式に従いながら作家が独自な文体を実現していることは、その種の多くの作品によって証(あか)したてられているとおりである。
文体は、直接的にはもっぱら文章そのものにかかわってつくりだされた個性的特色だが、それが可能になるためには作家による個性的な判断、感覚、思考がなければならず、作家の思想や文学傾向やそれらの活気やによるところが大きい。措辞法や文構成法についての職人的な修練で、ある程度はまかなえても、すこし大きな作品ではたちまちそれは実体を露呈してしまう。文体の個性的な活気は、その作家の思想、文学的傾向そのものの活気によることが多い。文体論がただちに作品論、作家論になってしまうことが多いのも、こういうところに根拠がある。なお、文体には、文法との関係でさまざまに効果的でありうる品詞の自由な使い方、また、語の順序から句・節・文の構成の仕方のこと、音韻の組合せへの配慮、そのほか細かい具体的な問題がいろいろとあり、さらにはまた、文体を徹底的に分析していくことによって、作者自身さえ意識していなかった作品の内部構造や思考のさまざまな傾斜などの解明に至る、ということもある。
[小田切秀雄]
文体研究は古典ギリシアの時代から行われ、現在では普通「文体論」stylistics(英語)、stylistique(フランス語)、Stilistik(ドイツ語)という形をとっている。古代から修辞学の一部として文体論があり、詩文体、小説文体、劇文体のそれぞれについての形式主義的な論から、近代に入るとともにしだいに作家の個性的な文体についての論に移行し、実証的または理論的に精密化するとともに、精神史や文芸思潮史等とのかかわりや人格、伝記等とのかかわりなどをも追求の対象とするようになっている。日本では1930年代末から文体論が専門的に研究されるようになり、その専門家たちによって日本文体協会が組織されている。
[小田切秀雄]
『西尾光雄著『文体論』(1963・塙書房)』▽『波多野完治著『現代文章心理学』(1950・新潮社)』▽『日本文体論協会編『文体論入門』(1966・三省堂)』
文体の概念には大幅な伸縮がある。平均的な意味としては,〈ことばによる表現のしかたの特徴的な相〉,あるいはいっそう簡単に〈特徴的なことばづかい〉といえるだろう。特徴にかかわる概念であるから,識別され分類されうるような,類型としても理解されうる。
日本語の文章論においては昔からさまざまの〈……体〉と呼ばれるような大きな文体類型が考えられていた。その典型的な例をあげてみるなら,たとえば坪内逍遥は《小説神髄》内の文体論において,文学的文体は〈雅文体〉〈俗文体〉〈雅俗折衷体〉の3類である(そして雅俗折衷体はさらに〈稗史体(はいしたい)〉と〈艸冊子体(くさぞうしたい)〉に分けられる)と説明していた。これは分類法の一例にすぎず,古来,さまざまの視点から,〈和文体〉〈漢文体〉〈和漢混淆体〉〈候文体〉〈美文体〉などと,おびただしい文体の類型が名づけられてきた。基準の設定次第で分類体系が変わり,名称がふえるのは言うまでもない。
現在,日本語の〈文体〉ということばは西洋の〈スタイルstyle〉という概念への適切な訳語でもある。そしてヨーロッパ的な〈スタイル〉もまた,伝統的に大きな類型として理解されてきた。古代ギリシア・ローマのレトリックの標準的理論において,弁論は,Ⅰ.説明し,証明する,Ⅱ.楽しみを与え,好意を生む,Ⅲ.感動を与え,感服させる,という三つの機能をはたすべきものと考えられていた(そのうちでもっとも上位と見なされていた第Ⅲ機能は,第Ⅰと第Ⅱの両機能をも総合して発揮される)。そして,3機能を実現するために,それぞれに適合する三つのゲヌス・ディケンディgenus dicendi(言いかたの種類)が想定されていた。それが,後世,〈スタイル=文体〉と訳されることになる。3機能を反映する三つの文体(ゲヌス・ディケンディ)の名称は流動的だったから,ここでは仮に番号で名づけ,そのあとに呼称の例を添えておくが,第Ⅰ文体(単純体,簡素体),第Ⅱ文体(中庸体,華文体),第Ⅲ文体(崇高体,壮大体)の3類である。ところが,中世に近づくころには,弁論の3機能との元来の対応関係がなぜか忘れられ,三文体の性格がいくらか変わり(そこには,話しことばから書きことばへという関心の移動も関係している),文体は,機能のかわりに,記述される対象の性質に対応するべきものとして規定されることになった。そうして,中世から近世までの文章作法や詩学の重要な枠組みとして継承される有名な〈三文体〉の説が成立する。純朴な世界を描くには第Ⅰ文体を,通常の世界には第Ⅱ文体を,荘重な世界には第Ⅲ文体を,という規範的な文体理論である。そして,文体の選択と描写される対象とのあいだには〈ふさわしさ〉すなわちデコルムdecorumがなければいけないと教える,その〈ふさわしさ〉の説には,たとえば逍遥の三文体など日本の文体観とも共通する面が多い。内容が表現形式を規定するという考えかたである。
ヨーロッパでは18世紀以降,ロマン主義の思潮とともに,伝統的な三文体の説に対して,いわば表現者の個性,独自性の表出としての新しい文体概念がしだいに形成される。大きな類型としての文体概念とは異なる,〈文体は人間そのものである〉という標語に示されるような,特定の著作者,特定の作品についての個人的文体という概念である。他方,近代的な文体論の成立とともに,大きな類型としての文体についても,かつての教則的な意味あいとは異なる,別の概念があらわれる。たとえば20世紀の文体論の創始者のひとりと見なされているバイイのばあいは,文体とは,社会的な言語活動の情意的側面にほかならない。すなわち,その文体論は,個人的な特徴ではなく,社会的な言語使用のなかにあらわれる表現の情意的な変異現象を記述・分析しようとするものであった。その後の現代文体論は,社会的文体か個人的文体か,意図的な文体か非意図的な文体かというような,研究対象としての〈文体〉の概念の多様性に応じて,さまざまの方向へ,また方法的にも多様なかたちで探求が進められている。
具体的,実証的な文体研究と並行して,こんにちなお文体の本質にかかわる諸問題がある。概念としては変動があるにせよ,とにかく〈文体〉は表現上の特徴として想定されるものであろう。その認定のしかたとして,たとえば文体的特性を標準からの〈へだたり〉〈逸脱〉ないし〈偏差〉と見なす考えかたはかなり一般的だが,その場合,標準(あるいは文体零度)をどこに見いだすかという難問がある。また,理論的にきわめて設定しにくい絶対的な標準という概念にたよらず,むしろ文脈の一貫性を基準としてそれからの部分的な〈へだたり〉によって相対的かつ局部的な文体特徴を見いだそうという考えかたもある。さらに,文体的変異は,文学的,社会的あるいは情意的な変異をあらわしているだけではなく,表現者の性格を反映している,また別の視点から,もっと根本的な認識の変様をあらわしているであろう,というような多角的な問題の立てかたがあり,文体論は多くの可能性をはらんでいる。
→レトリック
執筆者:佐藤 信夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…この蠟板に,スティルスstilusと呼ぶ先のとがった鉄筆で字を書く。〈文体〉を意味する英語のスタイル,フランス語のスティル,ドイツ語のシュティルは,この鉄筆からきた言葉である。ローマ人はこの蠟板を書信の往復にもよく使った。…
※「文体」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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