文永弘安の役(読み)ぶんえいこうあんのえき

精選版 日本国語大辞典 「文永弘安の役」の意味・読み・例文・類語

ぶんえいこうあん‐の‐えき【文永弘安の役】

  1. げんこう(元寇)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

関連語 世祖

百科事典マイペディア 「文永弘安の役」の意味・わかりやすい解説

文永・弘安の役【ぶんえいこうあんのえき】

13世紀後半における2度の蒙古)軍の日本来襲。元寇(げんこう)・蒙古襲来・モンゴル襲来とも。文永11年(1274年)10月壱岐(いき)・対馬(つしま)を占領した元・高麗(こうらい)軍は博多付近に上陸したが,暴風によって敗退(文永の役)。幕府異国警固番役を実施し,防備を固めた。弘安4年(1281年)5〜7月再び来襲した十数万の元軍には容易に上陸を許さず,大風雨の助けもあってほとんど全滅させた(弘安の役)。影響は大きく鎌倉幕府衰亡を早めた。→北条時宗フビライ
→関連項目鎌倉幕府亀山天皇関東公事河野氏河野通有三別抄志賀島世祖(元)長門探題日本松浦荘蒙古襲来絵詞

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「文永弘安の役」の意味・わかりやすい解説

文永・弘安の役 (ぶんえいこうあんのえき)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「文永弘安の役」の解説

文永・弘安の役(ぶんえい・こうあんのえき)

元寇(げんこう)

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文永弘安の役」の意味・わかりやすい解説

文永・弘安の役
ぶんえい・こうあんのえき

元寇」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の文永弘安の役の言及

【モンゴル襲来】より

…1274年(文永11)と81年(弘安4)の2度にわたって行われたモンゴル(元)軍の日本来襲。蒙古襲来,蒙古合戦,元寇,また文永・弘安の役ともいう。
[日蒙交渉]
 1266年8月,モンゴルのフビライ・ハーンは日本と通好するために日本招諭の国書を草した。…

※「文永弘安の役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android