斎藤利三(読み)さいとう・としみつ

朝日日本歴史人物事典 「斎藤利三」の解説

斎藤利三

没年天正10.6.17(1582.7.6)
生年:生年不詳
戦国・安土桃山時代の武将明智光秀家臣内蔵助。生年は天文3(1534)年とも同7年ともいう。利賢の子。母は明智光秀の妹とも斎藤親順の娘ともいい,妻についても斎藤道三の娘,稲葉良通(一鉄)の娘あるいは姪など,諸説がある。初め一鉄に仕えたが,やがて光秀に迎えられ,その家老として丹波に住す。天正10(1582)年,本能寺の変に従軍。続く山崎合戦で秀吉に敗れ近江堅田に逃れるが,捕らえられ六条河原で斬首される。その首は光秀の首と共に本能寺にさらされ,屍もともに粟田口で磔に処された。なお,徳川3代将軍家光の乳母春日局は利三の娘である。

(谷口研語)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤利三」の解説

斎藤利三 さいとう-としみつ

1534/38-1582 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)3/7年生まれ。斎藤義竜,稲葉一鉄,織田信長にしたがい,天正(てんしょう)8年明智光秀につかえ1万石をあたえられる。10年本能寺に信長をおそうが,山崎の戦いで敗れる。近江(おうみ)(滋賀県)堅田で捕らえられ,同年6月17日処刑された。45/49歳。娘にのちの春日局(かすがのつぼね)。美濃(みの)(岐阜県)出身。通称は内蔵助。
【格言など】消えてゆく露のいのちは短夜のあすをも待たず日の岡の峰(辞世)

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世界大百科事典 第2版 「斎藤利三」の意味・わかりやすい解説

さいとうとしみつ【斎藤利三】

?‐1582(天正10)
内蔵助と称する。春日局の父。初め稲葉良通(一鉄)に仕え,のち伯父に当たる明智光秀に仕えた。このことが本能寺の変の一原因になったという説もある。光秀から事前に本能寺襲撃を明かされた老臣の一人で,山崎の戦に奮戦したが,敗戦後近江大津で捕縛され,京都粟田口で磔刑された。3男1女があり,1女は稲葉正成に嫁し,のち徳川家光の乳母(春日局)となり,この縁で長男利光と次男三存は幕臣となった。【岩沢 愿彦】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「斎藤利三」の意味・わかりやすい解説

斎藤利三
さいとうとしみつ

[生]天文3(1534)
[没]天正10(1582).6.17. 京都,白河
安土桃山時代の武将。織田信長に仕え,のち明智光秀に迎えられ武名をあげた。天正 10 (1582) 年本能寺の変にも光秀に従い,秀吉に殺された。春日局は末娘である。

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世界大百科事典内の斎藤利三の言及

【海北友松】より

…画事よりは弓馬の道を積極的に学んだらしい。豊臣秀吉の部将亀井茲矩は武道の師・画事の後援者であり,明智光秀の家老斎藤利三(?‐1582),真如堂東陽坊長盛(1515‐98)らは風流の友。里村紹巴は連歌の師で,五山の禅僧との交友も深かった。…

※「斎藤利三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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