方丈記(読み)ほうじょうき

精選版 日本国語大辞典 「方丈記」の意味・読み・例文・類語

ほうじょうき ハウヂャウ‥【方丈記】

鎌倉前期の随筆。一巻。鴨長明著。建暦二年(一二一二成立。仏教的無常観主題に、作者の体験した都の生活の危うさ・はかなさを、大火辻風飢饉疫病地震遷都等の実例によって描き、ついで移り住んだ日野山方丈の庵の閑寂な生活を記す。文章は簡明な和漢混淆文

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「方丈記」の意味・読み・例文・類語

ほうじょうき〔ハウヂヤウキ〕【方丈記】

鎌倉前期の随筆。1巻。鴨長明著。建暦2年(1212)成立。仏教的無常観を基調に、大風飢饉ききんなどの不安な世情や、日野山に閑居した方丈のいおりでの閑寂な生活を、簡明な和漢混交文で描く。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「方丈記」の意味・わかりやすい解説

方丈記
ほうじょうき

鎌倉初期の随筆。一巻。鴨長明(かものちょうめい)作。1212年(建暦2)3月成立。書名は長明が晩年に居住した日野の方丈(一丈四方、すなわち約3.3メートル四方)の草庵(そうあん)にちなんだもの。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という無常観を表白する流麗な文章に始まり、五つの大きな災厄がまず記述される。京都の3分の1を焼き尽くした安元(あんげん)3年(1177)の大火、治承(じしょう)4年(1180)の旋風、同年、平清盛(きよもり)によって突如強行された福原(現在の神戸市付近)への遷都、養和(ようわ)年間(1181~82)の大飢饉(ききん)、元暦(げんりゃく)2年(1185)の大地震と打ち続く大きな災厄の前にあえなく崩壊していく平安京の光景が迫力ある筆致で描かれる。そして「すべて世の中のありにくく、我が身と栖(すみか)とのはかなくあだなるさま、またかくのごとし」と、この世の無常と、人の命のはかなさが強い語調で結論づけられる。続いて長明に訪れた「折り折りのたがひめ(不遇)」のため、50歳ころ出家、60歳に及び日野に方丈の庵(いおり)を構えるに至った経過が述べられる。庵の周辺は仏道の修養、管絃(かんげん)の修練には好適の地で、そこは長明に世俗の煩わしさから解放された安息を初めて与えた地であり、「仮の庵(いほり)のみのどけくしておそれなし」と賞揚される。しかし、末尾に至り、閑寂な草庵に執着する自らを突然否定し、「不請(ふしゃう)の阿弥陀仏(あみだぶつ)(人に請(こ)われなくとも救済の手を差し伸べてくれる阿弥陀仏の御名の意か)」を唱えて終わる。

 前半でこの世の無常を認識し、後半において草庵の閑居を賞美、かつ末尾ではそれらを否定するという一編の構成はきわめて緊密である。漢文訓読調を混ぜた和漢混交文は力強く、論旨を明快なものとしている。とりわけ五大災厄の描写は緊張した文体で、的確、リアルできわめて印象的である。慶滋保胤(よししげのやすたね)の『池亭記(ちていき)』(982成立)などを倣ったものと考えられるが、『平家物語』(13世紀後半成立か)をはじめ、後の中世文学に大きな影響を与えており、『徒然草(つれづれぐさ)』(1331ころ成立か)と並んで、中世の隠者文学の代表である。大福光寺本は鴨長明の自筆かといわれる写本で、その価値は高い。五大災厄の部分を欠く「略本方丈記」といわれるものもあり、長明の自作とも後人の偽作ともいわれ、定説をみない。

[浅見和彦]

『簗瀬一雄著『方丈記全注釈』(1971・角川書店)』『三木紀人著『鑑賞日本の古典10 方丈記・徒然草』(1980・尚学図書)』『三木紀人・宮次男・益田宗編『図説日本の古典10 方丈記・徒然草』(1980・集英社)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「方丈記」の意味・わかりやすい解説

方丈記【ほうじょうき】

鎌倉初期の随筆。鴨長明作。1212年成立。慶滋保胤の《池亭記》にならい,整然たる構成をもって,安元〜元暦年間(1177年―1185年)の大火,大風,飢饉(ききん),地震等の天災地変や人事の転変を精密に描出,人生の無常を感じて,日野山に方丈の庵をかまえて遁世する次第を述べる。仏教的な無常観と深い自照性をもち,隠者文学の代表とされ,その文章は和漢混淆(こんこう)文の完成形とも評価される。《徒然草》とともに後代に大きな影響を与えた。
→関連項目海道記鎌倉時代対句無名抄

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版 「方丈記」の意味・わかりやすい解説

ほうじょうき【方丈記】

鎌倉時代の随筆。鴨長明(法名蓮胤)著。1212年(建暦2)成立。1巻。長明が,晩年日野(京都市伏見区)に構えた方丈(約3m四方)の庵での閑居生活のさまと心境を記す。〈ゆく河の流れは絶えずして,しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ泡(うたかた)は,かつ消え,かつ結びて,久しくとどまりたるためし無し〉で始まる格調高い文章は,和漢混淆文の完成された形として高く評価されている。《枕草子》や《徒然草》と異なり,構想を慶滋保胤(よししげのやすたね)の《池亭記》(982成立)にならい,短編ながら整然とした構造をもつ。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「方丈記」の解説

方丈記
ほうじょうき

平安・鎌倉時代の随筆。鴨長明(かものちょうめい)著。1212年(建暦2)成立。父長継の跡をうけて下鴨社の禰宜(ねぎ)になる道を閉ざされた憂いなどから,俗世の交わりをたち出家した長明が,京都の東南で,醍醐寺に近い日野山に構えた方丈の草庵にこもり,日々の感懐をつづった。「維摩経(ゆいまきょう)」の維摩の居室の方丈にちなみ,慶滋保胤(よししげのやすたね)の「池亭記」から構想をうける。安元の大火,治承の辻風,福原遷都,養和飢饉,元暦大地震の5大災厄の記事を含む広本系と,含まない略本系に大別される。鎌倉初期の大福光寺本(重文)は長明自筆とも考えられていたが,現在では否定的。「新日本古典文学大系」所収。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「方丈記」の意味・わかりやすい解説

方丈記
ほうじょうき

鎌倉時代前期の随筆。鴨長明著。1巻。建暦2 (1212) 年成立。題名は長明が日野山に1丈 (約 3m) 四方の庵室を造り住んだことによる。無常厭世の仏教観に貫かれた小編で,流麗,簡潔な名文として古来推されている。広本 (古本,流布本) ,略本があるが,広本の古本系に長明自筆かといわれる大福光寺本がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「方丈記」の解説

方丈記
ほうじょうき

鎌倉前期,鴨長明の随筆文学
1212年成立。治承・寿永(1177〜85)の動乱や大火・辻風・地震などの天変地異を体験して世の無常を感じた長明が,京都日野山に方1丈の庵を結び,有為転変の世・閑居隠遁の心を綴ったもの。『枕草子』『徒然草』と並ぶ随筆文学の傑作。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典内の方丈記の言及

【随筆】より

…この系統は絶えることなく近世に至って盛んとなり,近代にも引きつがれたのは,日本人に適した表現様式であるためであろう。
[中世~近世]
 中世の随筆といえば,従来,鴨長明の《方丈記》,吉田兼好の《徒然草》の2点があげられる。しかし《方丈記》は漢文の文章の一体である〈記〉を書名とする。…

※「方丈記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

インボイス

送り状。船荷証券,海上保険証券などとともに重要な船積み書類の一つで,売買契約の条件を履行したことを売主が買主に証明した書類。取引貨物の明細書ならびに計算書で,手形金額,保険価額算定の基礎となり,輸入貨...

インボイスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android