日本橋(読み)ニホンバシ

デジタル大辞泉 「日本橋」の意味・読み・例文・類語

にほん‐ばし【日本橋】

東京都中央区日本橋川に架かる橋。現在のルネサンス風の石橋は明治44年(1911)建造。橋中央に国道の起点として道路元標がある。
東京都中央区北半部の地名。経済の中心地で、日本銀行証券取引所(金融商品取引所)や各種銀行・問屋・百貨店などが多い。もと東京市の区名。→にっぽんばし(日本橋)
Cau Nhat Ban》⇒来遠橋らいおんばし
[補説]大阪の日本橋は「にっぽんばし」と読む。

にっぽん‐ばし【日本橋】

大阪市中央区の道頓堀どうとんぼり川に架かる橋。
大阪市中央区の地名。浪速なにわ区にかけて商店街が続き、日本橋筋とよばれる。
[補説]東京の日本橋は「にほんばし」と読む。

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共同通信ニュース用語解説 「日本橋」の解説

日本橋

江戸の中心を流れる川に1603年に架けられ、東海道などの起点となった。火災などで架け替えを重ね、現在の石造りの2連アーチ橋は1911年に完成。長さ49メートル、幅28メートルで、青銅製の和漢洋折衷の装飾がある。明治期を代表する道路橋とされ、国道の起点となっている。64年東京五輪に向けた首都高速道路の整備で、用地買収の容易さから川の上空が建設ルートとなり、橋の真上を高架が覆った。

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精選版 日本国語大辞典 「日本橋」の意味・読み・例文・類語

にほん‐ばし【日本橋】

  1. [ 一 ] 東京都中央区にある橋。慶長八年(一六〇三)、江戸の町割に際し創設されたもので、江戸城外濠と隅田川を結ぶ日本橋川にかかる。東海道など五街道の起点であり、五畿七道に設けられた一里塚の元となったところで、現在も橋の中央鉄塔に日本国道路元標がある。現在の橋は明治四四年(一九一一)架設。
  2. [ 二 ] 東京都中央区の北半部の地区。もと東京市一五区の一つ日本橋区。都の中央部を占め、江戸時代以来商業・交通の中枢として、江戸繁栄の中心となったところ。現在も金融・商業の中枢地。
  3. [ 三 ] 長編小説。泉鏡花作。大正三年(一九一四)刊。日本橋の芸者清葉・医学士葛木・清葉の朋輩お孝の三角関係の絡み合いのなかに愛欲図が展開する。
  4. [ 四 ]にっぽんばし(日本橋)

にっぽん‐ばし【日本橋】

  1. 大阪市中央区の道頓堀川にかかる橋。南詰から以西は道頓堀の歓楽街である。

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日本歴史地名大系 「日本橋」の解説

日本橋
にほんばし

江戸時代から使われる、日本橋川に架された日本橋を中心とする広域地名。天正一八年(一五九〇)徳川家康関東入部以降最初に町割された地域で、その範囲はおよそ西は江戸城の外堀端、北は神田堀から郡代ぐんだい屋敷を含んで浅草橋西詰まで、東は大川(隅田川)西岸、南は中橋なかばし広小路から北島きたじま町・亀島かめじま町を結んで亀島川としん堀以北に収まる。北と西はほぼ町人地で、大川西岸と浜町はまちよう堀の東側、旧吉原きゆうよしわら南側の蠣殻かきがら町と同堀対岸の箱崎はこざき町、もみじ川東岸には武家地が多かった。江戸城下の中心で、日本橋川・伊勢町いせちよう堀・楓川・神田堀・浜町堀・亀島川・箱崎川・新堀沿いの河岸には蔵地が発達し、東海道など主要街路には大店が軒を並べ、横丁や裏通りでは小商人や諸職人が営業した。行政機関では江戸町支配の三町年寄役所、訴訟のための公事宿があり、さらに金座・銀座・枡座・秤座なども置かれた。明暦の大火までは吉原遊廓が、天保改革までは葺屋ふきや町・さかい町に歌舞伎・地芝居・操り人形芝居の小屋があり、江戸橋広小路には多くの床店が発達するなど江戸の文化と遊楽の中心でもあった。罪人の引回しも浅草から浅草橋を渡って日本橋に入り、町々を通った。主要商人の多くは大丸や三井越後屋(現三越)など京・大坂・伊勢などに本店を置く江戸店であったが、本小田原ほんおだわら町・本船ほんふね町を中心とする魚河岸商人たちは浅草蔵前くらまえの札差とともに江戸根生いの町人であった。


日本橋
にほんばし

現中央区日本橋室にほんばしむろ町一丁目と日本橋一丁目との間の日本橋川に架かる。国道の道路原標が設置されている。江戸時代には北の室町一丁目と南のとおり一丁目との間に架されていた。

慶長八年(一六〇三)の創架とされるが(慶長見聞集)、根拠は明らかでない。しかし翌九年に日本橋を起点に各街道に一里塚を築くことが定められている(徳川実紀)。その後、焼失・腐朽などにより近世だけでも十数度の架替えが公儀の費用で行われた。江戸時代初期の様相を伝える出光本江戸名所図屏風や歴博本江戸図屏風においても、繁華な町人地の中心に日本橋が描かれている。またこの一帯は江戸湊の中心であり、橋の下を船が行交うため、石垣状の橋台を高く築き、円弧状に反りのある橋が架けられた。


日本橋
につぽんばし

道頓堀どうとんぼり川に架かる橋で、長堀橋筋ながほりばしすじ二丁目と日本橋につぽんばし一丁目を結ぶ。江戸時代には公儀橋の一つで、北は道頓堀宗右衛門どうとんぼりそうえもん町、南は道頓堀立慶どうとんぼりりゆうけい町、北詰以北はさかい筋、南詰は紀州街道への口であった(摂津名所図会大成)。文政九年(一八二六)の日本橋場所惣絵図(大阪城天守閣蔵)によると、橋の長さ二〇間半・幅三間、南詰には高札場一・建家一・髪結床三・番所一、北詰には建家一・髪結床二・小家三・雪踏店一があった。

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百科事典マイペディア 「日本橋」の意味・わかりやすい解説

日本橋(地名)【にほんばし】

東京都中央区,日本橋川にかかる橋および旧日本橋区の区域。橋は1603年架設,当時は橋畔に高札場,罪人のさらし場があった。諸街道の起点で,橋上中央に道路元標が立つ。現在の橋は1911年架設,長さ49.3m,幅27.9mのルネサンス式コンクリート橋。旧日本橋区は江戸時代以来の商業地区で,日本橋川北岸には関東大震災まで魚河岸(日本橋魚市)があった。現在室町,日本橋通りは都心商店街として高級専門店,デパートが集中。2004年ごろから,再開発プロジェクトによる大型複合ビルなども誕生している。また堀留町の繊維品,横山町の雑貨,本町の薬品,伝馬町の金物,紙など各種問屋街がある。日本銀行,東京三菱銀行東京営業部の所在地は江戸時代の金座,両替町にあたる。橋は1999年,重要文化財に指定。
→関連項目岩淵五街道品川宿白木屋[株]千住宿内藤新宿中山道日光道中船宿文化3年の大火文政の大火

日本橋(橋名)【にほんばし】

大阪市中央区の道頓堀川にかかる橋。周辺はミナミの歓楽地。道頓堀川から浪速区に至る堺筋を日本橋筋といい,第2次大戦前は古本屋街,戦後は卸・小売兼業の電気器具商が集中。
→関連項目大阪[市]中央[区]浪速[区]

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改訂新版 世界大百科事典 「日本橋」の意味・わかりやすい解説

日本橋 (にほんばし)

東京都中央区の北部,日本橋川にかかる橋の名称であるとともに,旧日本橋区にあたる地名。1603年(慶長8)日本橋が架けられて以来,付近一帯の地名となった。翌年,全国里程の原点と定められ,東海道をはじめとする五街道の起点となった。現在も日本国道路元標が橋のたもとにある。現在のアーチ型石橋は1911年に架けられたもので,長さ49m,幅27m,ルネサンス様式を模している。

 浅井了意《江戸名所記》に,人の行きかいは〈螘(あり)の熊野まいりのごとし〉とあるように,江戸の交通・運輸の中心としてにぎわい,橋の南詰には高札場,晒(さらし)場が設けられた。日本橋川を軸にした運河,船入堀べりには魚河岸,米河岸,塩河岸,材木河岸などの河岸が並び,物資の集散に活況を呈した。これに伴って商工業が発達し,近江商人や伊勢商人などの大店が軒を連ね,呉服,木綿,薬種など各種の問屋が集まり,また金座,銀座がおかれた。明暦の大火(1657)以前は遊里吉原があり,近くの葺屋(ふきや)町,堺町には天保の改革まで芝居小屋の市村座,中村座があった。

 1878年,東京市の15区の一つとして日本橋区が成立し,その結果,従来は橋の周辺にのみ限定されていた〈日本橋〉の地名が拡大して使用されるようになった。この旧日本橋区に属する地域は,日本および東京の経済・商業活動にとって重要な地域となっている。日本のウォール街といわれる兜町には東京証券取引所を中心に証券会社が,室町から本石町にかけては日本銀行をはじめ金融機関が集中し,中央通り沿いに三越,高島屋,東急日本橋店などの百貨店や大書店の丸善が並ぶ。江戸時代以来の伝統を受けつぎ,横山町,馬喰(ばくろ)町一帯に衣服・雑貨,小伝馬町,本町3~4丁目一帯に繊維,本町1丁目付近に薬種などの問屋が集中している。地下鉄各線や総武線が通じ,東京駅八重洲口にも近い。

 なお大阪市中央区には道頓堀川に架かる日本(につぽん)橋があり,近世以来,付近の町名ともなっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本橋」の意味・わかりやすい解説

日本橋(東京都)
にほんばし

東京都中央区の北半部の地区。また1947年(昭和22)中央区成立前までの旧日本橋区の区域をいう。徳川家康の入府(1590)前は日比谷(ひびや)入り江と隅田(すみだ)川の間の低湿地であったが、入府後は江戸城大手門の東側にあたることから1592年(文禄1)以降、町屋として建設にあたった。江戸城と平(ひら)川河口を結ぶ道三(どうさん)堀を中心として、その北方の常盤(ときわ)橋(浅草口)から奥州街道が通じ、平川の延長の日本橋川には日本橋が架けられ東海道の起点となった。

 地名由来の日本橋は、徳川家康が征夷(せいい)大将軍に任じられた1603年(慶長8)に架橋されたといわれ、当時長さ約68メートル、幅約7メートルの木橋であった。現在の石橋は1911年(明治44)に建造されたルネサンス風の名橋で、中央に日本国道路元標がある。日本橋川は江戸随一の河岸でにぎわい、天正(てんしょう)年間(1573~1592)白魚(しらうお)市が開かれ、やがて魚市場として、築地(つきじ)に1935年(昭和10)移転するまで、江戸、東京の台所となった。金貨幣の鋳造所の金座は本町(現、日本橋本石町(にほんばしほんごくちょう))に1595年(文禄4)建立、現在の日本銀行へとかわった。ヨシの生えた湿地の吉原(現、日本橋人形町)には、1617年(元和3)江戸に散在していた遊里をまとめて大遊廓(ゆうかく)がつくられ、また芝居小屋もできるなど江戸町人の町として繁栄を遂げた。なお、吉原は明暦(めいれき)の大火(1657)後、浅草に移り、この地は元吉原とよばれた。

 現在も銀行・百貨店などの集中する日本橋本石町、日本橋室(むろ)町、日本橋、繊維・雑貨など卸売り機能の日本橋横山町、日本橋大伝馬町、日本橋堀留町、証券取引きの日本橋兜町(にほんばしかぶとちょう)など東京の中心商業地区であり、江戸の伝統を引き継いだ江戸情緒の町である。かつての水路の多くは埋め立てられ首都高速道路となっている。また地下鉄網が発達し、東京地下鉄銀座線・東西線・日比谷線・半蔵門線、都営地下鉄浅草線・新宿線の各線や総武本線が通る。

[沢田 清]

『田村栄太郎著『銀座・京橋・日本橋』(1965・雄山閣出版)』



日本橋(泉鏡花の小説)
にほんばし

泉鏡花の長編小説。1914年(大正3)千章館から書き下ろし出版。大正期の鏡花の花街小説の代表作で、翌年3月には真山青果(まやませいか)脚色で新派が東京・本郷座の舞台にかけ、喜多村緑郎(きたむらろくろう)(お孝(こう))、伊井容峰(ようほう)(葛木(かつらぎ))らで初演。原作は春の1日の午後から夕暮れに至る2、3時間の経過のなかに、幾重にも回想風の叙述が織り込まれる構成だが、戯曲はこれを解きほぐし、医学士葛木晋三をめぐる日本橋の芸者滝の家清葉(きよは)と稲葉屋お孝の恋の立て引きを中心に、お孝が清葉への面当てに情人としている異形の大男伝吉(罷熊(ひぐま))、可憐(かれん)なお酌(しゃく)お千世(ちせ)を配して見せ場も多く、花柳(はなやぎ)章太郎がお千世を演じて出世役となった。17年には鏡花自らが春陽堂刊『戯曲選集』の第四編として脚色、以後この脚本により演出も洗練され、新派古典として繰り返し上演されている。

[土岐迪子]

『『筑摩現代文学大系2 泉鏡花他集』(1977・筑摩書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本橋」の意味・わかりやすい解説

日本橋
にほんばし

東京都中央区北部にある橋およびその周辺の地区名。旧区名。慶長8 (1603) 年日本橋川に橋が架設されて日本橋と命名され,諸国へ通じる街道の里程の起点となった。江戸時代から大商店や問屋があり,商業の中心地として繁栄した。現在の橋は 1911年架設されたアーチ型の石橋で,上を首都高速道路が通る。現在も日本銀行付近は金融の中心地で市中銀行が集り,日本橋兜町には東京証券取引所がある。また百貨店や老舗の商店が多い。

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デジタル大辞泉プラス 「日本橋」の解説

日本橋〔泉鏡花〕

①泉鏡花の長編小説。1914年刊行。
②1929年公開の日本映画。①を原作とする。監督・脚本:溝口健二、撮影:横田達之。出演:岡田時彦梅村蓉子酒井米子、高木永二ほか。
③1956年公開の日本映画。①を原作とする。監督:市川崑、脚色:和田夏十、撮影:渡辺公夫。出演:淡島千景山本富士子、若尾文子、品川隆二、柳永二郎、船越英二ほか。

日本橋〔日本酒〕

埼玉県、横田酒造株式会社の製造する日本酒。全国新酒鑑評会で金賞の受賞歴がある。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「日本橋」の解説

にほんばし【日本橋】

埼玉の日本酒。酒名は、初代当主が江戸日本橋で修業を積んだことにちなみ命名。大吟醸酒、吟醸酒、純米酒、本醸造酒がある。全国新酒鑑評会などで受賞実績多数。酒質はおおむね淡麗辛口。原料米は山田錦、美山錦、若水など。仕込み水は荒川の伏流水。蔵元の「横田酒造」は文化2年(1805)創業。所在地は行田市桜町。

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事典・日本の観光資源 「日本橋」の解説

日本橋

(東京都中央区)
新東京百景」指定の観光名所。

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ASCII.jpデジタル用語辞典 「日本橋」の解説

日本橋

東の秋葉原と並ぶ西日本最大の電気街。大阪府にある。

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世界大百科事典(旧版)内の日本橋の言及

【江戸】より

…徳川氏は江戸を関八州の中心にしようと,低湿地の埋立て,船入堀の造成,橋の架設などを行った。神田湯島台などに屋敷地が造成されて三河などから家臣団を受け入れ,また日本橋辺の町地には畿内や東海地方からの商人が移住するようになった。しかしまだ江戸の町づくりは本格化していなかった。…

【晒】より

…鋸と竹鋸が左右に置かれ,本来往来の者に首を挽かせた形式をとどめている。陸晒,穴晒とも江戸では日本橋南詰東側,高札場の向いに設けられた晒場で執行した。同様の刑は諸藩法にも定められ,さらには村法上の制裁や私刑としても存在した。…

※「日本橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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