1940年,第2次近衛文麿内閣がドイツ,イタリアと結んだ軍事同盟。ベルサイユ体制に対して最大の不満を抱いたのは第1次世界大戦の戦敗国ドイツであったが,戦勝国であるイタリアもかなりの不満をもっていた。同じく戦勝国側にあった日本も,ベルサイユ体制の太平洋版であるワシントン体制への不満から,ベルサイユ体制の柱となっていた国際連盟に挑戦するにいたった。日本,ドイツ,イタリアが相ついで国際連盟を脱退する前後から,これら3国の接近が予想されていたが,軍事同盟への歩みは錯綜(さくそう)したものであった。日独防共協定(1936年11月25日)につづいて日独伊防共協定(1937年11月6日)が成立した後,ベルリン駐在武官大島浩と,1938年2月に外相に就任するリッベントロップとのあいだで,防共協定を軍事同盟に発展させるための交渉がつづけられた。日本海軍首脳部を中心に,日本国内にはドイツ,イタリアとの結合の強化への抵抗が強く,日本政府の態度はあいまいであった。リッベントロップは,さしあたり日本をぬきにしてイタリアとの〈鋼鉄の同盟〉と呼ばれた独伊軍事同盟(1939年5月22日)を成立させると同時に,3国の仮想敵であるはずのソ連に接近して,独ソ不可侵条約(同年8月23日)を結んだ。ここに,当時日本で〈防共協定強化問題〉と呼ばれていた,同盟への道程の第1段階は挫折をもっていったん終りを告げた。
同盟への道程の第2段階が本格化したのは,第2次世界大戦が〈奇妙な戦争phony war〉の様相を脱して,ドイツの電撃戦によるヨーロッパ制覇に終わるようにみえた1940年初夏以後のことである。40年9月にリッベントロップ外相の特使シュターマーHeinrich Stahmerが来日して,9月27日に日独伊三国同盟が成立する。この第2段階での交渉は,三国同盟にソ連を加えた〈大陸ブロックcontinental block〉によりアメリカを牽制してその参戦をくいとめようという,リッベントロップの日独伊ソ四国協定構想にもとづいて進められる。外相松岡洋右を中心とする日本側がこの構想に全面的に賛成し,日本海軍も反対をやめたために急速にまとまった。しかし,ヒトラー独裁下のドイツでは,独ソ戦に執着するヒトラーが,リッベントロップの路線とは逆に,独ソ開戦(1941年6月22日)に踏み切ったため,四国協定構想は幻想に終わり,三国同盟はいたずらに日米関係を悪化させる結果をもたらした。
執筆者:三宅 正樹
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1940年(昭和15)9月27日、ベルリンで調印された日本、ドイツ、イタリアの間の軍事同盟。三国同盟締結交渉は、最初、1937年に結ばれた日独伊三国防共協定を強化しようという目的で、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の末期に始まったが、1939年8月に突然独ソ不可侵条約が締結されたことにより一時中断した。しかし、その後、対米英関係の悪化、ヨーロッパにおけるドイツ軍の圧倒的な優勢などを背景に、交渉再開の機運が台頭、1940年9月6日、ドイツのスターマーH. Stamer特使の来日を機会に、交渉は正式に再開され、9月24日に至り、スターマーと第二次近衛内閣の外相松岡洋右(まつおかようすけ)との間で全面的な合意をみることとなった。三国同盟条約は、前文と本文6条とから成り立ち、その内容は、ヨーロッパおよびアジアにおける「新秩序建設」に関し、ドイツ、イタリアおよび日本は、その「指導的地位」を認め合うこと、また日中戦争およびヨーロッパ戦争に参加していない第三国の攻撃に対してあらゆる「政治的、経済的及軍事的方法ニ依(よ)リ相互ニ援助スヘキコト」を誓約する純然たる軍事同盟であった。三国同盟の推進者の松岡は、日独伊三国軍事同盟に加えて、ソ連を中立化させる、できれば日・独・伊・ソの四国協商の実現を図り、これらの軍事的圧力を背景に対米調整を有利に進めるという構想を抱いていたが、同盟の成立は米・英を強く刺激し、太平洋戦争突入の要因となった。1943年9月イタリアの無条件降伏、1945年5月ドイツの完全敗北により、無謀な瀬戸際政策であった日独伊三国同盟は完全に崩壊した。
[寺崎 修]
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1936年締結された日独防共協定によって結束を一段と強化した日本,ドイツ両国は,第二次世界大戦の勃発とともに,さらに軍事的連携を深めようとして,40年9月,すでに37年に防共協定を結んでいたイタリアを加えた三国同盟に調印した。これは39年第二次世界大戦の開戦とともにヨーロッパで勝利を得たドイツに刺激された日本の陸軍と,日米関係悪化に備えようとした松岡洋右(ようすけ)外相らが,ドイツ側の強い要請を受け推進力となって実現した。条約は日中戦争およびヨーロッパ戦争に参加していない国からの攻撃の場合に相互援助を与えることが規定されていた。
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1940年(昭和15)9月27日,3国間に締結された軍事同盟。39年8月の独ソ不可侵条約締結による防共協定強化交渉の挫折後,日独関係は冷却したが,ドイツの対仏戦の勝利をみた日本の親独派は再びドイツへの接近を図った。ドイツ側はシュターマー特使を派遣,オット駐日大使を交えて松岡洋右(ようすけ)外相と軍事同盟締結問題を交渉,ベルリンで条約が調印された。「欧州戦争マタハ日支紛争ニ参入シオラザル一国」に加盟国が攻撃された場合の軍事援助義務を定めることで(条約第3条),アメリカの参戦抑止を企図したが,アメリカの態度は硬化し,三国同盟は戦争拡大への一因となった。
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