精選版 日本国語大辞典 「日興」の意味・読み・例文・類語
にっこう【日興】
にちこう【日興】
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鎌倉後期の日蓮(にちれん)宗の僧。伯耆房(ほうきぼう)、白蓮阿闍梨(びやくれんあじゃり)と号する。甲斐(かい)(山梨県)の人。もと天台宗の僧で、駿河(するが)(静岡県)蒲原(かんばら)の四十九院(しじゅうくいん)で修学していたが、日蓮の教えに従って改宗し日興と称した。日蓮のもとに付き従い、のちに駿河国をはじめ伊豆・甲斐(静岡・山梨県)を舞台に伝道活動を展開し、教団の勢力を大いに伸長させる。1282年(弘安5)の日蓮入滅にあたっては、本弟子に選ばれ、六老僧の一人として後世に敬われる。その後、身延山(みのぶさん)に営まれた日蓮の墓塔を守る中心的な役割を果たしていたが、領主の波木井実長(はきいさねなが)(1222―1297)と意見があわず、1288年(正応1)日興はついに身延を出て、富士山麓(さんろく)の大石ヶ原に大石(たいせき)寺を開創。領主南条時光(なんじょうときみつ)(1259―1332)・地頭(じとう)石川孫三郎らの援助を受けながら重須(おもす)に本門寺を開いて一門の育成に努めた。のち、その弟子たちを中心として日興門流(富士門流)が形成された。現在の日蓮正宗(しょうしゅう)はこの門流に属する。
[中尾 尭 2017年9月19日]
(佐藤弘夫)
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…《就注法華経御義口伝》《日興記》とも称す。1571年(元亀2)の写本が大石寺,要法寺にあり,1654年(承応3),1721年(享保6),1751年(宝暦1)に出版。…
…日蓮没(1282)後,その遺言により廟所が身延に置かれ,門弟の輪番による廟所への奉仕が制定された。しかし,やがて行われなくなり,日興(につこう)が主としてこれに当たり,日向(にこう)も身延に来て学頭を務めたが,身延の地を寄進した日蓮の檀越(だんおつ)波木井(はきい)実長と日興との間に不和が生じ,日興は88年(正応1)駿河に去ったので,日向が住持=貫首(かんず)となり,身延門流=日向門流の拠点とした。室町時代の貫首日朝は,堂宇を現在地に移し拡充したばかりでなく,その後嗣日意・日伝とともに,各地に身延門流の教線を伸ばし,それまでの波木井氏の氏寺的存在であった久遠寺を日蓮廟所を中心とする霊場寺院化していった。…
…ところが鎌倉期に日蓮が法華信仰を布教することにより,富士川筋を中心に日蓮宗も発展した。《立正安国論》は岩本の実相寺にこもってまとめられたといわれており,またその弟子日興はとくに駿河と関係が深く,北山の本門寺をはじめとする富士五山などがその教義をうけた。禅宗では臨済宗の影響が大きく,栄西の高弟聖一国師(弁円),大応国師(南浦紹明)はいずれも駿河の出身である。…
…大日蓮華山と号す。開山は日興(につこう)。日興は日蓮没(1282)後甲斐国身延の日蓮の廟所を守っていたが,日蓮生前からの檀越(だんおつ)で身延の地を日蓮に提供した波木井(はきい)実長の信仰のあり方を否定して,1288年(正応1)身延を離れて駿河に移り,日蓮以来の檀越南条時光の支援を得て,90年富士郡上条大石ヶ原に大石寺を創建した。…
…日蓮系の宗派。日蓮の直弟日興(につこう)を開祖とし,静岡県富士宮市の大石(たいせき)寺を総本山とする。日興は1288年(正応1)身延を離れて駿河に移り,信奉者南条時光の支援をうけて90年富士郡大石ヶ原に大石寺を建て,98年(永仁6)には,大石寺近傍の重須(おもす)に本門寺を創建,門流の拠点とした。…
※「日興」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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