尾張(おわり)(名古屋)藩の藩学。通説では日本最初の藩学。江戸時代最古、1629年(寛永6)以前創建の聖堂(孔子廟(こうしびょう))で、好学の初代藩主徳川義直(よしなお)の書斎兼学問所を淵源(えんげん)とし、やがて半官半私の藩士教育機関として城南に大津町学問所が開かれ、のち1748年(寛延1)蟹養斎(かにようさい)の願いによる巾下(はばした)門外の学問所が設けられ、翌年9代藩主宗睦(むねちか)が「明倫堂」の名を書き与えたが、いずれも不振に終わった。本格的藩学は、1783年(天明3)細井平洲(へいしゅう)を総裁として片端(かたは)長島町東角に発足。新たに聖堂、さらに講堂、学寮、飯堂を建設、このころは士庶を問わず聴講を許し、盛況であった。1863年(文久3)天文、地理、兵学を加え、藩士に文武両道を授けた。1871年(明治4)廃止。
なお、同名の藩学が、播磨安志(はりまあんじ)、伊予大洲(おおず)、日向(ひゅうが)高鍋(たかなべ)、羽前新庄(しんじょう)、加賀金沢(かなざわ)、信濃小諸(しなのこもろ)、信濃上田(うえだ)の諸藩にあった。
[木槻哲夫]
『文部省編・刊『日本教育史資料1 巻3 東山道』『日本教育史資料1 巻3 附図』(1889)』▽『笠井助治著『近世藩校の綜合的研究』(1960・吉川弘文館)』▽『吉永昭著『愛知県の教育史』(1983・思文閣出版)』
1加賀国金沢藩の藩校。1792年(寛政4)城下出羽町に設置。士庶共学。和・漢・医・算・習字・習礼・史・天文・暦・詩文・法・本草を教え,武芸は経武館で行った。学風は初代学頭新井白蛾(はくが)以来朱子学。1822年(文政5)仙石町に移転。文系とは別に西洋砲術・洋学・蘭医・航海などを教授する壮猶(そうゆう)館,西洋医学の研修と治療をする養生所が設けられたが,68年(明治元)以降の統合・廃止・移転をへて,71年にすべて仙石町に統合。
2尾張国名古屋藩の藩校。初代藩主徳川義直が建てた学問所,1748年(寛延元)蟹(かに)養斎が藩の許可を受けて開設した巾下(はばした)明倫堂に続き,83年(天明3)城下片端長島町角に建設。細井平洲を督学として職制を定め,東隣に聖堂を創建。1811年(文化8)冢田(つかだ)大峰が督学となり折衷学的な傾向が入った。33年(天保4)教科は和・漢・算・筆・習礼・諸武芸。69年(明治2)学校と改称。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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